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闇営業とタレントと事務所とメディアとあの方の死 [独り言]



吉本興業“闇営業”での損失は数億円規模「1000以上の仕事で調整が必要」



吉本興業のタレント直営業問題は、2019年7月22日の岡本社長の会見によって最初のピークを迎えた。
この間の流れで気になる事がある。
7月9日、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏が死去した。
7月17日夜、ジャニーズ事務所に対して公正取引委員会が「注意」をした報道がNHKの一方で流れる。

さて、フライデーに端を発した吉本芸人の闇営業問題は、19年6月初旬の宮迫氏への直撃に始まり、6月4日に入江氏の契約解消、その後、宮迫氏、田村氏が虚実証言をして二転三転し、6月24日に吉本興業が関係タレントが金銭授受をしたと発表し、処分している。

まず、ジャニーズ事務所の公正取引委員会が「注意」をしたNHK報道のタイミングや内容は、かなり違和感がある。そもそも注意位の内容でトップニュースにする点、またNHKも例外ではないが、紅白等、番組への所属鍛錬と出演を考えた場合のジャニーズ事務所への忖度を考えれば、NHKの報道は過去に例のないものだ。
それもジャニー氏の死去後というタイミングなのだ。


また、お笑い巨大企業の吉本興業のフライデーによる一連の騒動の事件化が、たまたまジャニー喜多川氏の入院~死去に近いタイミングで起きたのか、それとも何等かの意図が働いて起きた事象なのか? この辺りは気になる時系列なのだ。

いずれにしても、ジャニーズ事務所の所属タレントたちは、同じ業界内で常に狙われている才能である。またお笑い巨大企業の吉本興業のタレントも同様だ。
そういう感覚値を考えれば、これまでの地上波+大手芸能事務所の構図を更地にしようと考える人たちがいると仮定し、公正取引委員会が「注意」した件の報道や、吉本興業の一連の件には何等かの意図がある可能性を排除出来ないだろう。

この辺りは今後要注視案件だ。


さて、世間では闇営業と言われているが、業界では「直営業」と言われている。

所属タレントが事務所を通さずに、クライアントもしくは

それに近い立場から直接交渉され仕事をもらい履行することだ。

アルバイトとも言う人がいるが、この行為は本来的には契約違反だ。


タレントが事務所を通さないで仕事をしようとする最大の理由は、

事務所の手数料が高いもしくはギャラに満足していないからだろう。

もしくは事務所の手数料の料率がハッキリとしないからかもしれない。

または仮に料率を知っていても

元のギャラの本当の金額を教えてもらえないのかもしれない。

いずれにしても、タレント側に事務所への不信と不満があったのは明らかだ。


事務所側としては、タレントの仕事に関して日々仔細微細なケアを行っており、

その手数料に見合うサービスをタレントに提供していると思っているはずだ。
事務所の最大の功績はギャラの良い仕事を取ってくることだ。
本来タレントは、自分で営業するよりも事務所の営業の方がギャラが良いから

事務所と契約するインセンティブがある。
またそれに纏わる仔細微細な打ち合わせや対応を事務所が対応し、
タレントはスポットライトの中で活躍すれば双方ハッピーなはずだ。

しかし現実はちょっと異なる。
タレントは自分の手数料の料率や経費の明細が具体的に何だか理解しておらず、

様々な周辺情報を得てモヤモヤしている。
ギャラの額も不正確な情報が出回り、事務所への不信感の温床にもなっている。


いずれにしても、今回のようにクライアントの質に問題があれば、

事務所が中に入る事で適切な情報収集し、

依頼の時点で断わることも可能だったことは確かだろう。


そういう意味で世間知らずな芸人が

知りもしないクライアントの仕事をしょうとすると、

こういう恐ろしい地雷を踏むという良いサンプルになっただろう。


吉本興業の芸人は、吉本興行と契約関係がないと言う人が多いが、

契約書の交付がなくても

口約束レベルでも双方の合意があれば民法上の契約関係は成立する。

ただし、金銭を授受する関係上、双方が条件等を確認と承認をした

契約書はあって然るべきで、無い方がかなり不自然とだけは言っておく。
芸能事務所では、契約書を交わしているケースの方が小数だが、

交わしている場合でも、タレントに不利な部分が記載された契約が多い事は指摘しておく。


今回のいわゆる闇営業問題は、

報道ではタレントたちの暴走行為と捉えているが、

管理側の吉本興業にもかなりの問題があると見るのが公平だろう。

吉本興業からすればタレントにルール違反をされた上に損害まで出ていて

トンデモないと思っているだろうが、

そういう事を含めて管理をするから、高い手数料や信用に見合う訳で、

仮にタレントが水面下でやったルール違反であっても、

高い手数料を取る事で有名な吉本興業の管理責任を免れる事では全くない。


吉本興業の芸人さんたちは、自分たちへの支払い時に支払明細をもらっている事を

公言しているから、多分そうした支払い処理をしていると推定される。

但し、その明細にマネージメント手数料や

控除された経費が記載されているとは言っていない。

従って、番組名と各支払額もしくは

支払い総額及び源泉税だけが記載されているのかもしれない。


タレントのギャラは、「タレント派遣料+事務所手数料+経費」が包括されている。

大抵の場合、タレントは、自分の本当のギャラの総額を知らない。

芸能事務所にとって、タレントの総額ギャラは最高機密情報で、

役員と担当やその上司位の間でしか共有されない。

テレビの出演は契約書を交わさないし、CMの場合でも

出演契約書に捺印するのは事務所の代表者で、タレントは署名捺印しない。

従ってタレントは本当のギャラ額を知る術が殆どない。


タレントが知らない形態になっているのは、

知られると手数料や経費の控除がどのくらいかが分かってしまい、

それについて論理的な説明が出来ない部分が多く、事務所側が困るからだ。

不思議な話だが、これは現実にそういう事が横行している。


但し、事務所側の立場としては、タレントを売り出すために様々な人たちと会い、

飲食等で関係性を作り、仕事の情報を得て時間をかけてブッキングに結び付ける。

また売り込みの際に先行投資される金銭も、いずれ回収しなければならない。

マネージャーの給料も稼ぎが余りないタレントの場合は事務所の持ち出しになる。

また担当者が多数のタレントを抱えている場合、

誰にどの程度の経費をかけたのかを

完全に仕分け出来ない面があるのは事実だ。

加えて育成費、衣装代などは事務所が立替的に支出する事もある。

そうした先行的な支出をタレント側の経費とする事務所は多いが、

タレント側からすると、自分のギャラから控除されるのは、

結局自分が支払っているのと同じだろうという感覚にもなり違和感を持たれる。


しかし稼いだ以上に経費を使えば赤字になり、

ある時期の赤字を覚悟でタレントを売り出している事務書からすれば

回収期間が欲しいのは正当な理屈だ。

しかし、こうした金銭の動きを論理的に運用している事務所は皆無に近い。

これは管理部門と支出経費に個別の管理コードをつけて金銭管理をする必要があり、

手間がかかるからだ。

しかし、本来はすべきことで、やっていない事務所は管理体制が三流なだけだ。


いずれにせよ、タレント側は、振り込まれる金額が

彼らの認識できるギャラであり、

その前段階で幾らがどのような名目で控除されているかは全く分からない仕組みだ。

過去にこうしたケースで、鈴木あみ氏(当時)が所属事務所と係争になった事がある。

彼女は自分が控除されている経費等が不当だと争った訳だ。

判決は、「事務所代表が逮捕され、歌手と事務所の信頼関係は崩れていた」として、

鈴木氏側が勝訴。

しかし「出演料の明細を明らかにする」という要求は認められなかった。


現代においてもタレントたちは、良く言えば信頼関係、

悪く言えば前近代的システムの中で仕事をしていると言っていい。

芸能界に居ればそれは当たり前だが、

一般的な企業群のビジネス行為としてはかなり古色蒼然としている。


こうした不明瞭で不透明な商習慣が、

宮迫氏クラスのベテランでも闇営業に踏み出してしまう

遠因になっていると言っていいかもしれない。


誤解無きように言っておくが、そういう背景があった上でも、
今回の反社会勢力と思われる集団の宴会に

ノコノコ営業に行ったタレントを擁護するつもりは全くない。

仮に後輩のために心意気だけで出演をOKしたとしてもだ。


少なくとも宮迫氏は、会社員なら本部長級以上の立場のタレントだ。

冠番組を持ち、社会的影響も大きい。
後輩への背中を見せる立場でもある。

そういう立場の人間は、経験等で様々な判断ができると見なされている。

従ってこうした三流現場の三流営業に顔を出す事が

自分の価値としてどうなのか?、後輩に背中を見せている事になるのか?を
理解出来ていないとすれば、タレントとしては三流の烙印を押されても仕方なかろう。


また、彼らが貰ったギャラは、元は詐欺にあった被害者の金かもしれないのだ。

仲立ちをした入江とか言う主犯芸人は、

自分が紹介した相手の正体を知っていたようであるから、

罪の重さは格段に違う。



報道によれば、吉本興業は、1000件近い案件への対応と

多額の損金が出るだろうと言われている。

吉本興業からすれば自分たちも被害者と言いたいだろうが、

タレント管理者としては、「共犯」であると言った方が正確だろう。

また損害においても、歩合に応じた過失があると認められるため、

事務所とタレントの配分率に応じた損失額の負担を求められる事になる。

つまり理屈からしたら、手数料率の高い方の損害金銭の負担が重くなるのが自然だ。

自業自得である。


しかし報道には吉本興行の管理に言及した記事は殆ど見当たらない。

全てタレントだけが悪者だ。

しかしそれはオカシイ。

多数のタレントがこうした闇営業をしていて発覚しなかったのは、

単に吉本興業がタレントの動向を把握していなかったというだけにも見える。


担当マネージャーらは一体何をやっていたのだろう?

仮にオフの日でもタレントの担当マネージャーなら、

一定の情報を把握しているものである。


もちろんGPSをつけて把握している訳ではないので、

限界はあるが、日頃の人間関係があれば、ある程度は把握できる。


また、闇営業は、芸人仲間内では知っているケースが多く、

事務所の人間の中にも噂以上に知っている関係者がいると見るのが普通だ。

ただ、ベテランタレントらのアルバイト行為を

目下のスタッフが上司にチクったり、本人に警告したりするのは中々難しいだろうが、

そういう機能を事務所が持っていなかったとすれば、それはそれで問題だろう。
そういう意味で本件は吉本興行の管理や運営、タレント教育、経営体制に端緒があると考えるの常道で、
タレントの軽はずみな行為は、タレントの無知と事務所との連携の無さから生じていると見た方が自然だ。


いずれにせよ、これだけの数のタレントの闇営業の動きを

把握できなかったというのは、

芸能事務所の管理として余りにも杜撰と言われても仕方ない。

マネージャーらは、ただのお世話係しかできないのか?と言われるだろう。


本件の吉本興業側の情報開示も不透明さが増す中で、

番組からクライアントの撤退が見え隠れする中、

国民の財産である電波で事業をしている放送局の対応も興味を引くが、

いずれにせよ、改めてタレントと事務所の契約環境や管理体制を考えなおし、

芸能界といってももう少し近代的な運営をなさった方が良いのではと感じた次第だ。

特に年間300億円以上の被害をもたらす犯罪行為をする連中を利するようなタレントは、

そもそも業界から駆逐するくらいの厳しい対応をしないとメッセージにならない。


暫く謹慎して来年辺りから出て来る噂もあるが、

時間経過に伴う忘却を理由にテレビ局側がそれを許せば、

そういう連中の行為を暗黙に認めているという事になり同罪になる。


会社員ならもっと分かりやすいが、同じ事が起きたら懲戒解雇かそれに類する辞め方になるだろう。

こういう辞め方をした会社員の再就職は本当に厳しいのが現実だ。

芸能界だけ特別という感覚は、誤った特権意識の現れで、

そろそろ世間並にしておいた方がいいだろう。

吉本興業の社長会見を見ていて、この人物が世間的な経営者じゃない事は明らかに理解できた。
芸能界の社長としては優秀なのだろうが、一般的な経営者としては、落第の人物だ。
大崎会長も、契約書締結を認めないと発言している辺りからして、会社経営者としては全く埒外の人と言っていい。簡単に言えば吉本興業は、父ちゃん母ちゃん経営のレベルなのだ。


しかし、あれだけの影響力を持つということはそれだけ経営者の責任が重いという当たり前の事を

事務所のトップ、またタレント各位、加えて業務取引をしている放送局は自覚して欲しい。



こんな記事を書いていたら、似たような視点の記事を見つけました。
やはりそう思うよね・・という感じ。



吉本芸人の「闇営業」を生んだ構造的問題──果たして責任はタレントだけにあるのか?:




吉本興業芸人の「闇営業」 低いモラル、企業統治のあり方に疑問も:















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NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察 [独り言]

NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察



NGT48暴行事件の温床、私的つながり求める「厄介」ファン 

危機管理失敗した運営の罪、今も続く臆測







NGT48暴行事件、まあ、面倒な事になっている。

ファン全体から見れば非常に少数の「厄介」ファンの存在が、

このAKB系のビジネスモデルを崩壊の危機に至らせようとしている。




悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通りだ。




今回の件はこの手のビジネスの想定したリスクの中でも最悪に近い事象が起きている。

またマスコミ等の周囲は、運営側の危機管理の失敗と断じている。




果たして本当にそうなのだろうか?




確かに運営側の対応について

様々な瑕疵が見つかり、反省点も多い。

それは事実だろう。




また、記者会見で、対象となっているメンバーから

反論がツイートされるなど、

一昔では絶対に考えられないような事態が起きている。

大変な時代になったものだと思う。




当事者は双方共に、大変な状況に置かれていることが想像される。




さて、今回の件、どうしたらこのリスクを避けられたのだろうか?

それともそもそも回避は無理だったのか?




まず、少数の「厄介」ファンの最悪なリスクへの対応ができるか考えてみよう。




少数が起こすだろう、付きまとい、個人的接触、過度な要求等などを想定すると、

一番のヘッジ方法は、メンバー全員をスタッフが完全隔離した生活環境と職場環境に置くしかない。


つまり、メンバーはNGT48に所属している間、プライベートを失う覚悟を持つ必要があり、

スタッフは24時間体制で彼らを管理下に置く覚悟をすることになる。

当然だが、関係各個人のメール、SNSなどの利用制限、または利用確認をされることが前提になる。


また、関係者やメンバーたちは、「厄介」ファンや「厄介」ファンに準じる連中から

リスクヘッジできるだけの物理的、空間的距離を取れるようにし、またそれらを常に確認し、

また想定外の事態への対処も出来ているかを常時確認をする必要を迫られる。


危機管理を本気でするなら当然この程度は止む得ない。


しかし、果たしてそこまで管理することは現実的に可能だろうか?

またそうした管理は、人権的な観点、労働基準法等で容認される範囲なのだろうか?
加えて長期に渡ってこうした事は可能なのだろうか?


そもそも、AKB系のビジネスモデルはファンと関係者間の距離の取り方に対するリスクを常時内包している。

従って上記のようなリスクに対して

完全無欠な危機管理を施そうとしたら、法律的、道義的な壁によって対応が不可能となり、

従ってAKB系のビジネスモデルは維持不能になるだろう。


ある元AKBメンバーが、本件について自身の出演しているテレビ番組内で

関係スタッフの対応について、

不満や苦言を呈していたが、私はかなり違和感を持った。



少なくとも、こうした多数が絡み長期に渡る仕事では、
様々な危機管理方法について、

関係スタッフ側とメンバー各位が同じレベルの認識を持つ必要があるが、

こうしたリスクへの認識と対応は、「スタッフ側だけの対応」では絶対に出来ない。


NGT48のメンバーには酷な言い方だが、本件は、一部メンバーの厄介ファンというリスクへの

意識と認識の低さにも問題があったと言っていい。

それを全く無視していては、本来的な意味でのこの問題解決は不可能だ。


もちろんキチンとリスクを理解していたメンバーもいたと推察され、
自立的に行動したいた人たちもいる訳なのだが、

悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通り、

一部のメンバーの不用意な言動が

本事件の大きな一因であっただろうことは否定できない。

これは管理側の現実的な対応範囲からすり抜けてしまったからだろう。


こうした事を避けるためには、

メンバー、関係者がプロジェクトを進行させるために必要な
統一したルールと認識を共有している必要がある。

メンバーからすれば、タレント活動以外の負荷が生じ、違和感を持つだろうが、

AKB系のビジネスモデルを維持し、自分たちもその恩恵を得ようと思ったら、

メンバー側の高い意識と協力がなかったら実現できない。

スタッフ側におんぶの女王様待遇を期待していては無理なのだ。

理由は、厄介ファンへのリスク回避は非常に困難な事例であり、
チームが大所帯であり、チーム一丸で事に当たる必要があるからだ。


NGT48はビジネス的に言えば「プロジェクト」だ。

「プロジェクト」は有能なマネージメントがリーダーとなり、

参加している各メンバーの高い意識によってしか成功しない。

特に大型プロジェクトはそうだ。

「プロジェクト」の成功の最低要件は、関係者(メンバー、スタッフ等)が

キチンとした組織構造基づいて、一定のルールと時間軸と目標を共有することだ。

こんなのは、サラリーマンなら社会人数年以内に学ぶ「いろはのい」である。


今回はそれをすらやっていなかったのだろうと思う。
特にやっていなかったのは、メンバー内の組織構築だと思っている。

そういう意味で、スタッフ側のマネージメントトップには大きな非があるだろう。


これは想像だが、AKB48の場合は、現場レベルで彼女たちの全体を取り仕切る人物がおり、

尚且つメンバー内にメンバーを束ねる人材が内部にいたのかもしれない。

これは一定程度の人数範囲をカバー出来る人材がいないと組織の長期維持は困難だからだ。


スタッフ側が日常的なメンバーの活動のために

最良の周辺環境を整えるのは当然の仕事なのだが、

同時に個別のメンバー自身のコアな部分、つまり私的な環境の管理そのものは、

本来的にはメンバー個々人の範中だ。

こういうと驚く人が多いかもしれないが、当たり前の事だ。

自己管理も出来ない人間にプロの世界は務まらない。

それがプロの世界で働く者としての最低限度の矜持というものだ。

もしそれに違和感があれば、メンバーとして参加しなければいいだろう。


その上で、少数人数の集合隊のメンバーを束ねる人材が必要で、
出来ればメンバー内に適数居た方がいい。

会社で言えば「管理職」に当たる人材だ。

組織にはそういう筋交いがないと維持が難しい。

現場感覚を身近で理解出来る人間がいないと

不満やデタラメが横行し始めるからだ。


今回の一連の騒動を見ていると、

そもそもこのようなビジネス・プロジェクトを理解しておらず、

加えてプロっぽくない人たちの集合体が引き起こした問題のように見える。

もちろん関係者の多くはプロだろうし、中にはキチンとやっている人も多いのだろうが、

結果だけ見れば全くそのように見えない。

それはメンバーたちの振る舞いにも言える。


加えて「厄介」ファンの行動は明らかにルール逸脱だ。

まあ、そういうレベルの低い連中を呼び寄せてしまう当りも反省点だろう。



プロの中に低レベルのアマチュアが紛れ込んで結果的にぐちゃぐちゃになった、

外野の一般人の視点から見ていると、今回の騒動はそう見える。



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クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法 [独り言]

クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法
もしこのアイデアを既に実現している人か法人がいたら
このブログの記事は、全く無意味なので、そうであれば是非指摘してください。
(もしくはこのアイデアそのものが無理筋という可能性もあります・・)
地上波、BSにしろ、日本の放送視聴率はビデオリサーチ社が行っており、
主にこの数値が公表され、公式となる。
さて、公開情報だけで推定するとビデオリサーチ社はサンプリング調査をしており、
その数は、統計学上の要件を満たす世帯数(900世帯程度)で対応している。
なお。この場合の誤差は上下2%程度というので、
10%と言っても9%~11%程度までの間のどこかという事になる。
9%と11%ではテレビ業界にとって雲泥の差なのだが、
大抵の場合、上の数値が公表数値となる。
さて、現在、視聴者の視聴方法は電波経由とは限らない。
J:COMなどのケーブル局があるからだ。
J:COMの公表数値によれば視聴世帯数は、2018年末で1,381万世帯(全国)だそうだ。
実は、J:COMなどの大手ケーブル局は
契約者とセットトップボックス等を経由して繋がっているので、
視聴者の視聴動向を100%補足している。
もう理解出来ていると思うのだが、
J:COMなどの大手ケーブル局は、全視聴世帯の視聴率を集計出来、
また実際にしている。
おまけに地域分布や様態も判っているはずだ。
仮にJ:COMが1,381万世帯のこうした視聴率データを持っているとすれば、
ビデオリサーチ社よりは遥かに正確だろう。
またこれだけのサンプル数だと統計学上の誤差は殆ど無視できるほどない。
つまりこのデータは法的に問題がなければ売れるはずのデータなのだ。
大手広告代理店経由で地上波やBSの広告枠を買っているクライアントの多くは、
ビデオリサーチ社の視聴率に対して枠の金額を支払っているはずだが、
仮にJ:COMなどが持っているデータを入手し、それを比較したら、
確実な視聴の数値を把握でき、加えて広告料についても適切かどうかが判る。
そういう事をやっているというクライアントを聞いた事がないが、
不思議な話である。
但し、ビデオリサーチ社は1世帯を8台の機器で調査出来るため、
家族個別の視聴率やカウントはこちらの方に優位性がある。
さて。

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ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?  ヒットの設計図 [独り言]

ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで  

by デレク・トンプソン



ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

  • 作者: デレク トンプソン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


私は年に100~120冊程度本を読む。
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)


ここ十数年、読書が趣味のようになってしまった。

だから私は、友達が少ない典型のような人間なのだが、

本への逃避は他人様に迷惑をかけないから良い趣味だと思っている。


読みたい本に辿り着く方法はいくつもあるが、

新聞書評、本の中で紹介されている本、書籍店での発見など、様々だ。

今回紹介する本書は、新聞書評で見つけた。


普段、ブログで本の紹介とかはしないが、

最近読んだ中で珍しく秀逸なものがあったので記事を書きたくなった。


ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで~という本だ。


出来れば皆さんに読んで欲しいので、基本的には中身を全て語らないようにする。

それでも本書の何が面白いのかは語らねばらない。


私はエンタメ業界で35年近く働いてきているので、

世間をザワザワさせること、自分をザワザワさせることに敏感だ。

そしてずっと考えて来たのは、ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?と、

何故、あるものはヒットし、ある似たようなものはヒットしないか?についてだ。


本書は、それに回答らしいものを与えてくれる。

回答らしいと言ったのは、この本に書かれている事を意識的にやれば

絶対ヒットするかは不明だからだ。また意識的に出来るかは相当ハードルが高い。


それでも、本書に書かれている分析は、非常に鮮烈だ。


何故人々は、何かに心を動かされ、時に購入し、時に体験しようとするのか?

そしてその何故を知る術はあるのか?

またそれは誰でもできるのか?だ。


その回答は本書を読んでもらうしかない。


ただ、少なくとも人間が音楽や映像、世情、スピーチ等に対して好意的な反応をする場合、

「なじみ感」が必要だと解説している。

つまり、人間は全く認知の無いものに直ぐ共感をしない特性があるからだ。

また人間は、「なじみ感」を持ちながら「驚き」を感じられると「新しい」と感じる。


本書には書いてないが、自分の体験で再現できるものがある。

SONYのWALKMANだ。

まだカセットとアナログレコードが主流の時代、

我々の普通の使い方は、アナログレコードを録音し、(アナログ盤は高価で聞くと減るからだ)

カセットデッキを部屋に置いて音楽を聞いていた。(友達と盤を交換し、カセットに録音していたからだ)

そしてWALKMANは、再生装置部分だけにして切り出して持ち出せるようにして大ヒットした。
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=既成のカセットデッキ」+「驚き=再生装置だけを持ち出し可能にした」=「新しい=音楽を自由な空間で持ち出して楽しめるようになった」と、いうことだろう。


音楽にも同じ事が言える。

殆どの人は、全く聞き覚えもない音楽フォームに共感しにくい。

昔から日本人は洋楽が苦手な人が多いが、

これは主要な洋楽がブルーズを基礎にして発展してきているからで、

日本人でブルーズに馴染みを持った人が少なかったからだ。

それでも海外でヒットしている楽曲の多くは、一般大衆に支持されているもので、

当然ながら日本人が聴いてもいい曲は多い。


筒美京平氏という天才作曲家がいるが、彼がヒット作を量産していた手法は、

当時、一般の日本人には殆ど馴染みのないが、

聞いたら良いなと思うような洋楽ヒット曲をベースに、

彼なりの手法で日本のポップスに変換して世に送り出していたというものだった。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=普遍的洋楽ヒット曲」+「驚き=洋楽的だが日本っぽいのメロディー」=「新しい=時代を先取りした音楽」のようになるのだろう。


実際、その後に日本で活躍するミュージシャンたちが生み出すヒット曲の多くは、

殆どがこの筒美京平方式によって作られている。

人によってはこの手法をパクリという人がいるが、それは正確な表現ではない。

あのビートルズもそれ以前のロックンロールやR&Bが音楽のベースになっており、

多数の過去のヒット曲が源泉となっている。

ビートルズが凄かったのは、オリジナリティーを進化させ、

コンセプトアルバムの発売をするなど、それまでにない音楽表現とスタイルを確立したためだ。


仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして

ご自身で似ているようで似ていないような

ヒット曲のような質の音楽を生む出せるかを試してみたらいいだろう。

ほぼ無理だ。

実際、筒美氏の曲はオリジナルよりもメロディーが際立った曲が多い。


例えば、The Beatlesの大ヒット曲、Let it beは、コード進行フォームとしては、

Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)だ。

キーはともかく、このコード進行だけをヒントに曲を書いてみて欲しい。

殆どの人は、Let it beには遥かに及ばないメロディーしか作れないだろう。


このコード進行フォームでヒットした他の世界的ヒット作品を見てみると、

JOURNEYの「Don't Stop Believe In」やU2の「With or Without you」、Bob Marleyの「No Woman No Cry」など数多い。

日本では、綾香さんの「I Believe」がそれだが、Let it beとは全く違う曲なのは明らかだ。

従って共通するアイデアがあっても必ずしも同じ結果を生むわけじゃない。
ここがセンスと才能だ。


こうして見て分かる事は、Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)のような

黄金のコード進行という「なじみ感」がユーザーに聴くキッカケを与え、

個々のミュージシャンが作り出すメロディーやアレンジが「驚き」を加え、

新鮮味を醸成するという法則があるという事実だ。


サザンの桑田さんは、とあるインタビューで、

「音楽的デジャブ感(既視感)」と言い表していたが、

彼は20歳そこそこで「勝手にシンドバット」を作った頃から

この事に気が付いていたのだろうと思う。


例えば、JAZZというジャンルが一部を除いて日本の大衆に浸透しなかったのは「なじみ感」の欠如だろう。

JAZZに「なじみ感」を覚える大衆が少ないのは、JAZZそのものが斬新過ぎる点にあるが、元の音楽がブルーズだったことも理由だろう。

つまり馴染みがない上にアドバンス過ぎたのだ。

だから既成の曲をJAZZ風にアレンジした場合、大衆はやっと「なじみ感」を覚える事が出来るようになるが、

音楽を咀嚼出来る絶対数が少ないため多くは「驚き」へは移行しなかった。

そのため定着せず、マニアックな分野に落ち着いてしまったという訳だ。

本書では、そうした現象をMAYA(Most Advanced Yet Accetable)という単語で紹介している。

非常に先進的だが享受可能なもの、という意味だ。


ヒット曲を生む作り手は、その素質として常に斬新で先進的なものに興味を抱く。

そのため、大衆に重心を寄せ過ぎるとクリエイティビティの本質、

つまり個性や先進性を棄損する恐れがあると考えるクリエイターが多いのだが、

大衆を無視してはビジネスが成立しない。

クリエイティビティとビジネスは昔から二項対立する分野だが、

その差配のセンスこそがクリエイターの格の違いを生むと言っていい。

つまり「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の3つの項目を成立させるための

先鋭さと大衆向けの配分が重要であり、MAYAを包括するものがヒット作に恵まれる最低条件ということになる。


全く名も知られていないあらゆる分野の新人は、

世の中に知られるようになるまで、年単位を必要とするが、

それはすなわち市場に対して「なじみ感」を浸透させる時間と言える。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。

またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。


従って、多くの人やモノ、曲は「なじみ感」が浸透する前に消え、世に出る事はない。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。


ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、
「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。


さて、世の中には、口コミという現象があるが、これも同様で、自分が支持しているインフルエンサーが口コミするものは、インフルエンサーという「なじみ感」を通じているからこそ口コミされたものにアクセスしやすくなる。

これは、古くからある手法で言えばCMであり、昨今はユーチューバーになるだろう。


1980年代、「おいしい生活」というキャッチコピーがあった。

当時、本当の斬新に思えたが、

これも「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=おいしい、生活という普通に使う単語」+「驚き=「生活」に「おいしい」を組み合わせた事」=「新しい=80年代感覚」となる。

「おいしい食事」という表現はあるが、「生活」という単語には使わない。

生活には味がないからだ。

しかしそれを敢えて合体させた所にセンスの高さがある。これが「驚き」を生んだ。

つまり大衆がこのコピーを直ぐに受け入れて理解したのは、

そもそもこのコピーを構成する言葉になじみがあったからだろう。


話が長くなるのでこの辺りで終わりにするが、

本書は上記以外においても政治家の演説を例を挙げ、

その演説に大衆が熱狂する言葉の在り様について解説を加えてくれているが、非常に示唆に富んでいる。


最後に1つ、NHK大河ドラマ「いだてん」が視聴率不調だという。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。

加えてそこに宮藤官九郎氏が斬新な台本と時空を超えた編集を織りなしたために、
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)


「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。

但し個人的には「西郷どん」は大変に楽しめた。


ヒット、つまり大衆の熱狂の根底には共通した人間心理がある。

そしてヒットするものは人間心理に根差した法則の中にあることを本書は教えてくれている。

ヒットって本当に不思議なものだ。


本書、お勧めする。


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望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化 [独り言]

望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化



“痛い”謝罪・撤回の東京新聞、望月記者 自社の了承知らないまま発言…政治部記者「一緒にしないでくれ」:





菅官房長官「あなたに答える必要はありません」 東京新聞・望月記者は何を質問したのか?全文書き起こしでわかるマスコミの印象操作~ネットの反応:




日本には記者クラブという閉鎖的権力空間がある。
これ自体が権力的グループだ。
フリーのジャーナリストはここに入れない。
完全な村社会で、おまけに全く法的根拠もない存在だ。
 東京新聞・望月記者はその一員なのだ。
その連中が先日、官房長官の会見に対する異議として
200人程度のデモをしたらしい。
頭脳の構造が全く理解できないが、
そもそも自分たちを客観視出来ないのだろう。

彼らは権力を監視し、国民の知る権利のための最前線という自負があると言う。

しかし、昨今ネット経由で様々な立場から様々な情報が得られるようになり、

これまでテレビ、新聞等が我々国民に垂れ流してきた情報が、

相当に歪んだものだと判るようになり、信頼度が落ちてきている。


特に昨今、意識あると言われる庶民が見ているという

ネット番組の虎ノ門ニュースなどを視聴している人々は、

およそテレビや新聞の報道をまともに信じる事はないだろう。


実際私も、実はそういう理由から新聞を読まなくなったし

テレビニュースもチェックするだけになった一人だ。

それでも週1位で図書館でざっと新聞に目を通す事はある。

しかし、新聞を全く読まなくても

日本や世界の政治情勢を知り、理解する上で全く困らないと判り、

少なくとも新聞やテレビニュース等のメディアには情報依拠しなくなった。


そういえば、昨今通勤電車の車内で新聞を読んでいる人を殆ど見なくなった。

多くはスマホの画面を見ている。

ニュースを読む人、ゲームをする人様々だが、

新聞の需要が減っていることは確かだろう。


新聞社はその需要減の理由を理解していないようだが、非常にシンプルで、

記事の内容が読むに値しないからだし、

他の情報ソースの方が信頼できると考える人が増えたからだ。



さてそんな折、かねてから官邸ととある記者の間がゴタゴタしている。

東京新聞の望月衣塑子記者だ。

もう彼女についての問題は様々に語られているのでここでは書かない。


ただ、彼女の一連の言動を私なりに掻い摘んで言わせてもらえれば、

東京新聞はいつまでこのド素人を放置しておくのだろう?という事だ。


また後述するが、各社の記者は、彼女に関して何等かの意見表明をしないのか?

そもそもかなり長期間、を官房長官会見であのような低レベルの質問を投げかけていること自体が
国民に詳しく伝える事だろう。
しかし、朝日新聞のように切り貼りしてあたかも彼女が意味のある質問をしているように
見せかけるのはフェアじゃない。


彼女はいわゆる「困った人」に属する。

根拠も事実の確認もない、個人的な見解や意見を官房長官会見でぶつけて

東京新聞の代表として質問をするフリをして意見を表明し、

相手からその意見への回答を得ようとする行為を繰り返し行っているようだが、

言語同断である。


彼女が国民の知る権利を盾にこうした行為を止めないのは、

かなり公平に見ても異常と言うしかないだろう。

逆に言うと、彼女のくだらない意見表明のお陰で、他社の質問時間が無くなり、

我々が知るための機会を逸している事を理解しているのか?
つまり望月記者がやっていることは、仮に国民の知る権利のためなら、そもそも矛盾した行動なのだ。

また本来の質問力の無さを見ても、記者不適格者と言っていい。

(おまけに記者として全く成果を出せていないのも事実だし、彼女は政治記者でもない)


以前、彼女が出した本も読んだが、全く内容の無く時間の無駄だった。
噂では東京新聞上層部が官房長官会見に送り込んでいるようだが、
その怪しい人事差配に東京新聞社内でも異論が出ているとも聞く。


いずれにしても、東京新聞はこのような低レベルの人物を官房長官会見に出席させている。

普通に考えれば、この行為自体が東京新聞社の意思表明と言っていいだろう。

東京新聞社にとって、官房長官会見は、

望月氏程度の人材を置いておいて良いという意味だと解釈できる。


自民党の官房長官も舐められたものだ。
東京新聞の嫌がらせなのかと勘繰りたくもなるが、
官邸の様々な反応を見て、東京新聞上層部が笑っているとしたら、
東京新聞のレベルはその程度と言っていい。


しかし、こうした新聞者と記者たちの姿勢は、そのままユーザーに伝わる。

朝日と同じ左派系新聞と言われる東京新聞だが、

2019年に嘱託を経て東京新聞を退社した長谷川幸洋氏のような

出来るだけ多くの事実と視点に対して向き合っているようなまともな人材もいる。

そのため東京新聞ではかなりの異端者だったらしいが・・。


しかし望月氏のような超低レベルの人材を、

こともあろうに官房長官会見に出席させている事実はかなりいただけない。

企業ブランドを貶めていると言っていいだろう。
それでも東京新聞上層部のお達しらしいため、誰も何も言えないは、報道組織として情けない。


望月氏は、自民党は国民と記者の敵で、
国民の知る権利のために、安倍政権は厳しく監視すべき対象で、

加えて厳しく批判すべきというだけの立場のように見える。


国民の一人として言うが、望月氏だけでなく、国民は新聞記者にこのような事を頼んだ覚えは一度もない。

また特に新聞記者にそのような事も期待していない。


例えば朝日新聞の記者が書く政治経済関連の記事を読めば分かるが、殆ど左翼機関紙と同等だ。
おまけに朝日だけでなく大手新聞社の連中がいる本社は、国から払い下げの土地で連中はそうした会社に勤め、内部留保をため込み、発行している新聞は消費税の対象外であり、特権階層と言ってもいい連中だ。

加えて取材にはハイヤーを常駐させ、高額な年俸をもらい、自分たちの主義主張を記事と称して世間にバラまき、朝日に至っては、慰安婦問題を捏造して国益を損ねているような反国家的な連中なのだ。
日本の国民は一度も知る権利の使者を委託したことはない。


記者たちの全くの勘違いだ。
頼むから「国民の知る権利」を代理しているなんて言わないでください。
特に望月記者は。


もっと言えば、新聞記者たちよりも良質な情報を発信し、

批評、論評、批判する人たちやメディアや人は数多く存在する。

そういう中で現代の記者、新聞、テレビメディアがどうふるまうべきか、

一度謙虚に考えた方が良いだろう。


望月氏の大先輩である長谷川幸洋氏は、以下のように語っている。


政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う。

常時政府に反対する「私」ではメディアとして自立出来ない。

政府に対して自分たちはこう考えるというのが大事。

(メディアは)自信が無いのでしょう。

横文字を縦に直しているだけではダメ。

(横文字を縦に直しているというのは新聞が官僚発の情報を新聞に転載している事実を指す)


私は彼の見方に同調している。

ジャーナリスムを語るなら、まず是々非々だろう。

左系の人々には、権力はそもそも悪で、批判対象にしかならない・・と考える人が多い。

しかし、仮に再び野党が政権を取った時、それまで政権を批判してきたメディアは、

野党が成立させた政権に対して、どういった立ち位置を取るのだろうという疑問が起こる。

長谷川幸洋氏が「政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う」と語っているのは

そういう事なのだ。

また政権そのものは一定の民意の集大成だ。

政権と民意はある意味で一体で、あちら側とこちら側ではない。
また野党自身も民意の顕われだ。

そういう事を全く勘案せず、権力=悪=常時監視と批判という幼稚な理屈でメディアが時の政権に対峙しているようでは、メディアが自己都合や自己視点だけの報道と称する意見表明をしているだけでは、国民の心をとらえるメディアにはなれるはずもない。


解説、批評、論評は全く次元が違う。


本来、ジャーナリスムは出来るだけ多面的な角度から見た事実をテーブルにおき、

その事実に対して多くの視点に基づいた定量的で論拠のある解説を加えるのが筋だ。

また解説に私信は不要だ。


その上で、断りを付けた上で、個人もしくは組織の論評および批判を加えるのが本来の在り方だろう。


従って、記者やメディアは、権力側に対する知る権利を行使する国民の代理人なのだという考え方は全く否定しておく。

メディアが知る権利を行使する国民の代理人というのは余りにも傲慢な発想じゃないか。

少なくとも国民の総意として、知る権利の代理をメディアや記者に委託した事実はない。


そもそもメディアは権力の一部で、

記者はその一員として同じ権力側の政府と共生する宿命を背負っている。


情報を得るために、官僚からペーパーをもらい、

特落ちしないように他社とのロクな競争もしないで横並びの情報を自社メディア出し事に終始して、

解説、批評、論評を混同している。

また朝日新聞のように捏造紛いの情報を出してまで自説を世間にまき散らす連中や、

望月記者のように、近所のおばさんから聞いたような噂話を

官房長官にぶつけて回答を得ようとする低レベルの連中が

我々国民の知る権利のために働いているなんてどういう発想で言えるのか、全く理解に苦しむ。


多くのメディアが未だにやっているが、先に自分たちの主張に合わせた結論や記事の流れを決めておき、

それに合致するか補足する情報だけをかい摘まんで編集して、

公衆にタレ流すのだが、そういう事で世間を欺く時代は終わっている。


これはネットの影響力と言っていい。
これまで資本力で網羅的に情報を流してその情報を独占していたメディアは、ネットによる個々人の発信の影響力に脅かされる時代になった。本当に良かったと思うが、それによってメディアの嘘がバレ始めている。


大手メディアが森友、加計問題であれだけの時間とエネルギーを使った理由は、

そもそも憲法改正論者の安倍首相を首相の座から下ろしたかったからで、

国民の知る権利のためじゃない。


憲法改正はそれほど日本にとってタブーだが、

民主主義国家としての在りよう、また日本周辺の外交状況の変化、拉致問題などを鑑みれば、

憲法改正をタブー視しているようでは全く未来がないと言っていい。

しかし、朝日新聞を筆頭とした左派系メディアは、これに断固反対であり、

それは憲法改正が左派系メディアを支える反日集団にとってデメリットになるからだ。


しかしネット社会の現代では、そういう意図が全てバレている事を

主要メディア側の連中も理解すべきだろう。

こうしたメディア情報を鵜呑みにする人々を「情報弱者」と言うそうだが、

もうそういう人々が多数になる時代は時間を追って終焉に向かっている。



望月記者は、立憲民主党から立候補するという噂がある。

まあ、あの政党ならさもありなんという感じだ。

人選センスの悪さは天下一品だと思う。


話はちょっと変わるが、本来、野党第一党の立憲民主党が主導して

もっと建設的な形で自民党に向き合えば、

自民党に緊張感が生まれ、レベルの高い政治運営になるだろう。

しかし、少なくとも現在の立憲民主党を始めとする野党は、

全くポイントのズレたまた揚げ足取りのような政権批判や議論をぶつけているため、

完全に自民党に舐められている。

また、野党の各議員の経済オンチ度合いは、殆ど宗教に近いほど理解を超えた状態で、

安倍政権に舐められて当然なのだが、意識のある国民はこうしたバカバカしい対応を冷静に見ている。


こうした野党の体たらくのお陰で昨今の自民党にはかつてほどの緊張感がない。

安倍首相は、2019年11月で日本の歴史最長の首相経験者となるらしいが、

これを見ても、野党の体たらくを証明していると言っていいだろう。


しかし、これは国民として最大のリスクなのだ。


自民党に緊張感を与える政策提案や、時には自民党を上回る政策論議をしてこそ本来の野党だろうが、

ポイントがずれた政権批判、反対のための反対をしているだけの現在の野党には、
そうした可能性が全く見えないのが本当に残念だ。


よく、健全な野党という言い方があるが、維新を除く野党の人たちは、

どのようにしたら自民党に緊張感を与えられる存在になるかを、

もう少し謙虚に、また真剣に考えた方がいい。
厚労省の統計問題をアベノミクス偽装などと言っているようでは、永遠に政権交代など起こらないだろう。


立憲民主党も知名度だけは抜群の望月記者のようなレベルの低い人材を取り込もうとしていると、

党にとってもマイナスだと考えている。

(逆に言うと望月記者は最も立憲民主党にふさわしい人材とも言えるのだが・・)

失礼を承知で言うが、質の低い人材を取り込んだ集団は、低い方にレベルが合ってしまう。

立憲民主党や多くの野党がイマイチなのはそんな事も理由の一つだと言っていい。



2019年7月の参議院選挙は、本来ダブル選挙になる公算が強かったが、

野党の体たらくが凄すぎて、安倍首相は単独選挙でも勝てると見ているようだ。

10月からの消費税も、何故か安倍首相は実施に向けて心が傾いているという困った情報がある。

野党は消費税反対だろうから、もっと自民党とこの問題で対峙するば良かろう。


「民主党政権は悪夢だった」と言わしめたのは、安倍首相の余裕の現れだろう。

実際、民主党政権は本当に悪夢だったが、

あのような言われ方をするほど野党(特に元民主党議員)には、実力も資質の欠片もないのだ。

かつての民主党幹事長だった小沢一郎氏が、野党結集を呼び掛けているが、

どうでまた小沢氏を中心にした政党や環境を作り、自分で金や権力の差配をしたという下心を見透かされて求心力が全くない。私心があり過ぎると人は付いてこないが、小沢氏はその辺りの欠点が全く改善される気配がない。


安倍首相に「悪夢だった」と言わせてしまう現在の野党の酷さは、

そもそも野党自身が招いているのだから、責められるべきは野党自身だろう。


話を元に戻すが、記者としても三流以下の望月氏をいつまで官房長官会見に出しているようでは、

東京新聞の未来も明るくない。
東京新聞は、時折鋭い時期を書く新聞と評価している面もあるのだが、
先ほども言ったが、組織は低レベルの人材を入れているとそこに向かって引力が働く。

そろそろ記者クラブの連中も、「一緒にしないでくれ」と思っているのなら、
東京新聞に対して望月氏の暴走への対処を進言すべきだろう。


今の望月記者の在りようは、現代の新聞記者のレベルの低さの象徴であり、

また新聞のレベルの低さの象徴でもある。

加えて、彼女に野党が飛びつくとしたら、全く同様なのだ。



かつて、ビートたけし氏が書籍の中で言っていた。
「バカかどうかは質問で分かる」


情勢を俯瞰すれば、暫く自民党が下野することはなさそうだが、

前述したように、それは国民にとってある意味でリスクでもある。























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儒教思想の毒を知らずして韓国とは付き合えない [独り言]

儒教思想の毒を知らずして韓国とは付き合えない
意外に思う人も多いだろうが、これは事実だ。

2017年来、火器管制レーダーを照射で嘘を付き続けている件、
慰安婦財団の一方的解散、国家間で締結した約束の反故、
自衛隊艦隊の旭日旗掲揚へのイチャモン、韓国人労働者問題での韓国最高裁賠償判決。
挙句の果てに、安全保障上の利益を度外視して、
文政権は、2019年8月22日、GSOMIAの破棄を日本に通告してきた。

政治、外交の素人の私にさえも、この判断は信じられないものだ。
隣国に対してこうした表現をするのは気が引けるが、
現在の文政権の韓国は、国際的な民主主義の一員としての国家として全く体を成していないと言っていい。
正直言って、こんなに無能な政権を持つ韓国国民は悲劇である。

現在の韓国政権の中枢人材は、日本で言えば、60年代の左翼学生運動の幹部たちが、大人になってもその思想の虜になったままの状態だ。
簡単に言い切ってしまえば、妄想的理想主義者の集団だ。
これは左翼思想家の特徴でもあるが、「ベき論」が先にあり、リアリズムが殆どない。
だから多くの主張は、聴きざわり耳ざわりは良いが、言っている事を現実に落とし込めないため、支持者の失望が大きくなり、信用はガタ落ちする。
また当事者は大抵の場合、その失敗を外的要因に求めがちだ。(つまり人のせいにする)
文政権は、過去二年に渡り最低賃金を30%程度上げたが、その結果起きた事は若年労働層の失業率の悪化だ。

こうした経済、外交オンチの人材を抱く韓国政権は、過激な左翼系支持層が政権を握るとリアリズムよりも妄想に近いビジョンをもった幹部が国家運営している訳であるため、壮大なる「社会実験」を見せてくれているに等しい。
当然だが、2019年以降、中国の経済減速や対日及び対米関係の実質的な悪化も相まって韓国経済は右肩下がりになるだろう。実際、8月の時点で、対米韓国ウォンレートは1200を超えて安値圏内に入った。

2019年8月2日に閣議決定した「ホワイト国」からの韓国の除外は、日韓関係の緊張度を高くするだろう。
日本にその意図がなくても韓国側は勝手に緊張度を高めることになる。
GSOMIAの破棄はその一端でしかない。

ホワイト国除外の本質的影響を中長期の経緯で見ると、韓国の実害の度合いが思ったより軽微だと感じる可能性が高いだろう。しかし韓国人は、日本に格下げされた方に視点が重すぎて、冷静な影響を全く見ようとしない。これは国民性なのだろう。
本来、韓国政権も国民も、余り感情的にならない方が得策なのだが、
かの国の国民は激情型が多いので余り期待できない。

歩み寄りの期待があるとすれば、韓国にプライドを超える相当な実害を感じた場合だけだろう。実利的民族だからそういう行動癖になる。

日本政府の今回の措置が中長期に渡ってどのように影響するかは諸説ある。
しかし、いずれにしても我々日本人は、韓国の人々がどのような考え方をする民族か学習する必要がある。

以下に韓国の人々の基本的な思考や行動様式を列挙しておく。

◎上・下関係を明確にしたがる。彼らの上・下は、金銭的地位、社会的地位、先輩後輩、目上目下などに及ぶ。
なお、一旦自分が高い地位にいると思った瞬間に、態度が豹変することが多い。
彼らが下手に出てくる時は、金銭的地位、社会的地位などを得ようとする場合が多く、それ以外の動機は殆ど持たない。従って、実利的な考え方が行動動機の主体となる。

◎頭脳労働者の地位が圧倒的に高い。士農工商の士が一番なのはそういう意味だ。
従って肉体労働、手作業を伴うもの(製造、職人等)等の社会的地位低い。
後述するが、韓国に老舗が無い事実や製造業が育ち難い点、また基礎研究分野が全く育たないのはこうした理由だ。

◎一旦罪を認め、謝罪をした者は、永遠に謝罪相手に責め続けられ、許される事はない。
極端な言い方になるが、韓国人への謝罪は、永遠に続く謝罪の始まりなのだ。
罪を犯した者は永遠にその罪を背負い、死んだ後もその罪が消える事もない。
これまで日本人は、韓国人の「謝罪」の意味を正確に理解しておらず、それはすなわち韓国人を理解出来ない根幹的なものだ。

◎一旦親しくなると、相手の所有物も自分の所有物のように考えたり、実際に利用する傾向が強い。こうした他人との距離感の無さは、日本人には理解しずらい面だが、家族、一族とそれ以外の思考は彼らにとって普通のもの。韓国相手の議論がミソクソ一緒になって見えるのは、そういった生活習慣が影響していると言っていいだろう。
従って自分、家族、一族の順番に実利の範囲が拡がるため、自分の実利を棄損してまで公に奉じるという感覚は薄い。韓国の大統領が毎度毎度身内のスキャンダルで逮捕、拘禁されるのは、この辺りが理由だが、この辺が日本人として一番理解に苦しむ所だろう。

◎中長期的な視点、視野で事やモノを考えたり、組み立てたりすることが非常に苦手。しかし、短期的な爆発力は凄い。

◎遡及法なるものを作り、過去の犯罪を現在の視点や価値観で裁く事を全く厭わない。こうした法律を持つ国は、先進国にはない。

◎理念的なため、事実の蓄積よりも、自分たちが希望、妄想する事を現実に当てはめようと四苦八苦してしまう。歴史の見方が日本と全く合わないのはこういう背景がある。
◎「恨」と言われる根深く陰湿な通底的な思想があるが、これは歴史的に韓半島の人間が、様々な国や文明から長年に渡って干渉や攻撃を受けたために宿ったものと思われ、被害妄想的であり、また理解不能なほどの鬱屈した劣等意識と、妄想的に高いプライドのギャップに産まれたものと思われる。
少なくとも上記記載の行動様式を理解していれば、韓国人の考え方、発言を見聞きした際、日本人や西洋人が、「ああ、あの事か・・」と思うだろう。

さて、韓国が周辺国にかなり配慮した外交をせざるを得ない理由は、GDPが相対的に低いからで、輸出依存国家である以上、対外に敵を作るのは戦略的に正しくない。
その韓国が日本に対して過剰な反日的外交姿勢を維持をするのは、本来の戦略から大きく外れる行為だ。

しかし注意が必要だ。
韓国人にも多くの優秀な人材がいる。また彼らは追い込まれた際の爆発力は相当なものなのだ。
日本政府、国民はそういう部分における韓国人の力を過小評価せず、1つ1つ冷静に対応すべきと思っている。
さて、かつて日本の民主党政権下の悪夢と言っていい時代があったが、文政権はそれよりも遥かに悪い。
現在の韓国経済は、我が日本の左派政党である立憲民主党の党首、枝野氏やれいわ新選組とやらの山本太郎氏らが主張する、「金利を上げたら経済が良くなる」「最低賃金1500円を目指せ」「奨学金を全部チャラ」という耳障りは良いが、全く現実から乖離した経済オンチ発言が文大統領を筆頭にウジャウジャしているために、現実的で戦略的な国家運営や経済対応が出来ない傾向が継続している。

文政権は、前述したように、最低賃金を引き上げて雇用者の賃金上昇に寄与したが、そのお陰で中小企業は解雇に踏み切り失業率は高くなってしまった。これは日本のまともな経済学者が前から指摘していた事だが、その通りになった。
左派政党の経済オンチは世界共通だが、こういう政策を実行する当たりに彼らの無能さが垣間見える。日本には上記に挙げたように、似たような主張をする人たちがいるが、韓国の失敗を全く研究していないようだ。

文大統領のように弁護士になれるほどの知能を以っていても、経済の基礎すら理解出来ないのは不可解だが、これは当然の帰結だ。
経済は理数系の世界で、文系はその点において不利な分野だ。
しかし、経済の基礎的な部分を理解するのはある程度の学力のある人間なら可能だ。従って、こうした人たちは、勉強不足と言うだけだろう。

経済が不安定になれば政権への支持は落ち、やがて民衆の不満は高まる。
特に輸出頼みの経済環境である韓国が中国に依存出来ない中で日本に喧嘩を売っている辺りを見ても、全く戦略性がない。
なお、韓国の方々の名誉のために言っておくと、
現在の状況を必ずしも良いと思っていない良識的で比較的公平なモノの考え方をしている人たちが一定程度存在している。彼らを保守派というが、こうした人々は韓国国内では公に意思を表明しにくい。
韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究委員)は、『反日種族主義』と題する本を発刊し、韓国で8万部を突破する勢いで売れているという。
彼は韓国人からも敵視されながら、研究した事実を表明した数少ない学者だ。こうした動きは韓国ではまだ少数派だが、今後の日韓関係を冷静に進める上で、希望の光かもしれない。

実は、1965年の日韓基本条約において、1910年から始まった日本の韓国併合が、法的整合性があるか、ないかについて、実は明確な記載はなく、双方の異なった立場があることを認めるだけなため、双方にとってそれぞれの理論武装が正当性を持つという穴がある。

また、慰安婦問題に関する日韓協定の事実上の破棄、レーダー照射の嘘、その他、韓国の現在の在り方に関して、
過去の政権で駐外大使経験者たち40名近くが、文政権に対して、国際社会の一員としてもっと近代的民主国家としての振る舞いをするようにと抗議声明を出している事実がある。

そういう意味で、我々日本人が知る以上に韓国国内にも冷静で良識的な人たちがいるのも事実だが、一般的な意味で言うと、韓国人にとって反日は、空気のように当たり前でありながら、それに反して、年間700万人余りが日本に観光に来ているという理解し難い事実もある。
韓国国内では親日は悪とされるのに、何故彼らは日本に来るのか?

この不思議な疑問に、端的な回答を寄せていた方の意見を見つけた。

女優の黒田福美氏「韓国には日本人の怒りが伝わっていない」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00023/030700004/?P=1

彼女は35年に渡る韓国との付き合いから、記事のような発言に至っている。
要約すると、韓国人にとって「損得」が重要であり、加えて発した言葉には責任を感じない民族である、という見解だ。これは私は上記で記載してきた主張に合致する部分が多い。「損得」が重要=損得勘定で考え行動するということだし、言葉には責任を感じないというのは場当たり的でも社会的制裁が少ないという事だ。
日本人には信じられないが、言葉には責任を感じないで何故社会生活が営めるかと言えば、そこには上下関係だったり、社会的地位が関係しているからだ。

黒田氏の見方は、18年近く韓国と仕事をしてきた私にも非常に理解できる見方だ。
だから現在の私はそのように彼らを見ているし、
実際、それによって彼らの行動を良くも悪くも「読める」ようになった。

我々日本人は「言霊」の民族だ。加えて「損得」は「善悪」の前に来ない考え方をする。
(実は韓国にも言霊に近い考え方はあるが、我々とはちょっと感覚が異なる)

この決定的なすれ違いが韓国の行動の理解を難しくしている。
従って日本政府は、韓国と対峙する際、彼らの損得と民族的思考の特徴を見極めて付き合わないと
日本側に有利な状況を作り出せないのだ。

2019年7月になって、日本は韓国をホワイト国から外すと通告した。
単純な安全保障上の措置だが、韓国国内は、この対応に右往左往している。
彼らにとって、経済成長し、先進国になったという自覚にある中で、
日本から「格下げ通告」をされた事は、我々の想像以上に彼らのプライドを棄損したと感じている事だろう。

しかし、日本のこうした対応を予見していなかった韓国の方がお目出度いと思うのだが、
どうやら韓国政府にはリスク管理と言う発想がないと思われても仕方ないだろう。

冒頭に記したようなあり得ない事をやり続けて、特別待遇されない判断を知って国民は右往左往し、日本の製品を不買運動する辺りは韓国の痛々しい所だ。
不買運動、観光取りやめをしても、韓国経済に大きな打撃を作るし、
アメリカに泣きついても、日本はこの件を事前通告しており無意味だ。

また、韓国のシンクタンクの情報では、主要産業(繊維、ケミカル、車両船舶製造等)の日本への部品依存度は90%を超えると分析されている。
韓国は、日本なしで製造産業が成立しない弱点を知っていて当然であり、
大局的国益を考えれば、あれこれと日本にケンカを売るのは損であると分析できるはずだが、文政権にはそういう計算が出来る人間がいないようだ。

我々日本に跪けとは言わないが、日本と敵対的で、不利益にならない対応をすると自分たちのためにならないなら、当然の付き合い方がある。
ホワイト国を外されると宣言され、初めてこうした事実に直面して慌てふためく辺りが、中長期でモノを見れない韓国の特徴が出たケースだ。
文政権にはもう少しましなエリートは居ないのか? 笑。

さて、話を元に戻すが、韓国側が日本に対して使う常套句の中に、「歴史の正しい認識」がある。
しかし、残念ながら韓国及び中国ほど「歴史の正しい認識」を行った形跡のない国は国際的に見ても珍しいと言っていい。
なお、敢えて言っておくが、日本の歴史教科書も特に近代史において相当歪曲された部分がある。

韓国と中国は、それぞれ自分たちの理想の歴史があり、現実に起きた事象を都合よくはめ込み、それを正史としている。言わば、神話のような世界を現実の歴史と言い張るのが彼らの歴史感なのだ。
これこそが儒教の持つ毒の一つと言っていい。

従って日本人や国際的な視点や客観性を持つ歴史学者らと韓国や中国の歴史認識が合致するはずがない。
それは数学を理解出来ない人々にブラックホールの存在を教えるようなものに近い。

特に韓国の難しい所は、儒教の毒を背景に、世論や政権の在り方が、左派・右派の「覇権争い」になりがちで、国家国民が民主主義的手続きを尊重してまとまろうとしなかったり、何かあると市民パワーという力で解決しようとする点にある。
これは中国の長い歴史が、覇権争いによって生まれてきたことで証明しているし、中国の一番弟子である韓国は、その中国の思想の影響を未だに受けている外的証拠でもある。

従って現代においても、パク政権が大規模な民衆デモによって瓦解し、文政権が誕生する経験をしてしまったため、民主的で冷静な経緯、つまり法理と民主主義の総意という手続きを経るよりも、一気に市民パワーという力技で政権を打倒してしまう訳だ。
またこうした成功体験は、今後においても同じような事を繰り返す土壌を作ってしまったことになり、韓国の民主主義を前近代的な時代に戻す副作用となるだろう。つまり、韓国の民主主義は未だに成熟していないということだ。

どの国にも「それぞれの民主主義がある」という言い方はあるのだが、韓国の場合、今でも中世のような前近代的な制度で生きる国民性があり、例えばだが、韓国は自らを法治国家とは言っているが、実態は民治(情治)に近く、世論や世情に流されやすい。
韓国には過去の過ちを現在の法律で裁く遡及法があるが、これだけ見ても、韓国がOECD先進国とは視点が違う国家だと解る。(韓国が過去の犯罪行為にシツコク謝罪を求める理由は、こうした遡及法を生む土壌と一致している)
従って社会に客観的なグリッドが無く情痴が優先するため、複雑な問題解決を求められると感情が先に走り実力行動になりがちなのだ。
パク政権の瓦解はこういう背景で起きている。

日本を振り返っても、戦後の混乱期、左派系が強く、労働争議も頻発しており、また60年代から70年代の学生運動や内乱状態を見ても、民主主義の黎明期には共通する部分がある。
しかし、日本は連合赤軍の悲惨な事件を経て国民が冷静になり、辛うじて暴力的意思表示をする方法から脱した。

韓国は民主化されてまだ24年程度で、民主主義の使い方に慣れていないとも言えるが、政権が変わる度に社会構造までが変わり、法の解釈までが大きく変わってしまう現状は、行き過ぎ感が拭えない。
いずれにしても、儒教+民主主義は非常に食い合わせが悪いのと、親北朝鮮で極左と言っていい文政権の動向は、今後、特段の注視が必要になる。

韓国では当たり前の行事だが、政権が変わると前政権を担った大統領や幹部が逮捕、拘禁されることが多い。
これは、儒教思想にある毒の一つの現れだが、儒教が内包する、易姓革命的な思考によって、過去の過ちを糾弾し、また覇権争いに負けた側に対して極端な対応になるのは、中国の歴史と殆ど似た経緯であり、これは、中国発信の儒教が現在においても韓国を支配しているからに他ならない。
最近文大統領は、「親日の積弊」と言い始めているが、儒教の毒は、とにかくその時代の権力者が過去を書き換えようとすることにエネルギーを注ぐ点だ。

私はこれらを「チンピラの難癖」と呼んでいるが、歴史や価値観を自分の思うように書き換えようなんて成熟した社会の国家がやることとは思えないが、それが韓国の実態なのだ。

儒教思想は、元来中国が起源を持っている。
あの孔子だ。
儒教の解説については、私のような学者でも無い人間が解説するよりも、専門家の本を読むことをお勧めするが、
本質的には人間の生き方における意識について説いたものだが、結果的に権力者にとって国家を中央集権的に運営するために非常に都合の良い思想として使われたとだけ言っておこう。
もちろん孔子を起源とする時代から、思想そのものは時代と共に変化し、朱子学等に発展し、
その時代の権力者の使い勝手が良いように解釈されて運用されていた部分は多い。
本来は非常に奥ゆかしい思想なのだが、次第に摘まみ食いされて権力者に使われてしまった経緯がある。

日本人は、儒教と聞くと先祖、目上を敬うようなイメージを持っている人たちが多いだろう。
あの、「仁」「義」「礼」「知」「信」が持っているイメージだ。
それはそれで正しいのだが、表向きとは違い、儒教は、ちょっと変な解釈を加えながら発展してゆく。

有名な例だが、戦場で指揮を執っている司令官の母親が亡くなったという報が司令官本人に伝わった際、その司令官は持ち場を離れ部下に託し、母の葬式に駆け付けたと言う。
日本人は基本的に私(わたくし)が公に勝ることがないため、こうした行動が信じられないが、儒教思想の国では100%正しい行動となる。
これは「孝」に関する考え方から発展したのだが、儒教の孝の考え方は、公よりも個人(家族)を中心とした考え方が強いからだ。
従って、古代中国では、皇帝の身内や外戚に大きな権力を与える根拠ともなり国の運営を難しくした歴史がある。中国人、韓国人は家族や親戚、また仲間と称するサークルに対する接し方が日本人に比較して、湿度の高さを見せるが、それは彼らが儒教思想の国民だからなのだ。

韓国では大統領が任期を終えると、家族、親戚にまつわる様々なスキャンダルが発生し、大統領本人が投獄されるケースが多い。
実は、これは「孝」の毒なのだ。
先ほど、儒教の孝の考え方は、公よりも個人(家族)を中心とした考え方が強いと書いたが、韓国のスキャンダルの根源はここにある。
加えて儒教思想では、相互互助の感覚も強い。仮に貧困家庭だが頭が良い子供がいると、家族、親戚が資金的援助をして、その子供を高い学歴へ押し上げてくれる場合がある。普通に見れば、とても良い話だ。
さて、仮にその子供が出世して、大統領になったとしたらどうだろう?
資金的援助をした家族や親戚縁者は、「孝」の代償を得ようと群がる。
何故なら「孝」は”公”よりも”私”を優先するからだ。
理屈では権力者の身内への利益供与は良くないと理解していても、「孝」から離れて判断することはできない。
これが韓国の大統領スキャンダルが永遠に無くならない根本的な儒教思想の弊害なのだ。
パク元大統領には夫も子供もおらず、こうした親族への利益供与がないだろうと期待されていたが、それよりも悪い形で権力を悪用した連中に侵された。

文大統領の北朝鮮へのシンパシーは、単に同じ民族というだけでなく、この「孝」にまつわる部分が大きい。
特に北に出身を持ち韓国で生きている韓国人(文大統領の両親は北朝鮮出身者)にとって、北にいる自分の身内への「孝」を果たしていないことは非常に重いのだ。

話を元に戻すが、現行の韓国左翼政権下では、親日的な言論や保守層の意見は圧倒的に封殺され、
公務員であれば日本を利するような政策に携わった人たちが軒並み人事的に不遇な状態に置かれる。

従って韓国国内で親日寄りの発言を標榜するのはこれまで以上に困難だ。
元々韓国は、日韓併合の記憶によって、反日を共通の価値土壌としている社会であるために、
日韓併合のプラス面とマイナス面を正当な形で評価し、議論しにくいというジレンマに陥ってもいる。

韓国には独立記念門があり、ソウル駅にほど近い場所に、大きな門が立っている場所がありますが、多くの韓国人は、日本からの独立を記念したものと勘違いしておりますが、あれは中国(正確には清王朝)からの独立を記念して建てたものなのだ。

おまけにその独立は、日清戦争で日本が清に勝った事で成し得た訳ですが、韓国人は自主独立という妄想を歴史に書き込みたいため、普通の韓国人たちはそうした事実を習わない。
また1965年の日韓条約締結で得た当時の韓国GDPの2倍近い賠償金や日本の技術協力で行った経済発展事業も、全部韓国人の手柄として歴史に書き込まれている。
そういう基本的な所から間違って刷り込まれているのが韓国の歴史感の痛い部分だ。

従って100年経っても日本と韓国の歴史認識が一致することはなく、日本はそういう事にエネルギーを取られるべきではない。放置して無視しておけばいい。
それでも近年の韓国の若年層は、高齢者に比べて反日的な視点が若干薄いのも事実だ。
特に若年層には韓国の一般社会的にある反日感と日本への親近感が綯交ぜになっており、
我々から見ると、日本に対する感情が二層三層構造に見えている部分がある。

しかし、そうした若者たちでも親日を公言するのは社会的な死を意味し、韓国国内ではできない。
訪日外国人が増える昨今、2017年は700万人余りが韓国から日本に来ている。
反日の国民が何故日本に来るかと言えば、純粋に日本が良い場所だと考えているからだ。
あれだけ反日反日と言っている連中がヒョコヒョコ来日するのは、韓国人が実利的国民である査証だ。
言い方は悪いが、信念が全くないと言っていい。

強いものに巻かれ、弱いものを腐すのが韓国の特有な在り方と言っていい。
事大主義とも言われるが、これは韓国の歴史が、中国という大国や、モンゴル等から長年に渡って侵略や攻撃を受け、子孫生存のために身に着けた彼らなりの「サバイバル術」なのだ。
そういう背景を知っていないと韓国人とは付き合えない。
過去に、慰安婦問題において、韓国人の社会が信じているものとは違う真実や事実を取り上げて
著作にまとめた韓国人女性作家が名誉棄損に罰せられた上に、
裁判所の判決によって本の内容の書き換えを余儀なくされた事件があった。
「帝国の慰安婦」という書籍だが、本来の民主国家なら、こうした判決は言論の自由の封殺であり、民衆は戦うべきだが、慰安婦問題のタブーを扱ったものでもあり、誰も援護射撃をせず、司法までが言論封殺を支持するという異常さを見せたケースだった。
イ・ミョンバク、パク・クネと2代続けて大統領経験者が刑務所に入っている事実やパク政権下の最高裁判事が、慰安婦問題の判決を故意に遅延させた容疑で逮捕、拘留される事実を見ても、韓国の前近代性と異様さは、我々日本人は理解を超えた存在なのだ。
しかし当の韓国人は、何故自分たちがそういう思想を持っているか全く理解していない。

韓国人には空気のように当たり前であるため、普段は全く気が付いていないのですが、彼らは儒教思想国の国民だ。日本も江戸幕府があった時代、朱子学という似たような思想に染まった社会だった。
みなさんも「士農工商」は聴いた事があるでしょう。

「士」は、困難な試験を突破した国家官僚を指しますが、日本ではサムライがこの位置におりました。
日本に残っている最後の儒教思想の痕跡は、今でも霞が関に残っており、それは、国家公務員上級甲種試験、いわゆるキャリア組を選抜する公務員上級試験だ。
官僚は、資質や人間性や技術力に関係なく、試験で高得点を取る事だけでエリートコースに入る事が出来ます。中国では「科挙」と呼ばれたシステムですが、これが儒教思想下で、現代に残る前近代的エリート選抜システムです。
頭はいいかもしれないが、回答のあるものしか回答できないという特殊能力だけに秀出た人材が果たしてどこまで複雑怪奇な回答を必要とする社会で有用なのか? 
私には理解不能です。(それでも優秀な人材がいるのは事実ですが、頭が良いだけのバカもおります)

韓国は日本を超える学歴社会なのはご存知と思いますが、これは中央集権国家を維持するために好都合だった儒教思想に内在する副作用のためです。韓国にも官僚はおり、大きな力を持っておりますが、官僚以外では、サムスンなどの超一流企業へ入る事が社会的ステータスを上げるために必要で、それは全て学力と紐づいております。
高い学力こそが最も高い社会的ステータスへの近道なのです。故に学歴社会は過熱する訳です。

また「商」は一番下ですが、日本のサムライたちが商売を忌諱した江戸時代は、儒教思想の影響下でした。これは士は商に関与しないという点と、金を扱う商は、社会的地位が低いという意味でもあります。

幸運にも、明治維新の大改革によって儒教思想は根絶され、西洋社会の価値観を輸入し定着させたために、
消し去られました。
これは日本人にとってとても大きな利点となりました。
しかし、韓国は現在でも純然たる教思想国なのです。
儒教には親孝行などに代表される孝や義を重んじるという良い面もあるのです、それに伴う副作用も多くあります。その1つ目の副作用は、祖法を守る抜くという考え方です。
これは孝や忠の流れにある考え方なのですが、
祖先に背く事になる場合、過去の考え方や方法を変える事が合理的に出来ないのです。

例えば、歴史的に祖先を否定するような歴史観は、儒教思想の国では取りません。
実際韓国には、過去の歴史的人物を悪く批評すると、その遺族から訴訟を起こされます。
日本で言えば、徳川家の歴史に関して、仮に悪いと思われる事実を書いても歴史的事実であれば仕方ありませんが、韓国ではこうした事が訴訟対象になります。
従って韓国では正しい歴史を記録し伝えるのが殊更に難しいのです。
韓国人は気がついておりませんが、これこそは祖法を守ろうとする儒教の毒の一つであります。

従って、儒教思想国には客観的な歴史観は根付かず、こうあって欲しいという主観的な歴史しか残りません。
これは歴史でなく、ファンタジーです。
現在、文政権が韓国の最初の設立時期と場所を、自らが信じて止まない説に変更しようとしているらしいですが、そういう客観性のないことをやりがちなのは、儒教思想国の特徴と言っていいでしょう。

徳川家康が朱子学という儒教を日本的に改訂し、当時の政権維持に採用したのは、
「祖法を守る」+「忠義、孝」=「長期安定政権の樹立」+「政権の安定移行」という点にあったと言われております。
特に孝や忠の考え方は、武家社会における主人への恩に全てを捧げるという考え方にも通じる部分があり受け入れ易く、加えて、戦国時代のような、覇権社会の不安定さからの脱出をするために使い勝手が良かった訳です。
2つ目の副作用は、罪に対する考え方です。
罪を犯したもの、罪を謝罪した者は永遠に罪人であり
罪人は永遠に被害者や社会の下僕となるという考え方です。
儒教が持つ強烈なこの思想は、「恨」の根源ともなっております。

韓国人にとって、日本の植民地支配や慰安婦問題等は大きな国家犯罪であり、
日本は大悪人であり、当然の事であるが、日本が謝罪をするという事は、
日本が大罪人であることを自ら認め、また永久に韓国の下僕になるという意味になります。

現代の日本人にとって謝罪とは、「罪の清算」のためで、終わりを意味しますが、
韓国に対する謝罪は、「罪の清算の開始」を意味します。

過去の日本の政権が慰安婦問題等に対して外交的に最大値で謝罪しても、
政権が変わる度に日本への謝罪を要求する韓国のシツコサは、
我々日本人には全く理解できない厚かましさなのですが、
これは、韓国と日本の謝罪に対する意味や考え方が全く違うためです。

韓国にしてみれば、謝罪=罪を認めた=罪人は永遠に罪人、という公式になりますから、
日本側は、韓国に対する謝罪の方法がとても難しい事ことを理解しておくべきでした。
従って日本的な感覚で彼らに謝罪すれば、受け入れ白紙にしてくれると誤解したのは、
特に河野談話などを含め、政治を司る人たちの対応としては痛恨でした。
謝罪=罪を認めた=罪人は永遠に罪人、と考える韓国が、「謝罪を受け入れる」という意味は、
韓国が必要な時に必要な謝罪を日本に要求すれば、日本はいつもでそれに応えるという意味で、
決して清算を意味していないのです。

特に外務省はこうした事を政権側にキチン助言すべきだったが、
どうやら日本の政権は、外務省のコリアンスクールの連中(韓寄りに思考する連中)に騙されたと言っていいかもしれません。
従って、残念なのですが、霞が関や政治関係者には、反日的で国益に反する事を厭わない反日的な日本人がいる現実と事実を知っておきましょう。特に日本の左派政党は要注意ですし、自民党内部にもそういう連中が潜んでおります。

韓国がレーダー照射においても謝罪もせず、日韓合意を事実上破棄する姿は、
明らかに現在の韓国にとって日本は下僕であり、取るに足らないと宣言しているに等しい訳ですし、
下僕相手に何かを斟酌するはずもない訳です。
彼らは自分たちを栄光ある王朝の末裔という自負がありますから、なおさらでしょう。
もっと簡単に言えば、儒教思想国は、中華思想なので、日本は彼らにとって夷狄(蛮族)なのです。

一連の違和感は、上記のような思考を背景としている点を理解していれば、成る程ね・・と分かる次第なのです。
しかし、実利的な韓国人は、自分たちが経済的に困った時には、これまでの経緯などそっちのけで腰を低くしてお願いに来ます。日本への通貨スワップの要望もそうでしたし、文政権が言う「ツートラック」も同じ意味です。
日本は嫌いだが、韓国のために役に立つのなら、その点については経済の門戸を開いて上げてもいいよ、という上から目線は、儒教思想国の常です。
小泉政権下で、拉致被害者が日本に帰還した背景も、米大統領のブッシュの強力な敵視政策と、経済的困窮が理由だった訳で、そういう事がないと連中は事を動かしてません。
極めて実利的なのです。
加えて儒教思想国は中華思想国なので、実力かそれに相当する事で理解させる以外なく、話し合いだけでは無意味です。

現在の北朝鮮も同様ですが、アメリカの軍事力にこそ恐れを抱いており、2018年初頭に本当に北への攻撃の兆候があったためにキム主席は方針転換した訳ですが、武力が有効でない日本に対しては斟酌する必要すらないので、拉致問題が進展しないのもこうした背景があります。

安倍政権が憲法9条を改正する動きへの動機の中には、中国の脅威への対処がありますが、同時に北朝鮮と朝鮮半島の予測不能の脅威に備えるという意味も含まれます。
現在、日本は、中国、北朝鮮とロシアに核で囲まれており、辛うじて米軍の核の傘で対抗しているにすぎません。我が国は、圧倒的に丸腰であり過ぎるため、憲法9条を改正しなければ、日本の安全保障に対応できないというは言い過ぎではないでしょう。

さて、韓国のこうした不可解な行動は、地政学的に、中国、ソ連、モンゴルなどの地域から、長い歴史を経て虐め抜かれたことによって、彼らのDNAに深く刻まれてしまった生き残り策なのでしょう。

2018年末に韓国の文という国会議長が来日し安倍首相と面談しましたが、
首相が謝罪すれば全て終わると言ったそうです。
また同じ人物は、ブルーンバーグの取材で、天皇が慰安婦の方々の手をとって謝罪すれば終わると言い、問題になりましたが、韓国の手法はいつも同じです。

繰り返しになりますが、彼らの「謝罪によって終わる」というのは、日本的に言う謝罪で清算されるという意味でなく、謝罪によって罪人が罪を認め、罪人を攻め続けることが「始まる」という意味です。

韓国の韓国労働者問題に関する最高裁の判決は、現代の国際社会では理解できませんが、
その原点的な考えは、「日韓併合は悪であり日本は永遠に悪の対象だ」=「悪を認めた相手に対しては、どのような合意も成立しない」=「従って悪を認めた相手との合意は大したものではなく、いつでも破棄出来る」という思考なのです。
恵泉女学園大学の李 泳采(イ・ヨンチェ)氏という准教授がBSフジのプライムニュースで、
慰安婦問題等に関し日本は、永久に韓国に対して謝罪をしなければならないという趣旨を
発言していた事がありますが、こうしたキョトンとする言い分を日本の准教授クラスで出来る不思議な思考回路は、韓国の人たちが上記のような考え方を根底とする儒教思想国の国民である事を証明していると言っていいでしょう。
東海大学教養学部の金慶珠(キム・キョンジュ)氏も全く同様のレベルなのだが、この手の輩を日本のメディアに登場させ、韓国の考え方を披露することは、日本の言論の自由からやぶさかではないが、ともすると日本のメディア群が、国益に反したような考え方や手法を、手助けし、拡散し、後押ししてと思わせるような場合も散見され、非常に憤りを隠せない訳です。

余談だが、韓国には日本で言うような「老舗」が全くありません。
また韓国では、「老舗」が全く社会的評価を受けません。
これは事実です。探してもありません。
理由は簡単で、儒教の特徴的な副作用の現れだからです。
しかし、韓国人は、これに全く気が付いておりません。

何故か?


儒教思想にとって、「商」は最下位に来る職業であるのと同時に、
職人技のような「手作業」からなる技術や素養は、
頭脳労働を最高位として尊ぶ儒教思想において
社会的な価値の高いものではありません。

社会的な価値の高くない職業は、韓国人にとって決して名誉な事ではないため、
そもそも次世代に技術を継ぐという発想がありません。
彼らにとって価値があるのは「士」の位置にいることなのです。

実際、私の会社にいた韓国人の実家は、マッコリの生産をしておりましたが、
その人物の兄弟の誰も、父の事業を継がないと言っておりました。
理由を尋ねると、それが韓国では常識という回答でした。
その方は理由を言えませんでしたが、考える事もないほど当たり前という事でした。

また韓国でノーベル賞が出ないのは、地道にコツコツと研究することが社会的に評価されないからです。
日本のノーベル賞受賞者たちは、長年に渡って自分たちで「手を汚して研究」してきた人たちばかりです。
韓国ではそういう事を評価しませんから、従ってこうした手法が必要な分野では、ノーベル賞は出にくい訳です。
但し、頭脳型の発想と証明だけでノーベル賞級の発明や発見をする可能性はありますが、果たしてどうでしょうか?

韓国人にとって、社会的地位を得るためには、頭脳労働者が得られる高い地位に行くか、
それと同等と思えるような地位を、別の形で得ようとします。
それが「金(money)」です。
韓国では、金持ちになることによる上層社会への参加は、判り易い社会的成功として認知されます。
これは日本以上でしょう。(日本にも結構そういう輩がいる事はクオートしておきますが・・)
年収が高い事=偉いという単純な思考回路を持った人間は、社内にかなり多いと感じます。
従って「金」を儲ける事が人生における最大の関心事になり、常に目先の利益を求めがちになります。

私も多くの韓国人と仕事をして参りましたが、
大抵の場合、自分が金持ちになれるかどうかが一番の関心事のようでした。
日本のように組織に対する忠誠はなく、自分ファーストが多かったです。
これは、韓国のサラリーマンの多くが40歳で事実上の定年を迎え、残りの人生を自営でやらなければならないという厳しい現実が背景にあるからとも言えます。
この点は、日本とは違う社内情勢が影響していると言っていいでしょう。

リタイアを余技なくされた人たちの多くは、自営業か、飲食業か、いずれにしても起業を意味します。
従って金の工面が人生の大半の関心事になってしまう訳です。
確かに大変です。気の毒だなとも思って見ておりました。

従って特に自分の周囲に成功して金持ちになると、直ぐにそれに追いつけ追い越せと必死になります。
成金という言葉がありますが、韓国で金持ちになった人たちの多くは、この言葉にピッタリだと言っていいでしょう。

もちろん、こういう範疇に入らない優秀でキチンとした方も存在して事実は書いておきますし、
一面的で単純な見方は危険だと思っており、私も注意をしながら書いているつもりです。

しかし、実施のビジネスの現場で、賄賂を要求してきたり、自分の口座に金を振り込ませようとしたり、
またプロジェクトをでっち上げて金だけ貰おうとしたり、日本の著名な会社との繋がりを吹聴して国内で金を集めて逃げたりと、今でも怪しい連中がいる事実はあります。まあ、日本にも昔、沢山居ました。

韓国人とビジネス経験のある日本人は、ウッスラ理解できると思いますが、
金に対する執着と金にまつわる態度が日本人のそれとは大きく違います。
ある意味で非常に実利的であり、また大法螺吹きが多い印象を持っていると思いますが、
それもこれも儒教の副作用と言っていいでしょう。
韓国に行って名刺交換をすると「理事」と書かれた肩書の連中の多さに驚きますが、
中身より表向きが大事な民族性の現れでしょう。
(理事という連中で仕事の出来る人間を見た事がないのも不思議な事実)
こうした流れを見れば判るように、
韓国が日本に対してしつこく謝罪をしろと言い続ける背景には、上記のような思想があるのです。
故に、レーダー照射問題で韓国が瑕疵を認めて謝罪することは絶対ないでしょう。
天皇陛下への暴言も謝罪するはずがありません。
また今後も我々に嘘を付き続け、困惑させるに違いありません。
そういう国家であることは理解しておくべきでしょう。

1965年に日韓の条約締結を反故にする韓国人労働者に対する判決と政府見解は、儒教思想の毒の現れです。
日本の植民地支配→罪人の悪行→日本は永遠の悪→罪人は韓国民にとって奴婢と同じである→だから永遠に謝罪して当然、という思考連鎖であるために、国際協定や条約を無視しても彼らは全く平気なのです。
日本が悪であり、それが全てだからです。
現在刑務所にいるパク・クネ元大統領が、西洋社会で日本の悪行を殊更のように喧伝していたのは、
こうした「日本絶対悪」という心理があるからです。

韓国の常套手段的発想は、韓国は常に完全被害者であり、日本は完全加害者だという発想です。
文韓国国会議長が、天皇は戦犯で、その息子は謝罪すべきという件で、
日本はこうした件で騒ぐべきでないというような非常識な発言をするのは、
あの立場にしては教育レベルの低さもあるだろうが、
自分たちが被害者であるため、何を言ってもしても関係ないという
幼児並みの思考と発言しかできないのだ。

余りにも前近代的で低レベルなのだが、外見上、民主主義資本国家に見える韓国は、
その思考回路自体は、何時の時代の人間かと思うような感じだと言って言い過ぎではないでしょう。
何度も同じような話をして恐縮だが、
日本人的に、お互いに人間だからキチンと誠意を見せれば相手は理解してくれるという発想は通用しません。
特に左傾に多い、能天気な性善説で韓国(や中国)との外交を考えていたら道を誤ります。
我々や他の民主国家とは全く違う、どちらかと言えば中国の思想に近い連中と対峙するためには、
実利と実力で対峙するしかなく、彼らの考え方、思想に合わせた外交的対応が必要になります。
昨今、外交筋では、韓国国内で文大統領が国益に反していると訴える国民が増え始めていると聞きます。
場合によっては軍による大統領暗殺まで視野に入れた未来をシミュレーションし始めているとも言われております。
また、韓国を追われそうになった文大統領が北朝鮮に亡命する可能性を排除出来ないという人もおります。
3年数か月以内に終了する文政権後は、保守側が政権を取り、文政権時代の閣僚を糾弾するというお決まりのパターンになると思います。こうした考え方はまだまだ頭の体操に近い発想が、

2018年秋以降の韓国の日本への非礼は、度を越している。
特に文国会議長の天皇陛下への暴言は、昭和初期なら戦争になっていてもオカシクないほどの事だ。

韓国への対応は、色々な意見があるが、実利的な韓国人に身の程を分かるようにするためには、経済制裁が一番だろう。
手っ取り早いのは「フッ化水素の輸出制限」だろう。また輸入関税の変更やK-POPタレントに対する労働ビザを厳しくし、時間をかけるという方法もある。
実際、K-POPタレントの入国審査は、日本国内の活動と申請に乖離がある部分があり、入管が仔細微細な部分までキチンと管理していたら申請を受理しないような実態が存在する。

実利的な民族なので、経済的不利益を被れば、当然政権に対する韓国民の見方は厳しくなる。
そういう事でもしないと自分たちの置かれた立場を理解しないだろう。

儒教思想は、上下を付けたがるため、自分たちが上だと思っていると急に下への配慮をしなくなります。
韓国には「穂が実るほど、頭を垂れる」という風習がないからです。
しかし、実利的に自分たちが下になることで上を確保できると見れば、
一旦は下手に出始めます。
韓国の外交やビジネスのやり方を見ていると、全てこのルールが当てはまります。

2019年2月終盤にあった米朝交渉協議が不調に終わり、文政権の計算は狂いました。
3月1日の独立記念日では本来日本に対して過激な言葉を投げかけようと思っていたのでしょうが、
米朝交渉協議が不調に終わり、北との経済連携も保留になり、それによって韓国経済を底上げする計画が全てオジャンになったために、日本との関係をこれ以上悪化させない方が自分たちに得策だと考えたのでしょう、
「未来志向で行こう」とか聴いた事もない言葉を言い始めました。

要注意です。

韓国には、日本と共に手を取り、歴史認識の差を乗り越えて仲良くしようなどという甘い考えはありません。
あるのは1つだけ。
日本を経済的にも政治的にも凌駕し、自分たちの下部に置くことだけです。
何故なら、韓国は小中華思想に支配されており、我々は「夷狄(いてき)」の国だからです。
彼らの発想は全てそこに始まり、そこに帰着します。
残念ですが、それが現実社会のリアリティーで真実なのです。

いずれにしても、文大統領は儒教思想の毒が蔓延した国家の代表者であり、極左思想の親玉であるという事実を受け入れ、今後の日韓関係の舵取りをする必要があるという点で、日本政府の対応を見守りたいです。

個人的には韓国の良さを理解している人間なのだが、同時に韓国に対する大きな疲れを感じてもおり、正直言って、国益にならない部分まで韓国にエネルギーを注ぐのはそろそろやめた方が良いと感じている。
日本はお人好しの部分があり、そこを突かれてしまう事が多いので、気を付けて外交して欲しい。
私と同じような考えをもっと正確な情報と解釈でまとめた本がありました。
韓国が儒教の毒に侵されている点については、以下の本に詳しいのでお勧めしておきます。
ケントさんの言い回しは、ちょっと過激な部分があるのだが、言っている内容は、過不足無く正しいからお勧めします。
また、百田さんの本は、更に過激なのですが、逆説的に日韓の状況を捉えており、しかも事実を書いてあるので、一読をお勧め致します。
儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (講談社+α新書)

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  • 作者: ケント・ギルバート
  • 出版社/メーカー: 講談社
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今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 【文庫版】

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演者とファンとの間にある「結界」について [独り言]



NGT支配人が異動で退任、山口真帆暴行事件で責任



NGTのメンバーの自宅に不逞の輩が押し入り怪我をさせるなどの問題が騒ぎになっている。このブログのタイトルにあるが、演者とファンとの間の結界を破った不届きな行為だ。この問題で、AKBメンバー指原さんが運営側に対する批判し、またメンバーケアーに関する意見をテレビでしているのを見た。彼女の言い分は正論だろう。しかし、例えば、マネージメント側が全メンバーの送迎と安全確保、また自宅のセキュリティー管理等まで「完全無欠」に出来るだろうか? 

この件、詰めて行けば行くほど、完全無欠の対応が無い事に突き当たる。仮に全メンバーの完全に近いにセキュリティーを完全に確保するなら、常時監視できる専門のセキュリティースタッフを雇い、メンバーを監視下に置き、加えて住居は一定区画に設置された建物に住まわせ、そこも24時間監視するような対応をしなければならない。
それ自体はやろうと思えば可能だが、要点はビジネス的に可能かどうかと本人たちの受け入れ方だろう。
つまり、ビジネス面で、売上に対して経費に見合う範囲を超えたら事実上はその対応が出来ないという事になる。それを無視すれば、そもそもこうしたプロジェクトを続ける事は不可能だ。またタイトな監視下で仕事をすることになるメンバーの精神衛生上の問題も出てくる。
指原さんは現状、タレントさんなので、そこまでの深い見解を述べる事まで求められていないかもしれないが、そこまでの事を想定した上でのコメントをする位の技量はあった方がいいだろう。
「ベキ論」は言うは易しで行うは難しなのだ。

多くのファンはある程度の規律の中で演者との距離感を保っている。しかし、ほんの僅かな愚連隊のような低レベルのファンが蟻の一穴になって事を面倒にしてしまう。こうした一穴を塞ぐためにあらゆる想定で対応しなければならなくなりと現実が回らなくなるという事は世の中に様々ある。特にメンバー数が多いプロジェクトにおいて、全員を完全な管理下におくのは現実的じゃない。その上で、出来る事、出来ない事を整理し、優先順位をつけて行うしかないだろう。超最悪の事例だけを取り出して対応を考えるべきなら、殆どの事は廻らない。本件を見ていてそういう感想を持った。
なお、ファンと演者の結界を超えて、メンバーの自宅のあるマンション内に部屋を確保していたという報道を聞き、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、HGTにしろAKBにしろ、人間的にも未熟な年齢のメンバーたち、また大人であるはずの関係者は、こういう生理的にも人間的にも圧倒的に不快で気持ち悪い連中を明るい光に集まる蛾のように呼び集めてしまうこうしたプロジェクトのリスクを意識しておくしかないだろう。
少なくともメンバーや関係者が外部に漏らしていけない情報が何であるか位は、改めて社会常識として教え、共有しておく必要はあろう。個人情報の漏洩がどういう結果をもたらすのか、今回で分かっただろう。



さて、関ジャニ∞の大倉忠義氏が自身のブログにおいて、

行き過ぎたファンへの“苦言”が話題になっている。


ジャニーズアイドル、“精神的苦痛”公表の裏に芸能事務所の変化も:




タレント(ミュージシャンや演者、以後演者とする)とファンとの関係性は、

お互いの立場から全く違って見えている。


ファンから見る演者は、ファンタジーと実像と妄想の対象であり、

永遠の存在にまで昇華しうる「究極的な存在」だ。


片や演者からすれば、ファンはとても有難い存在だが、

ファンとはあくまでも「記号的総体」であって

個々人ではないという点だ。


つまり、演者からは個々人を意識しないが、

ファンは演者を個々人として意識している点が決定的に違う。

この違いを理解していないと双方に不幸を招く遠因にもなりうる。


ファンがある程度大人の場合、

演者への距離感をわきまえている人が多く、トラブルは少ないが、

ティーン周辺の年齢の人たちや思い込みの激しい人の場合、

演者との距離感を取れずに自己中心的に暴走する事がある。


距離感のない暴走とは、すなわち演者とファンの間にある「結界」を破る行為だ。


関ジャニ∞の大倉忠義氏が訴えているのは、

「結界」を平気で超えて来るファンは、ファンには値しない、

つまり暴徒と同様であると言っているに相違ない。


エンタメビジネスは、ファン(客)に対してある種の共同共感と共同幻想を作り出す事を生業としている。

それは感動であり、共感であり、驚嘆に類するものだと言っていい。

カーペンターズの名曲の中に「Super Star」というレオン・ラッセルの書いたものがあるが、
歌詞を読むと分かるように、Super Starに憧れる少女の切ない想いが伝わる内容を唄っている。
今も昔もスターへの憧れと妄想は、この曲の歌詞の示すものと余り変わりないだろう。
「Don't you remenber you told me to love me baby(私に愛しているって言ったの覚えてないの?)」何て言う辺りはかなり切ない。

「Super Star」歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E04449



演者側は、音源にしろ、ライブステージにしろ、

創造的なファンタジーや作品を媒介として市場に届け、

それを受け止める側であるファンが選択的に支援、応援をする構造になっているが、

支援方法にはルールがある。


それはファンと演者の間の「結界を破らない」という事だ。


例を挙げよう。


演者のプライベートに無暗に立ち入らない、ステージに無断で登らない、

個人的な対応を迫らない、まとわりつかない、

演者の発表する作品や活動には対価を持って支援するなどだ。


特に、演者が公式的に公開している部分以外の場所や時間に

ファンが立ち入るというのは、完全にルール違反だ。

演者はロボットでなく人間であり、プライベートもあれば、見せたくない事だってある。

それは我々と一緒なのだ。


もし、自分の私的空間に知らない他人が四六時中まとわりついていたら

耐えられなだろう。彼らだって同様だ。

よく、プライベートで出会ったスターに会った途端に「私、ファンです」などと言って、写真を撮ったり、握手を求めたり、サインをネダッタリする人がいるだろうが、先方は相手のファンと称するあなたを知らない訳で、常識的に考えれば非礼な行為だろう。有名税という見方もあるが、限度というものだってある。
また当然だが個々のプライベートを侵害するのはもっての外だ。


大倉忠義氏が訴えているのはそうした主張に過ぎない。

スターだろうが有名人であろうが彼らも人間であり、

私的空間は保護されるべきなのだ。


もちろん演者側にもルールがある。

ファンには個人的、組織的な欲を叶えるための道具にしないという事だ。


「結界」は双方に課されたルールの臨界地点と言っていいだろう。


以前、とある有名バンドにストーキングしている女性ファンの話を関係者から聞いた事があるが、

その行動の様子は殆ど病的と言っていい。


ライブ中の移動の新幹線やタクシー、宿泊先ホテル、打ち上げ会場の飲み屋に至るまで

調べ尽くして付いて来ると言っていた。関係者にとって、こうした人物は要注意対象となる。


70年代、海外のロックミュージシャンと肉体関係を持つために

ストーキング紛いの行動をしていた連中をグルーピーと言った時代があったが、

肉体関係を除けば殆ど同じ行動様式と言っていい。


関係者からすればこうした人物は要注意対象となる。


演者にとってファンとはあくまでも「記号的総体」と前述したが、

例外も存在する。しかしあくまでも「例外」だ。


演者とファンの間の「結界」は、共同幻想を共有するための絶対的ルールだ。


もちろん憧れの末に自身が演者になったりスタッフとして業界に入り、

演者と近い関係を構築できる場合がある。

しかしその場合、自分自身が結界の中にいるため、

その世界の常識的なルールによる行動を強いられるため問題ない。

仮にそれが個人的な関係に発展しても、プロどおしの問題となるからだ。


私はかつて結界の中で生活をしていた。

そして現在は結界の外で生きている。


現在の私は、結界の外で、いちファンとして演者に接しているのがとても心地いい。


だから結界の中に戻ろうとは思わない。


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鳥の唐揚げ [独り言]

鳥の唐揚げが好きだ。
でも、中々自分の好みにあった鳥の唐揚げに出会わない。
勝手ながら私の好みは以下だ。
もし、この好みに合う鳥の唐揚げの情報をお持ちなら、お知らせください。
出来れば東京都内なら助かります。
(1)1個のサイズが余り大きくない方がいい。1口サイズか1口半サイズ。
(2)ソースがかかっていないのがいい。醤油で食べたいから。
(3)出来れば中まで火が通っているのが好き。時折中心部が赤いのがあるから。
(4)タツタ揚げよりは唐揚げが好き。
(5)ジトっとした仕上がりより、カラっとした仕上がり感が欲しい。
(6)最後に言わせて頂ければ肉の美味しいのがいいですね。
ワガママでスイマセン。
次回は「とんかつ」でお願いする予定です。


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沢田研二氏 さいたまスーパーアリーナのドタキャンの舞台裏を妄想する [独り言]

沢田研二氏 さいたまスーパーアリーナのドタキャンの舞台裏を妄想する



2018年10月17日、沢田研二氏がさいたまスーパーアリーナでのライブを

ドタキャンするという報道があった。


さいたまスーパーアリーナを当日キャンセル!?

それも公式声明は「契約上の問題」とあったとしている。
ええ?! 何それ?


ライブ当日に「契約上の問題」でコンサートがキャンセルされたケースは稀だろう。

会場も半端なくデカい。

一体何があったのか?

そもそも「誰とどのような契約上の問題」があったというのか?


そのため、舞台裏への妄想が膨らんだ・・・。



沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』ツアー予定は以下だ。



沢田氏の所属事務所は「詳しく分かる者がおらず、申し訳ありません」と話しているというが、

そうだとしたら、随分と他人事だな・・と思った。
そんなハズがある訳ないからだ。
所属事務所が詳しく知らなくて誰が知るというのだろう?
まあ、混乱の中での時間稼ぎだと思った。



2018年10月18日夕刻、ご本人が今回の件を説明したという報道がアップされていた。


沢田研二が自ら中止の理由を説明「客席が埋まらなかったから」「ファンに申し訳ない」と謝罪:



ポイントは、集客が意図と違ったので沢田氏の決断で中止と説明されている。


記事では、以下のように述べたとされている。

イベンター会社から集客状況について「9000人と聞いていたが、実際は7000人だった」と知らされた。

本番前のリハーサル時、観客が座れないように客席がつぶされているブロックが目立ったことに腹を立てた。

イベンター会社から予定通り開催するように土下座で懇願され、押し問答となったが、

最後まで首をたてに振らなかった。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。

僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。



これを読んでファンはどう思うだろうか?


主役である沢田氏が集客数に不満を持ち、中止を自ら決定し、中止の事実化するために帰ったというのだ。

しかし中止情報を解禁する前の段階である”3時45分くらいに帰った”というのは、幾らなんでもひどくないかね? 


スーパーアリーナの総キャパを考えれば、9,000人も7,000人も大した問題とも思えない。

どちらもガラガラに見えるからだ。


記事では、「沢田は「客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと。

『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる。

僕にも意地がある」と自身が中止を決断したことを明かした。」


確かにガラガラの会場でやるのは辛いだろう。ショックは理解できる。
しかしその主体者はご本人であると理解しておられるのだろうか?

つまりご本人のコメントにもあるが、これが彼の実力という事だ。


それでも会場は3万7千人収容の場所だが、7,000人もが来場したのだ。
武道館の70%が埋まる数が実際に目の前まで来ていた。
俯瞰して見れば、相当な動員数と言っても差し支えない。

凄い実力だ。

今回のツアーも66か所に及び、多くはソールドアウトしているという(報道によっては無料チケット配布もあるというが確認出来ないので分からない)。
古希である彼の動員力は、彼の長いキャリアを見て相当なものだと言っていいだろう。
そういう意味で名実ともにスーパースターの一員なのだ。
芸能界のエリート層と言って構わないだろう。

しかし同時に客への責任も大きくなるという事だ。
スターだから、大金を作り出せる主体者だから、

自分の感覚値だけで、何をやっても許される訳ではない。

沢田氏はこの事実をどう考えたのだろうか?


まず、沢田研二氏の所属事務所は、ココロ・コーポレーションは、コンサートの主体者である沢田研二氏の個人事務所だ。

コンサートはココロ公演事業部という部署が担っているようだ。

だから普通、ココロ公演事業部の人間が一番事情を理解していなければならない。

しかし個人事務所であるようなので、規模もそこそこだろうから、
本人を含めて今回の経緯を全員が理解していると考えて差し支えない。


事情を察するにココロは沢田氏の個人事務所で、社長も彼のようであり、

事務所のスタッフ関係者は、彼に対して客観的な事やネガティブな情報を言えない立場だろう。
中小企業的な個人事務所にありがちな構図だ。
こういう事務所のリスクは、事業上の客観性が担保されない事だ。


公演契約の詳細が分からないので明言は避けるが、

少なくとも、コンサート会場や日程について、

ココロ・コーポレーションやご本人が無関係であるなんてことは絶対にない。

実際、沢田氏は、「自らの判断で中止を決定」と発言したと報道されている。
つまり、本公演の決裁者と決定者、および責任の所在は全て沢田氏=ココロ・コーポレーションにあると

言っている事になる。
だから張本人だ。


沢田氏は、「ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる。」といっていた。

彼の元には、外部からの企画や日程等の提案は数多くあるだろうが、

その提案への決裁は、本来ココロ・コーポレーションが主体的にしている事項なので、

当然のさいたまスーパーアリーナのキャパや日程については、ご本人も理解し了解した上の事だろう。
何故なら所属タレントは彼だけだからだし、社長が彼だからだ。
従ってこの他人事の発言は違和感を覚える。

ひょっとしたら大型のイベントについては、ココロ以外の大手事務所に業務委託をしているのかもしれないが、開催の可否は本人も了承の上だろう。


さて、本公演のイベンターを調べると「チケットポート」名前になっている。

チケットポートはサービス名で、株式会社エニーが運営社だ。

エニーはJ:COMのグループ会社だと書かれている。

業務は、ライブ制作、アーティストマネージメント、チケットの受託販売等だ。


チケットポート(J:COMの関連会社)


事業:コンサートの制作、運営、プレイガイド業務、出版事業等。


つまり本公演の制作とチケット販売は、株式会社エニーが主体と分かる。

ネット情報では確認できなかったが、推察するに本公演の主催者は

企画をしたココロ・コーポレーション単独か、エニーと共同か、エニー単独だろう。


コンサート開催において主催者責任というものがある。

つまり、主催者は一般に公表した通りの時間と場所で開催する義務があるという事だ。

地方の開催の場合、地方のイベンターが事務所から興行権を取得し、一定のギャラ等のリスクを取って開催する。

但し、天変地異的な事象や天候不良による主催者の責任外の事情での開催不能の場合は義務免除としている。


さて、契約上の問題とは何だったのか?


実は、沢田氏は2004年に茨城・水戸市の県民文化センターで開催予定だった

「2004 沢田研二コンサートツアー」でドタキャンの前歴がある。


当時のサンケイスポーツの取材記事(と思われる情報)の抜粋だ。


沢田の公演を初めて手がけた企画制作会社「ハニープロダクション」の町五男社長はサンケイスポーツの取材に対し

「“ドタキャン”の理由は観客が少なかったためで、1764人のキャパシティーに対して約700人と半分に満たない状況だった。

沢田さんの事務所とは、『お客さんをいっぱい入れる』という条件でコンサートを企画していたが、

事務所側が直前になって『話が違う』と開演を見送った。

客席をいっぱいにできなかったのは、

私の力不足で非難されても仕方がないが、

ステージはやってもらいたかった」と肩を落とした。

一方、沢田の所属事務所は「主催者側が事前の取り決め通りにやって頂けなかったから仕方がなかった。

沢田が中止するのは初めてのことで悩んだ結果です」と怒りをあらわにしながら、

むしろ被害者であることを強調。会場の県民文化センターでは、

通常の会場使用料40万円のうち半額の20万円を、主催した「ハニープロダクション」に請求する予定という。



今回のキャンセルもこの件と同じ軸にあるようだ。
二度ある事は何とやらだ。


今から14年前の時点で水戸市の1764人のキャパに対して売券率が40%程度という事だ。

当時の彼の実力で、水戸辺りだとこの位だという事が分かる。

半分も埋まっていないことで、沢田氏が約束と違うから出演しないと言った可能性が考えられる。


さて、さいたまスーパーアリーナのキャパは「37,000名」だ。

(その次は2019年1月開催の大阪城ホールの16,000名)

ステージ設置等で座席をつぶしても3万人程度以上は確保できる。


今回の沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』ツアーの中で、

本会場は1会場としては最大の集客場所だ。

武道館4日間、横浜アリーナ2日間に匹敵する集客を1日で行うという事だ。


さいたまスーパーアリーナを満席に出来る日本のアーティストはそこそこ多い。

ミスチル、ワンオク、セカオワ、ドリカム、サザン等だ。
かなりの面子だ。


契約書を見た訳じゃないので正確には分からないが、

どうやらココロ側がライブ制作側に「満席にする義務」を課していたらしい。
動員は出演者の人気や企画次第なので、余りこの手の約束は聞いた事がないが、そう発言しているのでそういう事としよう。

従ってココロ側は、契約条件的には、満席にしなかったことを契約違反と主張できるが、

その場合、どの程度まで埋まっていないと公演をキャンセルできる条件になっていたかは不明だ。


だから集客数を理由にした公演中止の正当性は相当に気になる。


契約を普通考えれば、ココロ側は、イベンターに沢田研二氏のライブの興行権を渡す代わりに、

30,000席の販売とそれに伴う出演料等を保証してもらい、出演を承認したという意味だろう。

沢田氏側は、30,000席分のギャランティ(出演料)と満席が保証されることでOKしたのかもしれない。


しかし、そうだとしてら、その出演判断は事務所として正しかったのか?


イベンター側は、30,000席の販売のリスクを取って興行権を取得したと仮定しよう。

しかし実際には発売後の売券状況が芳しくないことが分かり、かなり慌てたはずだ。

沢田氏のコメントにあるように「7000人/30000人」だった訳だ。

約束が違うと言ったかもしれない。


また。ひょとしたらイベンターは、この悪い販売状況を、ココロ側には直前まで言えなかったのかもしれない。

チケットが売れなかったんで、公演をキャンセルさせてくださいというのは、

確かにココロ側や沢田氏には言い出し難い事だ。


沢田氏は、来場客への対応が辛辣な面を見せることで有名な人だが、当日の客入りの悪さを理由に中止を言い出して帰ってしまうような決定をする人物であることは想像に難くない。

従って周囲には”かなり怖い人”という感じなのだろう。
実際、ライブのMCの様子を聴いても推察できる。


そうした中で、イベンター側が契約通りに満席にしようと思って大量の無料チケットをバラまけば、

当然のようにその情報がネット上に拡散し、やがてチケットを買った客が知る所になり、

有料、無料の客が対立し、ライブを成立させることが難しくなるだろうし、

当然沢田氏の名声を傷をつける事になる。
ココロ側のスタッフも、イベンター側の担当者は頭を抱えていただろう。


実際の売券状況は、1/4程度以下だったのだから、本当にガラガラだと言っていい。


契約書には満席の定義とチケットの売り方、また公演をキャンセルする条件がどのように記載されていたか興味あるが、日本の契約書だから、数値で示すような細かい規定をしていない可能性も高い。
特に芸能界では契約書を細かく規定しない、前近代的業務方法が多いのは今も変わらない。


日本のライブでは、売券状況が芳しくない中で無料チケットをばら撒く事は頻繁にあるが、

かなりの規模で行っても数百枚~千枚以下程度が限界だ。

万単位でバラまけば、必ずその行為は漏れてしまう。


さてこうした想像を逞しくした中で、今回のドタキャンは正しい行為と言えるのだろうか??


今回の売券数は7,000枚というから、

ココロ・コーポレーションからすれば「契約違反」と主張できるとも言える。


しかし、それを当日、それも開演時間直前に決定するというのは正しい行為なのか???

ココロ側が契約の話を持ち出すなら、「チケットを買って来場する客との契約」はどう考えるのか?
チケット購入者は、チケット代を払い、交通費を支払い、場合によっては宿泊までしてくる。
それは来場すれば、沢田氏のライブを見る権利が保証されているからワザワザ来る訳だ。
常識的にはこれはココロ+イベンター側と来場者の契約行為と言っていい。
発券チケットは契約書と言って過言でないだろう。


ちょっと厳しい事を言わせてもらえれば、

そもそも結果的にとは言え、キャパ設定が完全に間違っていた点において、

ココロ側とイベンター側は同罪と言える。
つまり、これは本人を含めた開催側のチョンボなのだ。
それなのに、当日のドタキャンだ。


明らかにそれ以前に中止をすることも可能であり、
誰かが相当な判断ミスしているとしか思えない。
開催側のチョンボを全て、来場客におっ被せたと言われても仕方ないほど酷い決定だったと言っていい。

また、ココロ側がイベンターにこの案件を持ち掛け、イベンター側がいっぱいにするように頑張りますという形でココロ側が受けたかもしれないが、当事者でないとこの辺りの本当の事情は分からない。


いずれにして、そもそもさいたまスーパーアリーナでコンサートをする事への集客見積もりを大幅に誤った点については、事務所側にも相当な判断のミスがあったと言われても仕方ないだろうと思う。

これは沢田氏のコメントの中で「さいたまスーパーアリーナでやる実力がなかった。ファンに申し訳なく思ってます。責任は僕にあります」に尽きるだろう。

最終的に当日の中止決定を「ご本人自ら行っていた」という発言から考えても、本件の主体的な責任が沢田氏を含むココロ側にあるのは明らかで、集客数の不足を契約違反として持ち出すのは言い訳としてに余りにも極端な決定だった思う。
スーパーアリーナクラスの会場を、当日、それも集客を理由に中止する決定をするのはそれほど異常な事だ。


過去の集客数を知る事務所側として、本当に1会場の公演で3万人も集客できると読めるような過去のトラックデータを持っていたのだろうか?


10年前の2008年11月29日、「人間60年・ジュリー祭り」はに京セラドーム大阪、12月3日(水)に東京ドーム Big=Eggで沢田研二の還暦記念二大ドームコンサートが開催されている。

両日ともそれぞれ全80曲を歌いあげ、途中休憩約20分を挟んだ約6時間半のライブを敢行したという。

京セラドーム大阪におよそ2万2千人、東京ドームに3万2千人が足を運んだとい記録がある。

ちなみに東京ドームに3万2千人は満員ではない。ドームは4万8千人入るからだ。

つまり当時のこの企画でドームで66%程度だったということだ。

それでも還暦を考えれば、もの凄い動員力だと言っていい。

あれから10年が経過した。


古希ツアーは66公演だが、その中には、武道館4日、大阪城ホール2日、横浜アリーナ1日、さいたまスーパーアリーナ1日の日程が組んである。

現行のツアーの各地のセットリストを見たが、全18曲程度の普通のライブセットだった。

なお、このセトリは、武道館でもホールでも共有の内容のようだった。
また、ライブは、本人とギター2名だけの計3名だけの出演だ。
つまりアコースティックセッションなのだ。


ちなみに横浜アリーナに行った女性が書いたブログには、会場が満席だったとの書き込みがあったので、この企画で2万弱のキャパはクリアーしているようだが、ライブ会場にはビジョン用のスクリーンすらなく、遠くの客にはジュリーの表情が全く分からない設定になっていたようだ。


俯瞰して考えると70歳で横浜アリーナを満員に出来るなんて、相当凄い人気だと言っていいが、

何故横浜は埋まったのに「さいたまは埋まらなかった」のか??


これはかなり不思議で不可解だ。
でも分かる気がする。


さいたまスーパーアリーナクラスになると、1年前くらいから会場を確保しないと適切な日程を押さえられない。

横浜アリーナが満杯になるくらいだから、さいたまも行けると思うのは無理もないかもしれない。
たださいたまの方は横浜×2ぐらいの集客数だ。


ちょっとネガティブな状況があったのは、横浜と埼玉が日程的に2週間程度しか空いてないという事実だ。

10年前のデータ等で横浜とさいたまの両方共行けると思った可能性はあるだろう。
東京ドームでは3.2万人を動員したからだ。


しかし今回のライブは、「全80曲を歌いあげ」のような大きな企画性はない。

セットリストの内容が他のホール級の会場と同じなのであることは、
濃いファンならライブ内容について情報が拡散して周知だろうから、会場とチケット代を「値踏み」をするに違いない。


同じようなチケット代とセットリスなら、小さい会場で近く距離で見る事が出来る方に行くのが人情というものだ。
多少ホールでの演出がショボくても、ジュリーの熱唱を近くで見れるならそっちを選択する。
実際私だってそういう買い方をする。


大型の会場なら演出面、セットリスト面等で全くと言っていいような違う内容を見たいと思うのが人情だろうが、どうもそこまでの違いがあった様子はない。
おまけにギター2人を従えたアコースティックセッションなのだ。

それならワザワザ大きな会場を選ばないだろう。特にさいたまスーパーアリーナは周辺座席からステージまでの距離が遠く感じる場所だからだ。
いずれにして、横浜アリーナに行ったお客で、同じ演出をさいたまスーパーアリーナでも見たいと思って行った客の重複率は想定以上に低かったと見た方がいいだろう。
超コアファンの存在は、大抵総動員数の10%程度以下と相場が決まっている。
言い方を変えると、アコースティックセッション企画で、たった二週間前の横浜アリーナの1/3近い動員をしているだけで奇跡的と言っていい。
但し、キャパ設定を誤ったという事だ。


10年前のドームは、テレビ局の煽りもあって、私でも開催を知っていたし、多くの人に知られていただろうが、

今回のツアーは私もドタキャン報道で初めて知った程で、認知度的にはファン以外には興味のないものなのだ。

だから慎重にツアー日程と会場を見積もる必要があったと思う。


スーパーアリーナが埋まらなかったのは、この辺りに原因があったと感じる。


つまりライブの企画や内容に対して大規模会場の日程の組み方が近すぎたのと、内容が大型会場として特筆すべき点が無かったのにも関わらず欲張った日程を組んだという事だ。
それだけだ。


こうして考えてみれば、本会場の公演への出演を承認しただろうココロ・コーポレーションに「非」と「責任」があると言っていいだろう。

これについては、ご本人も自身に責任があると触れているから、まさにその通りだろう。

責任とは何かと言えば、今回のキャンセルで生じた損金は全てココロ側が持つという事に尽きる。
(しかし芸能界の大物タレントにこれを交渉し、実行させるのは並大抵じゃないが・・。)

特に病気等でもなく、ライブ開催を行うことが出来る状態であるにも関わらず、イベンターが土下座をしてまで止めたのに、自らの勝手な判断でキャンセルしたからだ。
主役なので、彼が出ないと言い出せば周囲は説得するしかない。
おまけにキャンセルの原因の一因にはご本人も絡んでいる。
それを袖にして振り切って帰宅したわけだ。
凄いな・・と思う。
こういうのを本物の「パワハラ」という。
沢田氏にも色々言いたい事はあるだろうが、
当日の出演を人質にするこの態度は、社会的な許容範囲を遥かに超えていると言っていい。

会場の裏舞台は正に修羅場だったということだ。


仮にだが、集客数が設定以下であることを中止条件として公演をOKとしているのであれば、

本来はチケット販売時に客に通達すべき「重要な情報」であったあろう。
それが通達されないままで発売されているなら、来場者が何人であっても公演を実施しなければならない。


また、チケット販売数は、デイリーで把握できる情報であるため、

事務所として制作者側との間でチケットの販売数を把握する責任はある。

ひょっとしたら現場は全員知っていたが、沢田氏本人には伝えなかったか、話を作っていた可能性はある。


チケットの売れ行き情報を見れば、かなり前の段階で中止決定をすることだって可能だったはずなのだ。


結果だけでいうと、事前に中止すべきだった。それだけだ。


しかし、イベンターや事務所の側近らが、沢田氏へ忖度して言えないままズルズルと本番日になり、

さいたまの現場で動員数を伝えられた沢田氏が、現場で聞いて約束と違うからやらないと言い放った可能性はありそうだと思っていたが、会見でその通りの事を言っていたので、やはりなあ・・と思った。


まあ、関係者の心中はお察しをする。


仮にガラガラの会場でやったら、ネットに映像がアップされて拡散する可能性もあり、

沢田氏の人気がない印象が拡がる事態を事務所や本人が恐れたかもしれない。


いずれにしても、そもそもさいたまスーパーアリーナでコンサートを承認した事は誤りだし、

中止の決定についても、集客数を把握している段階で涙を呑んで決定出来た訳であり、

当日になって満席でない事を振りかざして「契約違反」と主張して中止するのは

かなり乱暴な行為だ。おまけにそれを事実化するためにご本人が会場を去ってしまったのは、
無責任過ぎるだろう。
現場の殺伐とした状況が見えるようで怖い位だ。


いずれにしても、公演関係者側には色々な事情があるのだろうが、

最も迷惑を被ったのは来場客の人たちだろう。

人によっては地方から移動費や宿泊費をかけて来ている人も多い。

チケット代だけでなく、こうした経費や時間をかけて、さいたまの現場まで来ている。

そして大した説明もなく、契約上の問題で中止というのは、余りにもバカにしているし、

行為としても杜撰の誹りを免れない。
もっというと「契約上の問題」というのは都合の良いデッチ上げと言ってもいいだろう。
しかし客や世間にはそのように公表しているから、その説明をする義務がある。


そういう意味でココロ側=沢田氏の判断と行動には重大な責任の所在がある。



前述したが、客の視点からしたら、2週間前に横浜アリーナ(18,000人)をやっており、

わざわざ改めてさいたまスーパーアリーナのような大きな会場にまで出向いて見るような動機がなく、

セットリストも演出も同じような感じだから、ツアー終盤の武道館か大阪城ホールまで待つか、地元のホールで十分だ・・という事だったのだろう。


その辺りの客の心理を読んでツアー日程を決定するのがプロというものだ。
(それでも外れる事があるが、外れてもやるのがプロだ。)

沢田氏は、7,000人も来てくれてありがたいと思わなかったのだろうか?
実際、歌手で1公演で7,000人も集客できる人はそう多くないのだ。


本来は、客が10人だろうと、満席だろうと、企画し、出演に合意し、主催制作し、

集客をかけている以上、不慮の事態を除いて、責任を持って公演を

実施するのが公演企画者と主催者、及び出演者の義務だ。

従って集客設定を誤って企画し、開催決定をした側は、

明らかに病気や声の不具合、また天変地異や台風のような災害で客が守れない場合を除いて

何があっても「実施する義務」がある。



それがプロの「プライド」というものだ。


主催側の事情で開催中止をした場合は、振替公演をすべきだが、本公演については後日検討中という情報も出ている。当然事務所が全ての経費を負担し、補填するべき案件だ。


だから辛いのは理解できるが、ガラガラであっても腹を据えてライブをやるのが沢田氏のやるべき仕事だったと思う。

確かに辛いと思う。
でもそれをやりきれば、違う価値も出たんじゃなかろうか?


もちろん過去に集客が悪くてライブを中止した例は数多い。

大抵の場合、病気等を理由にして中止するが、それらは殆どは都合の良いウソで、

客が集まらなかったからという理由が圧倒的に多い。

それでも会場に来てから中止されるよりはチケットを買った人達には遥かにストレスがない。


1980年代前半、UDOが洋楽系のスターミュージシャンを集めて代々木第一体育館と大阪球場で

ライブを企画したが、チケットが驚くほど売れなかった事例があった。

代々木第一体育館は15000人キャパだが、売れたのは300枚程度だったという。

私の知り合いはこのライブの通訳で入っていて、会場を見た人間なので確かだろう。

その人物は、背筋が寒くなるほど客が居なかったと言っていた。

しかしメンバーは、契約で演奏することになっていると集客を気にする振りも見せず舞台に行き、

アリーナ内に疎らにいた客に声をかけてステージ前に寄せて、フルセット演奏したという。


プロというのはこういう人たちだと思う。


その後の大阪球場は、台風の影響で中止となったが、チケットは全く売れてなかったという。

台風のお陰で中止となり保険が下りたため、UDOの被害は最小限だったようだし、

メンバーはフルギャラを貰ってアメリカに帰っていったという。


またUDOは2006年7月に富士スピードウェイでKISSとSANTANAを出演させた

ウドー・ミュージック・フェスティバルを開催したが、

これも150名程度しか客がいなかったが、メンバーはフルセットやった。

KISSのメンバーは客のいない状態でも普通に演奏し帰っていったという。


プロというのはこういう人たちを言う。


この時の様子はネットに画像として上がっている。



私も1990年代に故デビッド・ボウイ氏の東京ドームのライブに行った事がある。
2F席はには全く人が居なくて残念だったが、それでも2万人程度は集まっていた。
でもガラガラに見えた。

故プリンスの最後の東京ドームも、2F席がガラガラだった。
彼らのライブは今でも記憶に残るほど素晴らしいものだったが、デビッド・ボウイ氏やプリンスクラスにしてもこういう事もあるのだ。


また、近年では、東京の国際フォーラムA(キャパ:5,000)でThe Whoのロジャー・ダルトリーが行った「TOMMY」の全曲再現ライブに行ったが、これも2F席には全く人がいなかった。ということは、半分程度の2,500名程度の入りだったということだ。
それでも彼らはキチンと演奏して楽しませんてくれた。

見ているこっち側は、こんな環境下で演奏をやってくれることに対して、内心気の毒に思いつつも、素晴らしい演奏やパフォーマンスは伝わるものであり、これがプロのミュージシャン、芸事をやる人たちの在り方だろうと思う。


沢田研二氏は、昭和を代表するスーパースターだ。
でも今回の件ではミソを付けた。


2019年1月にはツアー最後を飾る武道館スリーデイズを行う。
今回の件が逆宣伝になって、多分満員になるだろう。


古希になって益々元気で、実は私も一度は見に行きたいな・・と思っていた、

しかし、今は全く興味を失った。

今回の彼の行動と判断力は、結局、沢田研二という人物がこの程度かと思わせるに十分だった。

正直、ファンタジーが失せる程カッコワルイと思った。


スーパースターに対して、人間的な完全性や素晴らしい人格なんぞを求めないが、
少なくとも彼らが社会と繋がって居られるのは、支持をしてくれるお客さんのお陰であり、周囲のスタッフの支えのお陰なのだ。もちろんご本人の素晴しい才能がステージに乗る事で、言い得ないファンタジーという化学反応が起こる。

従って大スターとはいえ、ご自身の仕事に関しては、謙虚であるべきだろうし、超ベテランスターであるが故にそうあって欲しかった。
スーパースターは常人を超える部分があるのでスーパースターであるというのは確かな事実ではあるが、
少なくとも自分の才能の発露の方法や仕事の哲学が「出鱈目」ではただの狂人と化してしまう。


いずれにしても、わざわざさいたまスーパーアリーナに来た7,000名には大変気の毒な事をした訳であり、

彼の人気と生活と活動を地道に支えてくれている大切なファンである彼らにキチンと謝罪し、
今回の不始末を補填するのが今の彼がやるべき仕事だろう。
また、関係スタッフにもキチンとした対応をしておくべきと思う。

それが大人のプロの仕事ってものでしょう。

そうでなければ残念だ。


仮にの話だが、ステージ裏では集客に不満であったりして、スタッフに対して馬事雑言があったとしても、
開演の定刻になったらプロらしく颯爽とステージに上がり、
当日、ワザワザ来た7,000名全員をステージ前に集めて、

見た目はガラガラの中でも必死に彼らのためにステージをやり切って、

ガラガラな会場を逆手にとって、その日の来場者に最高の感動をさせたら、

何万倍も沢田研二氏の価値が上がったと思う。
集客出来ない理由は様々あるが、その結果を一手に引き受ける度量が彼をスーパースターにしているのだ。

また彼をさらし者のようにしたスタッフたちも、彼の悲壮な姿を見れば、
当然だが彼に対して申し訳ないと思い、今後の結束が更に増しただろうと思う。

今回、ひょっとしたら伝説のステージを作れたかもしれないのだ。

テレビの芸能記者たちを前にした会見が、

これまでにない異例の対応と長さだったことを取り上げて、

沢田氏を擁護する発言があったようだが、

それは芸能界の内輪の論理で本質じゃない。
あの業界で沢田氏に異論をはさむ事は、沢田氏を庇護する大手事務所に牙を剥く事にもなるから

コメントには刈らなず忖度が介入するからだ。

芸能界は狭い業界であるため、仕事の関係性を維持するために、

双方批判的になりにくい面があり、従って彼らのコメントは全くコップの中の世界の戯言なのだ。

一般のファンの中には、彼のプライドの高さを理解した上でずっと応援しているファンもいるだろうから、

今回の件への受け止め方には様々なものがあるだろうと推察している。
「らしい」と受け流せる人もいれば、「ガッカリ」と肩を落とす人もいるだろう。
ひょっとしたら、私が応援しないとダメと強く誓う人もいるかもしれない。
また違う意味でツアーの宣伝になってしまったかもなったかもしれないとも思うし、

これを機会に見ようと思う人もいるだろう。
まあ、価値観なので様々で全く良いと思う。


沢田研二というアーティストは、今後もスーパースターであることは変わらないだろうと思うし、

今後もスーパースターであって欲しい。


でも望む事が出来るのであれば、「プロとして背中を見せる」スーパースターであって欲しい。

今回の件を「ジュリーらしい」と思うファンも多くいると思う。
それはそれで結構だ。


それでも私の視点としては、
今回は、プロらしくなく、短絡的過ぎて、実に男を下げたと思っている。
スターの背中が全く見えなくなった。

本当に残念だ。


それに尽きる。

厳しいコメントだと分かっているが、ご容赦願いたい。








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座席のある会場のコンサートでワザワザ立って見る人・見ない人に贈る [独り言]

座席のある会場のコンサートでワザワザ立って見る人・見ない人に贈る


最近、結構年齢層が広めのコンサートに行った。
1つはチープトリックで、もう1つは奥田民生さんだ。
チープトリックはZEPP TOKYOでフロアーが立ち見で
私が買った2階席はいずれも着席用だ。
また奥田民生さんは武道館の2階席だった。
さて、チープトリック。
私は2階席の3列目の下手寄りだった。
開演直後、目の前にいた30代と思しき女性がいきなり立ち上がった。
(チープトリックの客にしては随分と若いが・・・)
私の目の前は、彼女の背中によって突然のように視界を遮られる状態になってしまい、
彼女の背中の横からステージを見るような状態になった。
周囲を見渡すと、何名かが立っていたが、大多数は座って見ていた。

2曲ほどそのままで見たが、余りにステージが見えないのでストレスフルになり、
立っている女性に声をかけ、出来るだけ丁寧に座るように促した。
当然だが彼女の視界の先には誰も立っておらず、
彼女は座っても十分鑑賞できる位置にいたからだ。
やがて彼女は不満そうな空気を漂わせて自分の座席を立って、2階席の一番後ろの立見席に移動した。
彼女は隣の友人らしい女性には「だってつまんないモン」と言い残していたのが聞こえた。
一緒に居た女性は最後まで座って見ていたが、お陰で私は視界を確保でき、ライブに集中出来た。
さて、奥田民生さんの武道館。
この日は15年ぶりの武道館ということで満席だった。
私は久しぶりに武道館の2階席に座ったが、
かなりの急傾斜席だと気が付いた。
開演するとアリーナは一斉に立ち上がり、
私のいる2階席にも立ち上がる人たちがまばらにはいた。

その中にポツンと立っている人もそこここに居た。
幸いにして私の視線の先には立ってみる人が居らず、
視界を遮られずに済んだが、立っている真後ろの人たちは
明らかに見にくそうにしていた。

私なら絶対に前の立っている人に座れという意思表示をするだろうが、
多くの日本人は奥ゆかしいのでそんな事をしない。
でも彼らは視界を遮られて不満が鬱積しているのは間違いない。
ライブにおいて鑑賞方法はそれぞれのやり方があると思っている。
チープトリックの時の女性のように立ってみて自分のエキサイティングを高めたい方もいるだろう。
個々の楽しみ方に自由度があるとは言え、自分が立ったら後ろの視界を遮るという点において、
立つ人はかなり謙虚であるべきだろうと思う。
特に周囲に数名しか立って見ていないような場合、
立っている人は、明らかに少数派であろ、
おまけに後ろの人たちの視界を身勝手に奪うことになる。
少なくともこの点において、立っている人は「自分勝手な人」だと言っていい。
多くの観客が立って見るような状態であれば、理解の余地もあるが、
多数が座って見ている中で1人・2人立っている人は、明らかに身勝手な人だろう。
これ、映画館だったら明らかにアウトでしょう。
だからコンサートだから周囲を無視して立って見て良いだろうというのは本来の理屈と趣旨にないのだ。
実は私は間もなく還暦になる。
従ってコンサートを最初から最後まで立ってみようと思っていない。
若い人たちは立ってみたいという立場とは真反対だが、
双方にそれぞれの思惑があって良いとは思っている。
それでも立って見たい人間は周囲に相当な配慮をすべきという点で揺るがない。
チープトリックでワザワザ2階席を買ったのは立ってみなくても良い選択枝のためだ。
立ってみたければフロアー席を買えばいいし2階の後ろには立ち見席もあるから、
そこに行けばいい。
座席は「座る席」と書いてあり、座ってみるのが前提になっている。
従って立ってみる場合、普通の感覚で言えば後ろの座席の人に対して
「立ってみていいですか?」という断りがあってしかるべきだろうし、
そうでなければライブ中に大多数が立つような場面で、
初めて断り不要で立って見ることが許容されるという事だ。
もちろん1曲目から全員総立ちになってしまう場合は、
それに従うかどうかそれぞれが判断すればいい訳だ。
ポイントをまとめれば、座席があるライブでは、座りが優先で、
その場所で立って見たい人はオプション扱いになるということだ。
まずそれが前提となる。
座席のある会場で自分だけ立って良い感じになっている人は、
後ろの怒りや不満を感じないのだろうか?
もし感じないのだとすれば相当にKYかバケツに穴が開いたような脳みその人間だと言っていいだろう。
この程度の配慮も出来ない人間は、その程度だと認識しておくべきだろう。
自分の前の座席に座った人の頭が大きくて見えにくいのは事故だと思って諦めるしかないが、
目の前に座っている人が不必要に立って、
自分の視界を遮ってライブを見る行為は明らかに「敵対行為」に近い。
特に15,000円も払って見ているライブで視界と音場を遮られたら
前のヤツに金返せとでも言いたくなるのが人情だろう。

以前別の記事として、ライブで永遠と大声で歌って自己陶酔しているハシタナイ連中について書いたことがあるが、周囲に無配慮で立つ連中も、自己陶酔バカの括りに入るだろう。
ライブには様々な人たちが集うため、何をルールとするかは主催者が決めるしかないが、
周囲に様々な価値観の観客がいる前提で成立している環境では、
自分も含めて、また特に他の観客と明らかに違う行動をする人たちは、共有環境の身の施し位を考える必要があると思う。



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