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井上陽水 Good Luckツアー 昭和女子大学 人見記念講堂(2017年5月11日) [ライブ・コンサート]

井上陽水 Good Luckツアー 昭和女子大学 人見記念講堂(2017年5月11日)



開場が10分遅れたが、開演は10分遅れた程度だった。
見事に満席。
人見記念講堂で陽水さんを観るのは(確か)2回目だ。
客層は男女半々、主は50代以上。
流石に若い人はいなかったな・・。若くても40代程度だろうか。
2016年はオーチャードホールだったが、陽水さんクラスでも、会場確保に苦労してここしか取れなかったのだろう。


そう、昨今、都内の2000名キャパの会場がなかなか取れないため、人見記念講堂でも大物系がライブをするようになったが、ここは彼らにはちょっと気の毒な場所だとは思う。ひと昔前だったらここは選ばれ難い場所だった。
まず、ステージの奥行がないのと、会場内の壁がタイルなので残響が多く、音の締りが作りにくいからだ。
ステージの奥行がない事で、ドラムスとボーカル(観客)の距離が近くなるため、
客席に漏れる生音の量が普通に増して多く、バンド全体の音のバランスが取りにくい。
そのため、最近の陽水さんのようなウイスパーを多用し、囁くような歌い方をするような曲だと
残響やリズム隊の音で歌詞や声のニュアンスがバンドの音に埋もれる傾向があり、
ちょっとボーカルが聴きにくいという難点があるのだ。
やはり彼の深みのある声を中心に聴きたい私としては、残念な部分だった。
また陽水さんが歌唱中にボーカルマイクに対して流動的な距離を取って歌うために、
バンド内での歌唱時は、音の強弱が大きくなるように聞こえるという点もあった。
実際、アコースティックセクションでは非常にボーカルが明瞭だったが、バンドになると
多くの場合、どうしても陽水さんの声を「探しに行く」感じになってしまう部分があった。
そういう意味で、残念ながら人見記念講堂は余り好きな会場ではない。
どうもPAの腕の問題だけで解決しないのかもしれない・・・。


この日は映像収録が入っていたので、(多分12日も入っているのだろう)、17年秋のツアー頃には
DVD化されるのだろうと思う。
会場の音響はともかく、演奏は素晴らしく、ご本人は当然なのだが、特にベースの美久月千晴氏のパンクな演奏は、
双眼鏡越しで見ていてもちょっと感動する位だった。他の人は余り注目しない分野かもしれないが、
相当なフレーズを連発しており、聴きモノだった。
また、キーボードの小島良喜(この方は元KUWATA BANDのメンバー)も気の利いたアドリブをチョイチョイ聞かせてくれていた。
もちろんドラムスの山木氏やギターの長田氏、今堀氏、コーラスのKynnさんたちもいつもと変わらずの高度に安定した演奏を
聴かせてくれていたのは、最後のメンバーへの拍手の大きさを聴いても分かるものだった。



メンバー:
長田進/G
今堀恒雄/G
美久月千晴/Ba
山木秀夫/Dr
小島良喜/KEY
Kynn/Cho
****/Cho(名前知りたい)



2019年にはアンドレカンドレでのデビューから数えて50周年になる陽水さん。
考えてみれば凄いキャリアだ。68歳でまだツアーしてホールを満員にしているんだから・・。
双眼鏡越しに彼の姿を見ながら、自分が中学高校生時代、彼にどれほど憧れていたかを
改めて思い起こしながら演奏を堪能した。あれから長い時間が経過したが、その彼はまだ現役のステージにいた。
憧れに夢を八切らせていた中高生時代、毎日勉強部屋でフォークギターを抱えて演奏していた数々の曲をこの夜演奏してくれたのだが、私には涙ものの選曲の数々の感想は今年のツアー終了後に追記する予定です。



現在ツアー中であるため、ネタばれさせるのも良くないと思うので、
この日のセットリストを知りたい方のみ以下へリンク移動してください。





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エンタメ業界の残業代と業界の課題 [独り言]

エンタメ業界の残業代と業界の課題



エイベックスが17年度に過去の残業代を計上して支払うという報道があった。




総額10億円で対象は1500名。一人当たり平均で約66万円相当だ。
残業代は現行法では、2年前までしか請求権がない。
それでもあの会社の業務体系で平均で1人当り約66万円というのはちょっと低い感じがするが・・・。
1時間2,000円としても333時間。月に60時間超え残業なんて当たり前の業界で、5カ月分程度はねえ・・。
払う対応に賞賛もあるようだが、やっていることは普通にやるべき事なので、賞賛には当たらない。


電通の無制限とも言える残業で亡くなった新卒者の自殺の影響もあったのだろう、
上場企業として雇用環境を遵守するのは業界の特殊事情が関係ない時代となった。
もはや特殊業界と言われ続けて来たエンタメ業界と言っても例外扱いしてもらえないだろう。


エイベックスの松浦社長は、エンタメ業界で働く人間は、仕事とプライベートの境なんて
ないんだ・・というような趣旨を発言し、炎上してしまった。
それでも多くの業界人で彼の趣旨そのものには同感した人は多いはずだ。


確かにエンタメ業界で働く人間は、仕事と趣味の境がなくて好きでやっている人間が多いのは事実だろう。

昨今では、ゲーム業界がそれを継いでいると言われている。
逆にそれを誇りにして働いている人たちもいることはいるし、金よりもやりがいだと言う人だって多いだろう。
経営者にすればありがたい存在だ。
しかし、自分の経験を踏まえてみると、そういう従業員の自発的な労働に胡坐をかいて
ビジネスしているエンタメ業界各社の経営は、結局のところ典型的な「搾取業界」だと言い切れる。
おまけに儲かった時に潤うのは、従業員ではなく、殆どの場合、経営側(企業)とタレント(アーティスト)なのだ。


従業員が自分の意思で好きで勝手にやっているのだから法規定の対価を無視して良いと言う訳ではない。
また、松浦社長は経営者であって従業員ではない。経営者にはタイムカードはないが従業員にはある。
こういう立場と事実を踏まえないまま、仕事とプライベートの境なんてないんだ・・という発言は、
経営者としてはちょっといただけなかったと思う。だからこそ炎上したのだろう。
裁量労働制に移行するとも聞くが、これが労働者側に不利になるのは目に見えている。


一般の人にはピンと来ないだろうが、エンタメ業界の従業員の給料は、平均的に見ても低賃金業界だ。
エンタメ系上場企業の給与を他の上場企業と比較しても、6~7割程度だ。

ミュージックマンネットというサイトにある、業界の募集記事を見ていると、殆どが新入社員に毛が生えた程度の給与だ。
http://www.musicman-net.com/

また、個人事務所になると多少の濃淡はあるが福利厚生までを加味するとかなりお寒い状況だ。
例外は、レコードメーカー位で、彼らの親会社は通常一部上場企業であり、親会社に準じた給与体系であるため、
一般的なエンタメ業界の給与体系とは異なる場合が多い。
従って現在でもレコード会社は斜陽産業である割にはかなり給与が高いと言えるかもしれない。
(もちろんレコード会社でも濃淡はある)


エンタメ業界でアーティスト以外で一般的な収入を大きく超えるには、大手事務所の管理職になるか、役員になるか、独立事務所を構えてタレント(アーティスト)を売るしかない。
そういう意味で、成功すれば普通のサラリーマンを大きく超えられるし、そうでなければ全然超えられない、もしくは普通のサラリーマンがセレブに見えるくらいという業界なのだ。


エンタメ業界のダイナミズムは特殊だ。
その特殊さ故に、彼の業界人の多くは魔法がかかり、魔法にかかったまま働ている人間がかなり多い。


その業界にも懸念点がある。
元々エンタメ業界は、ビジネスモデル的に業務効率の悪い業界だ。
アーティスト、タレントは人間だし、普通でも手間暇かかる相手だ。優秀なアーティスト、タレントほど扱いにくいとも言える。
また、映像関係なんて想像を絶する手間暇の集積であり、音楽制作、ライブ活動作等も同様だ。
加えて、手間暇かかる割に成果が出る確率が高くないし、成果が出るまでにかなり時間もかかる。
もちろん当たれば過去の負債を吹き飛ばし、大きな成功を収められるが、そういう人は万に1人って確率だ。
そうなると普通経営者が考えるのは固定費、特に人件費の抑制なのだ。
人件費を残業代を含め法定通りに支払っていると原価が上がり経営を直撃する。
従ってエンタメ業界にとって残業代を法定通り支払うという行為は、経営そのものを否定しかねない部分があるのだ。


私が前述した「搾取業界」という表現の根本的な部分はここにある。
つまり、エンタメ業界は、好きな連中が自発的に勝手に働いてくれて、給料はそこそこでもたまにちょっとメシでも食わせておけば文句を言わないような環境下でないと成立しない部分が多いという事だ。
業界的な「役得」もない訳ではないので、搾取だと思っていないで働いている人は多いだろう。
また、自分の労働行為1つ1つに一々対価を求めない風潮だって普通に慣習として残っている。
しかし、それは業界内に通用する話で、一般論的には搾取もしくは搾取に近い状態と言って良い。
それでも自発的であればまだ救われる部分はあるが、後で考えると寂寥感に襲われる人も多いのではないだろうか?


いずれにしても、特にエンタメ業界の上場企業系にとって残業代は経営上、かなりのリスクとなるだろう。
朝までやるようなレコーディングにスタッフが永遠と付き添っていても、ビジネス的に生み出すものが多くなければ
残業代を払いたくないのは当然だが、だからと言ってミュージシャンを放置しておくわけにもいかない。
実際私の知り合いのレコーディングエンジニアも、管理職として残業に取り組まざるを得ない時代に苦悩している。特にミュージシャンのような仕事は時間に縛られない。しかし多くの業界人はいわゆるサラリーマンとして働いており、時間管理が必要だ。ミュージシャンの要求を満たす義務のあるサラリーマンというのは実際問題として落としどころが難しいのだ。
ミュージシャンやタレントたちは、子飼いのスタッフが自分の仕事場からいなくなるのを嫌う傾向がある。スタッフにとってはお守りに等しいが、彼らの機嫌取りも大事な仕事の1つなのだ。
ミュージシャンやタレントの付き合いで朝まで飲み会に付き合っても、それが即お金を生む訳でもない。タレント、代理店、放送局の連中と飲むのが仕事なんて言われているが、まさにそういう部分は実在するし、そういう部分で培った人脈が仕事の源泉とも言える。
ミュージシャンやタレントからすれば、「無駄の集積」こそが、タレント性を発揮する源泉とも考えているだろうからだ。
かようにエンタメ業界は、業務に無駄が多く見えるが、逆説的にはそれが新たなクリエイティブを生む根源なのだとも言える。しかし昨今の音楽業界を見ているとそれも怪しい。
時代が変わってしまい、無駄の集積が金の卵を産まず、本当に無駄の集積になりそうなのだ。考えてみれば当然で、これまで10人のうち、1人が大ヒットし、2人が中ヒットすればビジネスの辻褄を合わせられたが、大ヒットも中ヒットも出ない時代ではビジネスをしようがない。売れるヤツは売れるが売れないヤツは売れないだけということだ。でもその売れるヤツをこれまでのように投資して見つける事が音楽業界では出来なくなっているということだ。
ユニバーサルの新しい社長と言われる人物が、これからは東京ドームや紅白に出れるようなヤツしかウチではやらないと言ったそうだが、その良い結果論を始まる前に的確に見つけられるのなら、音楽業界は苦労しないのである。

エイベックスの残業代支払いは、そういうエンタメ産業の抱えるビジネス的な矛盾にかなり大きな課題を突き付けた問題と言えよう。同業者の今後の対応が見ものである。





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苦労 [独り言]

若い頃には買ってでも苦労しろなんて言葉があった。

正直苦労なんて買ってまでしたくない。

でも苦労のお蔭で人間としての成長があった事は事実だ。

苦労は辛く、楽しくもない。

でも苦労のお蔭で見える世界があった事は事実だ。

人間は勘違いしやすく傲慢で欲深い動物だ。

そういう人間を戒めるのは「苦労」だけだと信じている。

でも、できれば死なない程度の苦労にして欲しい。

死んでしまうような苦労には出会いたくないよね。

やっぱり。

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クリエイティブ、エンタテインメント系の仕事を目指す若い人へのアドバイス [独り言]

クリエイティブ、エンタテインメント系の仕事を目指す若い人へのアドバイス


私は1983年に大学を卒業して以来、浮き沈みを経験しながら57歳の現在に至るまで
何とかエンタテインメント系の仕事をして来ました。
社会人前半19年は音楽業界、後半の42歳からは、衛星放送と映像運用+音楽業界という感じです。
振り返ってみると、40年近くこの業界で仕事を続けてこられたのは、ちょっと奇跡的な感じです。
振り返ってみると、私には特別な才能があったように思えない、というか、私は結構普通の人間でした。
ただ好奇心が強く、面白いものが好きで、その入り口は音楽だったという事だ。
結局私にとっての成功例は、韓流ブームに乗ったビジネスだった。
未だにそれで食べているが、韓流も今後どうなるか分からないと思う。
昨今はゲーム音楽系のビジネスにも足を踏み入れつつあるが・・・。


40年近い経験を持った私が、自分の体験を通じて分かった事があるので、以下に記し、今後クリエイティブ、エンタテインメント系の仕事を目指す若い人へのアドバイスになればと思います。
明示的に言えば、この世界は弱肉強食です。
生き残りが厳しく、結構大変だという事は予めお伝えしておきます。
特に仕事として継続するのにエネルギーが膨大にかかります。

また、基本的クリエイティブ、エンタテインメント系のスタッフの仕事は、全般的に給料が安いです。
特に若い時、つまり20代~30代前半においては、一部上場企業の同じ年代と比較して
40~70%程度だと思って差し支えないでしょう。
一部例外はレコード会社ですが、現代のレコード会社は完全な斜陽産業であり、未来は全くありません。
今でもレコード会社にいて結構な給料をもらっている人が40代以降に数多くおりますが、早晩立ち行かなくなるでしょう。
レコード産業の売上は全体でも2000億円程度です。また毎年小さくなっております。
(ちなみにアメリカも1997年の1.8兆円から現在では半分以下になっている)
2000億円程度と言えば、一部上場企業なら1社分以下と言えます。そこに何十という会社が存在するのです。
各社のパイが小さいのは算数で分かるでしょう。
それ故に、大変にオセッカイな言い方だが、特に若い人はレコード会社への就職は全くお勧め出来ません。
エイベックスですら音楽部門は他部門に吸収されており、ライブと映像事業が主事業の時代です。
少なくとも音楽業界に関して言えば、インディーズで起業をして名を成す方が良い時代とも言えます。


タレントマネージメント会社は、大手であっても大抵は給料は安く激務です。
それでも色々な経験が出来るという点では人生を豊かにしてくれますが、
マネージメント会社に就職したら、売れるアーティストかタレントを発掘し、成果を出さない限り
自分の人生に未来はありません。
大手の会社ですと、40代中盤までに役員や本部長になれない人達以外は早晩、早期退職の対象になります。
従って現場マネージャーのような職種でやれるものは30代後半迄です。
マネージメント会社に入るなら、ノウハウや人脈を作り、タレント発掘して独立するくらいの気概がないと
一生の仕事として行うのは難しいでしょう。
また大手に就職するなら、部長級以上を目指さない限り年収や経費面で美味しくありません。
ただ、事業ノルマはかなり厳しくなります。
この分野の仕事は、アーティストやタレントとクリエイティブ以外の部分で対峙出来、
御する才能を求められます。その才能が無い人は、ただの「ボーヤ」になるだけで、
それ以上でもそれ以下でもない訳です。
40歳過ぎてアーティストやタレントのお世話係をするだけであれば、その先はなさそうというのが事実です。
(アーティストやタレントがその人がいないとダメだと言ってくれれば別ですが、それもリスクがあり)
この業界で残っている人間は、例外なく売れるタレントやミュージシャンを発掘育成しております。
マネージメントはそれが肝の仕事で、その上で仕事を作れるか?が問われるのです。


音楽にしろ映像にしろ、クリエイティブで身を立てようとする人は、基本的に独立した存在を求められます。
つまり才能だけが自分の武器です。
ちなみにこんな記事を見つけました。

(音楽の才能の90%は遺伝による)
http://netgeek.biz/archives/99094

この記事はとある新書の引用ですが、同じような内容は「言ってはいけない」というベストセラー新書にもありましたし、どうやら芸術的才能は、遺伝に大きく影響されるのは科学的に成立している事実のようです。つまり後天的努力では身につかないという事です。この世には、生まれつき凄く歌の上手い人(美空ひばりさんや井上陽水さんなど)、演奏が上手い人、センスの良い曲かける人はおりますが、あれは努力ではなく才能という事になります。才能があり、努力するからプロになるという事ですね。
残念ですが、才能の無い人が人生を賭しても無駄になりますから、早めに自分を見つめ直した方が良いでしょう。好きだから成り立つっていう仕事ではありません。

さて、クリエイティブ系の会社の社長になるのであれば、人脈と仕事作りの才能が必要になります。
そのためには、マーケットで求められる能力が必要であり、また事業継続できる力量が必要です。
音楽でも、デビューしたものの売れなかったり、ちょっと売れても下降線をたどる人は多いですが、
一生の職業とするためには相当な能力と胆力が必要です。
ミュージシャン、アーティストという言葉はカッコいいですが、実際にそれに見合う仕事をやり続ける事が
出来る人はほんの一握りです。
少なくとも20代中盤直後に目途の立たない人は才能的にも運的にも難しいと思った方が無難です。
また、才能だけでなく人間性も重要なファクターです。
才能を切り売りする仕事ですから、必ずクライアントやファンという存在がおり、自分の自由気ままだけで
金が稼げるほど簡単な仕事ではありません。
特に数十年の活動をするためには、一定の社会性も必要で、ミュージシャン、アーティストだから自由でワガママで
言い訳ではありません。
また優秀なスタッフとチームを作る事も大切ですが、金にまつわる話は透明化しておかないと、矢沢永吉さんのように
騙されてしまうことも発生致します。


アニメ業界のアニメーターというと薄給が知れ渡っております。
正直言うと彼らは能力を搾取されていると言って良いでしょう。
平均年収110~150万円なんて、生活保護以下です。
(私が昔やっていたミュージシャンのボーヤもこのレベルでしたが・・。)
彼らの「アニメを書く事が好き」という自主性だけが、あの業界を支えている訳です。
しかしアニメ作品が売れても彼らには還元されませんが、彼らなしではアニメ業界は成り立たないのです。
そういう観点からみると日本のアニメ業界には、余り未来がありそうにも思えません。
この問題は宮崎駿監督がアニメーターの時代から言われているもので、
それを改善するために作ったのがジブリでした。
しかし、結果的に言えば、ジブリですら根本的な解決案を見いだせないままでした。
それは宮崎さん以外のヒットクリエイターをジブリ自身が作る事が出来なかった事にあります。
アニメーターはクリエイターというよりは作業者に近いため、どうしても地位が上がりにくいからです。

大ヒットした「君の名は」で一番儲かったのは配給の東宝でしょう。
300億円の興業収益だそうなので、30億円程度が手元残ったはずです。
その次に潤ったのは劇場でしょうかね。それと座組の投資家でしょうか?

またDVDもかなり売れるでしょうから、その販売元の利益は億単位でしょう。
監督にどの程度配分されるか分かりませんが、今後、監督さんはその利益を元にして自分でファイナンスして自主制作と配給することをお勧め致します。
著作権を完全に保有する事以外にクリエイターがビジネスと対峙することは不可能です。
シンゴジラの庵野監督はもうその辺りに気が付いておりますよね。
後年のルーカスがスターウォーズの制作費を自主調達したのはそうした背景があったのです。
つまり、映画で稼いだ金で次を作り、それを繰り返すという事です。
そうすればビジネスサイドからの干渉を避けられ、クリエイティブに専念できるし、配給からMGを支払ってもらえれば回収も早い訳です。

そういう意味で、アニメ業界には大いなるビジネス上のポテンシャルが有しながら、
底辺で搾取されるアニメーターやクリエイターの自助努力で成り立っていると言っていいでしょう。
(音楽でもそういう面がありますね・・・)
庵野監督は気がついているようですが、クリエイターたちが自立したければ、経済的自立が必須です。
そこに無頓着な人は大成出来ないというのがエンタビジネスの事実です。


以下のサイトを見ても分かるように、音楽業界の働き先はどこも低賃金です。
http://www.musicman-net.com/

人手不足で音楽業界も先の見えない時代に、こんな賃金の世界で働く事を求める人がどの位いるのかは疑問です。
私の時代は未来が明るかったので、希望という根拠のない未来を信じて、滅私奉公しても元が取れそうな
感じが致しました。
しかし、今の音楽業界には未来が見えず、滅私奉公は人生の無駄になり兼ねません。
現代の音楽業界は、業界全体で雇用環境を考えた方が良いのではないでしょうか?


私の知り合いでも、今でも生き残っている人は数が限られます。
人によってはリストラされ、フリーランスを余儀なくされております。
やはりエンタメ業界は、基本的にやり続けるのが難しい世界だなと思う次第です。


総括:

(1)この業界で仕事をするなら、普通のサラリーマンを超えて成功してやるという気概が必要。
(2)そもそもエンタメの仕事が三度の飯よりも好きでないと全く耐えられません。
(3)若い時代に定収入だとしても、必ず取り返すと決めて、チャンスと人脈のために自分の時間を過ごすこと。
(4)30代中盤から後半にかけて、当初の見込みとかけ離れていると感じた場合、人生の方針転換をすること。
(5)40代に入ってから業態、業界を変えるのは相当なリスクとなる。(私はこのリクスに直面した)
(6)この業界に限らず、トップの成功を収められる人は1%以下です。
   そこに残れないと思うのなら止めた方がいい。
   (ちなみにサラリーマンでも役員になれるのは1%以下だが、定年まで生き残れる可能性は本業界より遥かに高い))
(7)クリエイター(ミュージシャン含む)においては、30歳前に成功しなければ辞めた方がいいです。

坂本龍一氏 「async」に未来を期待して・・・  [独り言]

2017年4月、坂本龍一氏の新作アルバム「async」が発売された。私は渋谷のタワーへ買いに行った。いわゆるJ-POP階と呼ばれる3階で売っていた。
家に帰りCDラジカセで聴き始める。
本作について、色々と意見があると聞いていたが、個人的には教授らしい音だったと思う。80年代に発売した「Field Work」のB面のExhibition、電子環境音楽とも言える作品で、ちょっとその感じを思い出した。個人的にはExhibitionは、良く聞いていた。

60歳を過ぎた彼が到達した音は「async」だったんだと思った。たから私はあれこれ考えず、素直に受け止めた。
1980年代初頭に「B2Unit」を出した時、あのサウンドを理解出来た人は殆どいなかった。結局「B2Unit」が再評価されたのは、1990年代中期で、日本にヒップホップ文化、つまりDJ文化が根付き始めた頃だった。そういう意味で、「B2Unit」は25年も早い音楽だった言える。そして確信的に教授はそのサウンドを構築していた。

 「async」のオリコン初登場は20位で売上枚数は、4500枚程度だったいう。
決してポップでないアルバムなのだが、それでも1万枚以下か・・・。ちょっと萎える数字ではある。
現代の音楽の作り手には、随分と厳しい時代になってしまった。
それでも「async」が本当の評価を受けるのは、今から四半世紀後かもしれないな・・と思った。
あれだけの才能を持った人が革新的且つ確信的に作った作品だ。
ユーザーとしてはそれを受け止めるだけだ。
そして教授はいつも、未来の音楽を作ってしまう人なんですよね。

async

async

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: commmons
  • 発売日: 2017/03/29
  • メディア: CD



 


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K-POPのライブ動員とSNSとギャラの関係について [ライブ・コンサート]

ライブ動員とSNSとの関係について


ネット時代になって色々と面白い事が判ってきた。
読んだ後、そんな事当たり前じゃんって言われそうなので、
予め新発見ではないことを断っておく。

ちなみに既に気が付いている人もいると思う。
でもこれをちゃんとまとめた人は初めてかも・・・と思っている。
でも、母数が少ないので、本当は大学サークル辺りでキチンと
定量的な検証があれば、もっと確実な事が分かると思う。


昨今、音楽業界はCDメディアのビジネスが崩壊している。
1997年をピークに右肩下がりなので、今更なのだが、
いよいよ本当に終わると思う。
多分我々のようなレコード世代が殆ど金銭的にも寿命的にも
買えなくなる10年以内がレコード会社の寿命だろう。
ゼロにはならないだろうが、会社として維持できるほどの
マーケットサイズは無くなる。

さてその代替ビジネスがライブ産業だ。
もはやミュージシャンはライブが出来ない人以外はほぼ食えない。
また集客の出来ないミュージシャンも食えない。
ミュージシャンの収入は、過去にヒット作を大量に持っていて
その累積による印税で収入をカバー出来る人たちを除いて
ほぼ動員数に依存している。

さて、本論だ。
ネット時代になり、SNSメディアを利用し、特に本人発信が可能な媒体には
多くのファンもしくは興味をもった人たちが集う。
私はミュージシャンにしろ、タレントにしろ、そういう発信メディアに集う
無数の人たちと、リアルビジネス(ライブや講演会等)に何らかの関連性が
あるのでは?と思っていた。
私は現在K-POPと2.5次元関係の仕事をしている。
K-POPと2.5次元はネット住人と親和性が高い。
しかし実際にライブを開催するとなると、動員数の読みがいつも課題となる。

そこでネット住人の動向と動員数に関連性がないかを考えてみた。
その中で一番使いやすく調べ安かったのはツイッターやインスタグラムだ。
特にツイッターはフォロアー数も分かり、また分析ツールもあるので分かりやすい。

そこで、K-POPと2.5次元関連を調べある関連性を記しておこうと思う。

(方程式#01)

K-POPにおいて、「メンバーが書き込む」公式日本サイトのフォローア数の
10%が日本国内における下限動員可能数(1ツアーの総動員数)だ。
なお、この確率は約85%で、例外は15%程度存在する。
下限動員可能数とは、少なくともその数は動員できる。
U-KISSは日本フォロアー数約13万件に対して、日本での動員数は約1.3万人だ。
ちなみにSEVENTEENは、日本フォロアー数約19万件に対して2月のツアー動員が5万人だったので、
フォロアー数以上と言えるが、下限動員可能数の1.9万は遥かに超えている。
但し、理論値を大きく超えているアーティストは、超えた分が「バブルな人気」の恐れがあるため要注意だ。つまり実力値を超えているとも言えるのだ。この辺りは研究が必要だろう。
なお、VIXXは、フォロアー数11万件で動員数は約1.1万人だ。
例外は、超新星でフォロアー数4.3万件で、日本の動員数が2.0万人あり、
こういうケースも存在する。

(方程式#02)

K-POPにおいて、メンバーが書き込む公式韓国サイトのフォローア数の
1%が日本国内における下限動員可能数(1ツアーの総動員数)だ。
なお、この確率は約70%で、例外は30%程度存在する。
韓国で売れないと日本でも売れないと業界で言われているが、
この感覚はこの点において証明されていると言える。
U-KISSは韓国フォロアー数約48万件に対して、日本での動員数は約1.3万人だが、
0.48万を超えている。SEVENTEENは、韓国フォロアー数約112万件に対して、日本での動員数は
5万人だったのでこれも理論値の1.12万人を超えている。


(方程式#03)
K-POPにおいて、メンバーが書き込む公式韓国サイトのフォローア数が
100万件を超えると、動員数とは連動しなくなる。
100万件のにおける下限動員可能数(1ツアーの総動員数)は10万人だが、
100万以上になると、過去に累積内から離脱者が出ている可能性が高く、
また新規が積み重なるため入れ替えがあり、実動員への影響が少なくなるとみられる。
韓国で100万件を超えるとドームやスタジアムツアー公演の可能性が見えると言ってよい。
ちなみに、防弾少年団は、韓国のフォロー数が422万件だが、日本は96万件で、動員数は約7万人だ。
422万件あっても、動員数が比例する訳ではないいい例だと言ってよい。


(方程式#04)

韓国のツイッターフォロアー数が41万を超えると韓国国内での人気が目に見えて明らかになり、
日本での人気の可能性が俄然と高くなる。
何故41万が有効なのかについては不明。
但し、超新星はこの例に全くはまらない。


(方程式#05)

2.5次元系(ツイキャス等で活躍している人たち)は、フォロアー数の1%が日本国内における下限動員可能数(1公演当り)だ。10万フォロアーがある人は1000名までの会場ならライブ開催の可能性があると考えられる。
なお、2.5次元に親和性のある人たちは、ネット上での興味を持つが、リアルへの
参加比率が極端に少ないと分かる。
但し、数名で行うライブ開催においては、出演者全員のフォロー数を足した数の1%には必ずしもならない。場合によっては興味のないアーティストの出演に対して拒否反応が出るので、要注意だ。これはK-POPでも同様。


上記方程式で大きな欠点があるとすれば、1人のファンが何度も会場に足を運ぶ比率については補足出来ないという点だ。フォロー数から導きだされる理論下限動員可能数を大きく超える動員があるグループの場合、動員数の中に1人のファンが何度も会場に足を運ぶ比率について分からないと真水のファン数が読み取れない。
またツイッターの場合、1人が複数アカウントを持っていてそれらを全て使った場合を想定すると、
フォロー数と人間の頭数は必ずしも一致せずとなる。
ただし、ツイッターのフォロー数を利用することで、全く的外れなマーケティングにならない確率は上がるのは確かなようだ。

上記を違う言い方にすると、K-POPは動員数の10倍余りのポテンシャルユーザーが存在し、
2.5次元系は100倍存在すると言ってよい。
ただ、実際にビジネス対象となる真水の範囲がどの程度なのかはまだまだ議論の余地がある。
また日本のアーティストの場合、SNSに親和性のあるファンが多い人たちであれば、
本方程式を上手く使う事で人気の尺度を見る事が可能だろう。
但し、山下達郎さんのような人たちにはこうした尺度は当てはまらない。彼の1度のツアー動員数は約10万人だが、ツイッターをやっていたら70万から100万程度のフォロアーがいる可能性がある。
そういう意味で、上記方程式が通用するアーティストは、2008年頃以降を境に出てきた
アーティストが中心となるだろうと思う。
 
最後にライブのメイン出演者のギャラについてちょっとだけ法則性を語ろう。
ライブを開催する際、 ライブのメイン出演者のギャラの設定に悩んでいる人は多いだろう。
実は目安がある。
総売り上げに対する メイン出演者のギャラが20%以下とすることだ。
出来れば10%から15%の間で折り合えるのが適切だ。
20%を超えてしまうと、演出面や制作費関連を削らざるを得なくなる。20%は、ステージ上の全出演者を入れた位の設定となる。
また当然だが、主催の総売り上げは「(チケット代-チケット手数料)×販売数」になる。
チケット手数料は、大抵3~8%程度であり、決して軽くない。
1つの目安としてだが、チケット代が8,000円を超えるようなアーティストの場合、
動員1000名に対して払える上限ギャラは100万円程度が妥当と言える。
国際フォーラムA(4500名)だとすれば、売上は約3,300円程度(手数料控除後)だ。
動員1000名=100万円の法則で言えば、450万円でギャラ率は13.6%。500万円としても15%程度となる。
武道館辺りでかなり満員にしても9,000名程度だ。チケット代10,000円でも売上は、8,200万円程度だ。 
動員1000名=100万円の法則で言えば900万円程度が妥当となるが、これで10%程度。15%程度まで考えれば1,200万円程度までが許容範囲だろう。つまり、900~1,200万円の中で金額が折り合えばビジネス出来るというものだ。
とある売れ筋のK-POPタレントの横浜アリーナのライブは、満員だったが、出演者のギャラは、1ステージで1,600万円だった。これはチケット収入の13%程度だったと思う。この設定はかなり妥当性が高い。但し、日本以外のアジア圏では、2000万円以上を支払う国があるのは事実だ。この辺は研究したい部分だ。

ある韓国の俳優のファンミでは、総売り上げの35%を支払っていたが、こうなると主催者は殆ど利益を出せなくなってしまう。 そういう設定を飲まないと開催出来ないという不利を承知でも、ビジネスとしてはやらない方が良くなってしまう。
また、韓国のK-POPの事務所は、日本のライブにおいて、結構驚くようなギャラ提示をしてくるが、だいたいは、上記の法則の倍以上の要求をしてくるため、まともな感覚で言えば日本側がリスクを負っての開催は殆ど不能だ。
 
さて、2017年5月、こんなニュースがネットに出ていた。

★翌週に控えた「SHINHWA」の日本公演、突然の中止発表… 「SHINHWA」側は法的対応も辞さない構え  
 
ツアー関連のサイト:
 
幕張メッセ(動員0.9万人) で2日間(1.8万人)の開催を計画していたようだ。招聘は日本法人だが、社長は韓国人だ。
 
KARMS: 
 
資本金500万円の会社が、メッセでライブイベントやろうと言うのだから尋常ではない。少なくとも億単位の制作費がかかるが、外部からの調達資金で賄っているのだろう。共同主催のThe Booming Companyは何の会社か全く不明。 
 
さて、SHINHWAの韓国のツイッターのフォロアー数は、14万だ。 
https://twitter.com/shinhwacompany 

もうかなりのベテランなので、今の日本の若い層には忘れられたグループかもしれないが、本国ではそれなりに固定ファンがいる。
私の方程式に照らしてみれば、 可能動員数=14万×1%であり、1,400名程度だ。かなり上振れても2,000~3,000名が限界だ。今の神話の動員数限界は中野サンプラザ級だろう。払えるギャラも200万~300万円だ。
今回の設定キャパである1.8万はその12倍の設定ということだ。私の想像だが、チケット発売をしたが、想定を超えて売れなかったのだろう。しかしメッセは押さえてしまっており、チケットは発売され、主催はニッチもサッチも行かなくなったに違いない。予定していたギャラも払える状態でなかっただろうし、経費だって同様だ。
報道情報だけでも両者間に相当な揉め事が起きた事が伺われる。神話の事務所は被害者だが、日本で1.8万も動員できると考えるのは、マネージメント会社としても現実を把握していなさすぎだ。
これも想像だが、このキャパ設定をしたのは、事務所の提示したギャラが2000万円程度だった可能性が考えられる。主催からすると、このギャラを回収して利益を出そうとすれば、動員数が約2万と設定したいからだ。 おまけに彼らのライブは演出が派手だから舞台制作費も相当かかるだろう。

もはやK-POPバブルの様相だが、この規模のライブで躓くと、会社が飛ぶ可能性だってある。
マーケットのリアリティーを無視すると、興業は恐ろしい結果を生む典型例になるかもしれない。

私の方程式を知っていれば、こんな初歩的な事で躓かなくて済んだのにと思う。
お気の毒様。 

私も気をつけよう。







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私的な貧乏物語 [独り言]


「私の貧乏物語」という著書がある。現在では様々な分野で活躍されている方々の
貧乏物語を語ってもらいまとめた著書だ。
あの人が・・という意外な一面が著述してある。
貧乏の度合は、時代背景、地域、両親の仕事によって様々だ。
それでも戦後の貧乏は現在とは次元が違う事が伺えるが、
戦後においても貧乏で苦労している方は多いようだ。
 
私の「貧乏物語」――これからの希望をみつけるために

私の「貧乏物語」――これからの希望をみつけるために

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

かく言う私も、多分貧乏に近い部類の人間だったと思う。
父親は地方公務員。高度経済成長期において、地方公務員の給与は平場に比べて高くない。
母親が結婚当初、父の上司から、あれで本当にやって行けますか?と聞かれた話をされたことがあるが、
どうやら父親の給与は余り良かったとは言えないようだ。

小学校低学年の時のクリスマスの光景は今でも覚えている。
子供にとってクリスマスと言えば、普段買ってもらえないオモチャを買ってもらえる
絶好のチャンスだ。
しかしその年は全く相手にしてもらえなかった。
クリスマスの朝、母と一緒に寝ている今で目を覚ました私の枕元に置いてあったのは、
当時の値段では、30円で一束買える折紙だった。金銀の紙が1枚づつ入ったヤツだ。

子供の私はそれを見て堰を切ったように泣き出した。
その時、母は台所に立って洗い物をしていた。
私は母の背中に向って「こんなんじゃ嫌だ」と泣き叫んだ。
多分折紙は放り付けただろう。
母は黙ったまま洗い物をして何も言わなかった。
未だにこれを記憶しているという事は、当時の私には相当なショックだったのだろう。

後で知ったが、その年の父のボーナスは、想定以上に引くかったらしい。
母はいつか一戸建てを持って人並みになるんだと貯蓄をしていた。
そのため、当時30代の母は、電子部品系の内職をずっとやっていた記憶がある。
小さな炭素絶縁体に電動金属を嵌め込む仕事だ。1つやって1円もらえるという感じのものだった。
私も助けた事があるが、根気のいる仕事で、今の30代の女性がするなんて想像もつかない地味なものだ。

実は当時、私は自分の家を貧乏だとは思っていなかった。
私を含めた周囲は市営住宅に住んでおり、同じ様な生活環境だったからだ。
同級生は皆、継ぎ接ぎのズボンだったし、怪我をするので赤チンだらけだった。
私は昭和のガキんちょだったのだ。

小学校4年生で引っ越した。母念願の一戸建てを建てたのだ。
今で言えば4LDK。100坪の土地には庭もある。
この時、我が家はやっと世間並になった感じがした。
初めて我が家に車が来たのもこの時期だ。(カローラの中古車だが)

私は20歳になって成人をし、かつて住んでいた市営住宅を見に行った。
その場所は大人になった自分目には信じられないほど狭い空間の場所だった。
「オレって家族4人であんな狭い場所で住んでたんだ・・」

この時、両親の苦労が肌身を沁みて分かったような気がした。

あれから随分と時が経ち、両親は年金受給者になってから、
水引きの内職で貯めたお金を使って念願の中国旅行に行ったり、
犬を飼ったり(約20年で二匹)、ずっと夢見てきた事を少しづつ叶える事が出来るようになった。
そしてその時間も十分にあった。
2017年2月8日、67回目の結婚記念日を2人で迎えた。
今は毎日を静かに暮らしている。

我が家は、決して裕福な家庭とは言えなかったが、
老齢の両親は未だに自分たちで自分たちの事が出来ており、
十分幸せな家族だと思っている。
ありがたいことだ。







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韓国疲れは何故起こるのか?  [独り言]

私はもう15年以上韓国と仕事をしている。随分と世話にもなっているし、世話もした。

冬のソナタ以来、近くて遠い国と言われた日韓の距離は俄然近くなった。
そういう意味で、コンテンツが届ける文化や親近感は長年の外交政策を超える成果となった。
個人的に日韓の接近は良いと思っている。
外交的、地政的観点から言っても韓国との有効関係は日本にとって不利ではないしむしろ有効に活用すべきだ。
ただ、日本人が一般的に抱くような友好関係が日韓で維持できるというのは幻想だろう。我々は似た様な民族に見えるのだが、驚くほど違う宗教を持った国民であるというのがリアリティーだろう。
 
北方面に同国的な敵を抱える韓国にとり、外交的生存を貫くためにはロシア、中国、日本そしてアメリカとの関係の妙が国の存亡のカギとなる。
一言で言えば、韓国の外交戦略の根幹は「敵を作らない」事にある。それ故、パク政権当初に行っていた日本の慰安婦問題の批判を訪問先の国で公言したのは、彼らの気持ちを汲んだとしても余り賢いやり方ではなかった。実際THAADの配備で中国という手札を失い孤立している。親日である必要はないが、敵意をむき出しにするのは頭の良い外交政策とは言えない。

個人的にだが、ここ15年韓国と付き合ってみると韓国人に対して、大変な違和感を覚える事が数多い。
誤解なきようにだが、これから書く事は悪口ではない。私は韓国人に対して好きも嫌いもない。またK-POPのアジア進出の様子を見ていると彼らの才能や爆発的なエネルギーに感心さえもする。そういう部分において、特に日本の芸能、音楽業界人は謙虚に見習う部分があると考えているくらいだ。
さて、「違和感」についてだが、実は日本人の私だけでなく、中国人や台湾人も同様の見解を憶えている。
この「違和感」はなかなか乗り越えられない感じのものなのだが、お互いに引っ越す訳にはゆかないので付き合い方を考えて行くしかない。理解できなくても対応するしかないのが現実だ。

さて、韓国人の違和感とは? と尋ねられると、まるで「他にはないOSで動いているPC」という印象に尽きるだろう。
実は、2017年になってケント・ギルバート氏がこれに関する満額回答とも言える著書を出した。

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (講談社+α新書)写真で示した本「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 」だ。
本書を読んだ。
韓国ドラマやK-POPなどで、韓国に対して無批判に好意をもっていらっしゃる方にはちょっと毒気の強い本だと思う。基本的に韓国に批判的に書いてあるからだ。
それでも彼の著書内で韓国社会に対する違和感が儒教思想の毒の部分が蔓延していることだとう指摘は正確で正しいし、私の実体験とも完全に一致する。
正直言うと、私のブログを読むよりも、この本を一読した方が良い位だとも思う。




さて、以下は私の体験に紐づいた記述だ。

一例だが、韓国人の多くは、自分の立場の弱い段階では目線を下げて接してくるが、一たび自分が相手よりも優位と見るやそれまでの援助や人間関係を顧みない態度に豹変するというものがある。
これは知的レベル関係なく韓国の人たちに普遍的に感じる行動だろう。
これは我々のような外国人だけの意見ではなく、日本に住む韓国人たちも自国民に対して同様の意見を言う人も多い。
つまり彼らに対して下手に出ようものなら「直ぐに勘違いする」というものだ。
この勘違いは殆どスイッチが入ったようにグラデーションがないのも特徴だ。韓国人自身も自国民に対して違和感を覚えているというのが事実のようだ。

この思考回路は我々のような外国人には全く理解できない部分だ。あのOSの仕組みだけは未だに理解し難い部分だ。
さてこの思考回路は慰安婦問題に影を落としている。

日本は韓国との慰安婦問題で外交交渉を行い、日韓合意に従って色々と手を尽くしてきた。
90年代の河野談話は、韓国との関係や先方の事情を配慮した形を取る事でお互いに鉾を収めようと考えたからだろうが、このやり方は韓国人を理解したやり方ではなかったと思う。
韓国人は、日本的な「行間を読み丸く収める」「和を以て貴しとなす」的なやり方は通用しないという事を当時の外務省担当者は政治家に告げるべきだった。日本側のベースにあるメッセージ、つまり、日本側も一定の非を認める談話で事を終わりにしましょうという部分は当時の韓国政府や国民には理解できない部分だったと思う。

韓国人から見れば慰安婦問題は、100%日本に非があると思っている問題だ。彼らがベトナム戦争時にベトナム人の女性に同様の事をやっていたことは彼らにとって別問題だ。
従って彼らにとって慰安婦問題において自分たちが立場が下になるという事はないのだ。
自分たちが「上」にいる以上、韓国人にとってこの問題について日本は韓国人の「言うがままになるべき」というのが彼らの心理的根底的にある理屈なのだ。
極端な言い分に見えるだろうが、BSフジのプライムニュースに出た韓国人コメンテーター李 泳采(イ ヨンチェ/恵泉女学院大学)氏が、「最終的な(韓国との)合意があったとして日本は加害者である事が消える訳ではないので、永遠に謝罪すべきなんです」「日本は慰安婦問題において、常に加害者であるという立場を忘れないというのとが重要なのです」という発言に触れれば分かるように、韓国人のメンタリティーの全てがこうした点にあると言って良いだろう。
日本にいて日本の大学にいる韓国知識人でさえもこういう見方をするのだ。他は押してしるべしという事だ。

どうやら韓国人には、ある時点の謝罪によって「過去を清算する」、つまり一旦ゼロにして再出発するという発想がないようなのだ。この辺りが付き合っていて感じる違和感の1つだろう。ちなみに中国人は、かつて田中政権時において、日中国交を樹立した際、毛沢東政権から戦時下の所業についてあえて問わないとされた。現在においても中国の時の政権は日本の過去の所業を忘れるなとは繰り返して言うが、国交の合意そのものの精神に反した行動は取らない。南京虐殺の件にしても個別の歴史館のようなものは作るが、北京の日本大使館前に虐殺を象徴するような像を立てるような下品な真似は中国人でさえもしないのだ。

外交的な象徴である大使館前に平気で慰安像を置く韓国人の心理というのは、例え表面的に問題解決や合意があったとして、被害者である日本人に対してこの問題を永遠に忘れさせないというメッセージがあると考えて良い。これは前出の韓国人コメンテーターの発言と一致する行動なのだ。この湿度の高い「しつこさ」や韓国人のメンタリティーや思考回路が、一般的な常識で受容困難なのは、議論の果ての外交的な解決という事実と日本政府及び日本国民が慰安婦問題において永遠の責任と謝罪を有する事が「別次元の問題だ」と考えている事にあるからだろう。

プライムニュースなどて時折取り上げられ議論されている本問題で、韓国人コメンテーターと日本側と殆どかみ合わないのはこうした背景がある。日本からすれば、慰安婦問題の解決に際して外交的な解決で過去の経緯や問題、課題に区切りをつけ、先に進もうという、世界標準的な外交的アプローチで投げかけても、韓国側は、それはそれ、これはこれと、その都度違う条件や見方を提示してため、日本側や世界は戸惑うのだ。
韓国人にとって過去の清算は事実上、永遠にないというのが精神の根本にあるからだ。これは「恨」の発想だろう。
日本側の日韓合意の解釈は、「外交的に合意した内容と精神に準じた行動と対応をする」という事だが、韓国側の解釈は、「履行した合意内容と精神はそれとして、もしこの件で何か起きたら、個別にそれぞれの事情や状況を考えて双方で協力して対応する」という感じなのだ。
韓国人からすれば自分たち側にも色々事情があるのでそういう事情に合わせて(そもそもの加害者である)日本も(当然一緒に)考えるべきだというような感じで、彼らの感覚からすればむしろ当然の行為や思考なのだが、これは自分たちの問題も相手が一緒に引き取るべきだという韓国独特の考え方で、世界標準的には理解し難い部分なのだ。これが別の違和感を生んでいると思う。

仮にだが、慰安婦たちに安倍首相が直接謝罪をしても、次に想定されるのは韓国世論や政府が天皇の謝罪を要求してくる事だろう。実際そうなるのは火を見るよりも明らかだ。
私の推測だが、自民党政権はこれを最も危惧していたのだろうと思う。イ・ミョンバク元大統領が竹島に上陸した時、天皇に戦争責任の謝罪をしろと言った事は、日本との関係性で触るべきではない部分だった。韓国人は日本の天皇を表現する際「日王」と言っている。それが彼らの日本や天皇に対する見方でもある。少なくとも国内の人気取りのためにイ・ミョンバク元大統領が天皇の謝罪を求めたのは悪かった。ああいう部分が韓国人の外交センスのなさと言えよう。
しかし、その後、韓国のパク・クネ氏や外相のユン・ビョンセ氏が政権を担い、日本を敵として演出してきたが、中国との関係が怪しくなり、外交的に日本との関係をこれ以上悪化させることが相当に不利と読んで国内のリスクを取ってでも慰安婦問題に合意を取り着けたのは、韓国社会の背景を考えるとかなりの英断なのだがそれまでの日本との外交を鑑みると泥縄状態で、そのため短期的な視点で日韓関係を回復させるためアメリカの介入もあって慰安婦問題に合意をしたが、民間の認識と理解とは相当な乖離があるのはご存じの通りだ。現状パク政権は死に体で、アメリカとの首脳会談などは夢のまた夢という状態だ。サムソンまで巻き込んだ現政権のスキャンダルは、韓国経済を直撃するだろう。

韓国の「儒教思想」や「恨」の根深さは非常に独特な歴史背景で成立している。当時の日本の外務省や政府首脳はその点を理解した上で外交的措置を取らないから混迷を極める原因を作ったのである。そういう意味で河野談話は大失敗だった。
当時の政府は、日本は先方の顔を立てておけば、同じアジア人として先方も日本の立場を理解して行動してくれるだろうと考えただろうが、韓国人にそういう思考は通用しない。

韓国人と付き合っていると良く分かるのだが、人間関係で密なモノを求めるため公私の境界線が非常に曖昧になりがちだ。(日本も同じような部分があるが韓国のような濃さはない)。
一例だが、韓国では、友達になれば相手が自分の持ち物を無断で使ったりすることに対して韓国人は違和感を感じない。授業中に消しゴムのやり取りをする際、日本では友人でも一言声をかけるが、韓国ではそういう行動をしない事が普通なのだ。友人の家に入ったら相手のものを自分の物のように使う事も平気だ。
こうした文化的な違いの累積はなかなか大きい。自分の問題であっても他人が同じ様な目線で一緒に引き取る事を求める「依存的な考え方」は、外交にも現れているとも言って良い。
(別にこれが悪いという意味で例を出している訳ではないのであしからず。文化の違いはどこにでも普遍的あるものですから・・・)
また、これは儒教思想の影響が色濃いためだが、公共よりも自分、家族、親戚への貢献が重要な指標になる。
韓国の大統領が任期を終えると親族への違法な行為によって逮捕等されるのが常態化しているが、こうした行動癖は、正に儒教思想の影響だ。家族、親戚連中は身内である大統領に「集る(たかる)」のを当然と考えしまう。大統領になっても身内の要求に応えなければ儒教思想としてはまずい。結局、公の人間でも身内に配慮をした行動を取るため、任期後にトラブルとなる。
ここが韓国のややこしい一面でもある。

韓国が法治国家でなく人治国家と言われる所以は、儒教思想を根底に持つ事に他ならない。
法的客観性よりも人的主観性(身内の論理)の方が勝ってしまうのだ。
(ちなみに江戸時代、日本は儒教国だった。士農工商はその思想の現れだ。明治維新という革命的時代があったため、日本は儒教国でなくなったが、これはある意味で幸いだったと言えよう。それでも今でも公務員上級試験によってエリート官僚が選ばれるというのは科挙の名残だろう。) 

従って物事を客観的に見て、論理的な部分で整理する必要がある大きな問題が起きると方向の定まらない船のようにフラフラしてしまう。人的主観性(身内の論理)の方が勝ってしまうため、民衆が騒ぐと毅然とした対応が出来にくくなる。

慰安婦像の対応にしても、法律的には設置が認められないのに行政が対応を出来なくなる背景には、慰安婦問題について悪は日本であり、それを糾弾することは正義であり、その糾弾の象徴である像の設置に意義を唱えるのは親日だということになるため、韓国人としては法的客観性を主張できる立場(政治家、裁判官ら)でも法的である人々でさえも行動が制約されてしまい。出来ないのだ。そんな事をすればいわゆる「村八分」になってしまう。

また、日韓合意があっても慰安婦像の設置に政府首脳が対応できないのは、年長者の慰安婦に対して歳下の政治家たちは、儒教思想的な対応(年長者を敬い祖法を守る)をしなければならないもどかしさがある。加えて特に韓国では、政治家が親日のレッテルを張られたらお終いだ。
そういう意味で韓国とはまるで二重人格のような国に見える。(外交拠点への慰安婦像の設置を非難する韓国人も存在するが圧倒的な数ではない)
民主主義的に成立した政府があるのに、人的主観性を保持しようとする国民の声によって政府の方針が変わるという部分だ。(日本にも建前本音の二重人格があるが、それでも概ね法的運用が担保され維持されている。)

この二重人格的側面が国民個々に普遍的に見られるのが、「韓国疲れ」と言われる部分なのだろう。プライムニュースで反町さんが毎回韓国コメンテーターに頭を抱えているのはこうした部分だと言って良い。

さて、プサンの慰安婦像問題はこの先、どうなるだろうか?

現行の韓国政府及び自治体は像を撤去させられないだろう。これはパク大統領の職務停止が大きい。前出の李 泳采(イ ヨンチェ)氏は、こうした状況下で日本政府が大使召還をしたのは行き過ぎだと語っていたが、彼(ら)の発言を聞いていると、いつも何か問題があるたび自分たちの瑕疵を棚上げにして、相手に譲歩や協調を求める傾向がある事が分かる。これらも韓国人の特徴に見える。しかしこの考え方は韓国では普通なのである。

プサンの慰安婦像問題について1つの可能性はある。パク・クネ大統領が弾劾されず復帰した場合だ。
こうなった場合、パク・クネ大統領は全ての権力を使い、自分を陥れた(と考える)権力者たちや報道関係者たちに報復&反抗するだろう。その際に慰安婦像の撤去も含まれるかもしれない。
しかしその副作用として国民的なデモ等が起こりしばらく韓国社会は混乱するだろう。またパクさんが大統領職の任期を終えたあと、彼女の韓国国内の居場所はなくなるかもしれないが・・・。
(それが引き金にもなって経済も疲弊し始め結局韓国は極度の不況に陥るだろうが・・・)

現実論としてこのまま撤去されない場合、日本政府と韓国政府は長い冷戦状態に入るかもしれない。安倍首相も召還した大使を返す機会を逸したままになる可能性もある。実際既に1カ月を経て帰任の気配がない。長引けばさらに機会を見いだせないだろう。
慰安婦問題の本当の真実がどこにあるのかは私には分からない。100歩譲って当時の現場で自らの意思とは違う扱いを受けた慰安婦さんらが居て、それに日本軍人やその周辺が何らかの関与していた可能性があったかもしれない。
戦時下の混乱期とは言え大変に気の毒な事であり、彼らに一定のルール下で保証はされるべきことだと思う。そしてその事について議論の末に2016年末日韓は合意をした。個別の意見はあるだろうが決められた事は決められた事だ。
今後は双方の国の問題として合意に基づいて行動するだけだ。それが国家間の約束事への一般的な対処となる。特に今回の合意は「不可逆的」であり「韓国側の基金設立=日本側10億円供出」を条件とし、「米を含む国際社会の確認」があったものだ。嫌な言い方になるが、韓国政府はよくこの条件を飲んだと思う。安倍首相の言っていた通り、この合意を事実上解決する実務の責任は韓国側に比重が重いからだ。そしてその実行をするのが韓国人としてはかなりハードルが高い。(それでも合意したのはパク政権がその意味を理解していなかったのではないか?と勘繰ってしまう・・・)

2/10(米時間)に行われる日米首脳会談を機にして、近い将来的にはアメリカが安全保障の立場で間に入り、強制的な調整を行うかもしれない。契約を重視するアメリカ人からすれば韓国側の状況はかなり不利に映るのは目に見える。
日韓の冷戦が解除され一旦元に戻ったような感じを装うだろう。プサンやソウルの像の撤去を現在の韓国政府が自立的に出来ないのは明白であり、それなしで日本側も大使を帰任させることは難しい。
いずれにしてもチキンゲームの様相の「日韓冷戦状態」は、韓国が合意に基づいて自立的に解決策を出すか、アメリカをキッカケにするしか動きが取れないように思える。

 
 慰安婦像問題について、安倍総理が韓国に冷ややかな理由:(Yahoo News)

私は、韓国のテンジャンチゲやチャンジャ、サムギョプサルなど食だけ取っても良い部分をいくつも上げる事が出来るのだが、どうも彼らの思考や態度にはついて行けないもどかしさがあるのが残念だ。韓国人にしても日本人に違う見方で同様なのかもしれない。
私は韓国人の慰安婦像の設置そのものには反対しない。表現の自由だからだ。設置そのものが韓国や国際法的に全く問題ない行為であれば我々があれこれ言う筋はない。
それでも設置場所や方法は問うべきだろう。また政府も外交的にそうした活動との距離を考えるべきだ。
日本人の誰かが東京・仙台坂の韓国大使館前に「韓嫌像」なんて設置しようものなら日本の警察が来て排除するのが当然だ。ヘイトスピーチにしても日本は法律を作って出来ない様にしたではないか。
そう考えればソウルやプサンの日本大使館前の設置やアメリカ国内の公園などの設置などで行う異常な主張方法の違和感は議論の余地のない事だろうと思う。



「韓国人に生まれなくて良かった」元駐韓大使が心底思う理由:(元・在韓国特命全権大使 武藤正敏)

上記記事には同感だった。韓国社会は苛烈だ。勝ち抜いた各界の少数エリートは生き残れるが、そのため中間層が不在になる。苛烈さについては韓国人も理解している。





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「この世界の片隅で」を鑑賞した50代のオッサンが映画を見て考え感じたこと(ちょっとネタバレあり) [独り言]


やっと噂の「この世界の片隅で」鑑賞した。新宿ピカデリーでやっていたが満員だった。
オッサン1人で見に来ている人は私だけだったろうか?

映画を見終わり、単にいい映画だったとかどうだったかという感想を
すぐには言い起こせない様々な気持ちが心に沸き上がった。
アニメ作品的にはボクトツとした絵と情景が拡がるのだが、映画の中に描かれている全てが妙にリアルだったからだ。
コトリンゴがカバーした「悲しくてやりきれない」は故・加藤和彦氏の名曲だが、時代を経て新しい息吹を楽曲に込めており、曲の印象と映像が不思議なシンクロを演じていた。 

私は1959年(昭和34年)生まれだ。
あの映画が描く昭和8年~終戦となる昭和20年は私の約二世代前の人々の世界だ。
だからあの光景そのままを知る年代ではない。
それでもあの光景の残像とも言えるものを私は見ているのだ。

主人公のすずは恋愛を知らないままにに知らない土地の家に嫁ぎ当たり前のようにあその家で家事をすることになる。
またオシャレをしたり、人生を楽しむ事も殆どないような時代で、戦争に突入してゆく中で日本全体が倹約の嵐を強要される。
あの時代はそれが当然の行為だったし、周囲もそうだった。その世代は私の父親、母親の世代なのだ。

映画描くあの質素な生活感やご近所との付き合い、大らかな生活態度の一部は、私が田舎で過ごした幼少期~小学校の時代にそこここに残っていた風景だ。
私は市営団地住まいだったが、周囲の同世代の母親連中が長屋のように共同で育ててくれていたような環境だった。
母親の誰かが何らかの都合で出かけたりすると子供を預けあったり、面倒見てくれたりしてくれた。
今のような育児ノイローゼなんて皆無と言って良い環境だった。
道路は舗装されていないところだらけだったし、牛車が道を進み、道には牛の糞がそこここに落ちていて、
それでも誰も文句を言わないような時代だった。
(今のように犬の糞でもキチンと片づけるのが当たり前の時代からすると凄い適当だったんだよね)

風呂敷を背負った人もたくさん見かけたし(大抵は物売りのお婆さんだった)、電話は呼び出し、
流石にモンペを履いている人はいなかったが、私の祖母は、家で必ず着物を着て家事をしていた。
ネットも携帯もありゃしない。テレビだって白黒が主流。
私の田舎のテレビ視聴環境は、NHK2チャンネルと民放1チャンネルだけだった。
電車の座席は木製で硬く、車内でタバコはOKだった(灰皿があった時代だった)し、エアコンはなく扇風機だけ。何もかもギコちなく、発展途上だった。

映画の中で終戦を告げる玉音放送に聞き入っている人たちが反応をする場面が出てくるが、
その昔、母親に当時の様子を聞いた時の話によく似た光景だったのは驚きだった。
一般民衆は心の中で戦争を疎ましく思っていたのだ。
そういう意味で戦中の日本は今の北朝鮮に似ていたとも言える。

振り返って2017年。現代の我々はモノに必要以上に溢れた便利な生活を当たり前のように生きている。
映画の最後が描かれる素朴で質素な世界観に心がジーンとするのは何故なのだろうか?
物質的には貧しくても、あの時代の日本人の心はもっと豊かだったと思ってしまうからではないのだろうか?

しかしそれは現代において、無いものネダリなのかもしれない。
でも妙にあの映画が描く素朴な世界が眩しく見えた。
最近の若者には我々の世代よりも物欲が無くなっているというが、モノに溢れた現代に違和感があるのかもしれない。
足るを知る。 
映画館を出た私の心にずっと残っていたのはそういう感覚だった。





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「滅私奉公」と長時間労働の狭間にある問題 [独り言]


電通新入社員の自殺で勃発した労働環境問題。
そこに新らたな一石を投じたいのは他でもないエイベックス社の松浦社長。
彼の主張のポイント
は以下だ。

「好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない。
好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。
僕らの業界はそういう人の「夢中」から世の中を感動させるものが生まれる。
それを否定して欲しくない。」

かつて音楽業界に居た身として、松浦氏の上記の主張は感覚的に理解できなくもない。
実際私自身がそういうタイプだったからだ。
音楽業界、芸能界には、「仕事と遊びの境目なんてない」と考えて仕事をしている人が実に多い。
好きだからのめり込むし、成果も大きい場合もある。

GLAYのTERUさんは「労基法のままならコンサートできるはずもなく...」というコメントを残したようだ。
更に彼は、
「全くその通りだと思います。レコーディングやコンサート事業もそうですが、基準以内での運営は皆無。」
「仕事の内容によって適応する制度になれば良いんですが、そうなると線引きが難しい。
今は大手企業が槍玉にがげられてますが、僕らの会社も労働基準法のまま仕事をするとなると
コンサートなんてできるはずもなく…。難しい問題ですね。」(原文ママ))

私も業界人だったので、上記の意見を聞いて、そういう考え方をするのは無理もない事だと思っている。
しかし、それでも彼らの意見を読んで、自分の中にボンヤリとした違和感があった。
その違和感を探ってみると結論は1つだけなのだ。

音楽業界にしろ、芸能界や映像業界、CM業界にしろ、こうした業界で長時間労働を強いられている殆どの労働者たちは、「一般企業で支払われるような適切な対価をもらっていない人間が圧倒的に多い」という現実だ。
実労働に見合わない対価でも働くのがOKという人がいるは事実だ。アニメーターなんかが最たる例だろう。
でも多くは実労働に合わせて欲しいと願っている。
従って言い方を変えるとこれらの業界は良くも悪くも「滅私奉公」によって成立している業界なのだ。
判り易い言い方をすれば、人件費を抑える事で経営を成り立たせている面があるという訳だ。

噛み砕いて言えば下働きのような階層のスタッフは代わりは幾らでもいる・・という立場の人たちが低賃金と過負荷労働を強いられ、結果的に雇用主やクライアントからの「コスト調整」と「搾取的な環境でに労働」をされていると言っていいだろう。

前述のGLAYのTERUさんが言うように、労基法のままならコンサートできるはずもなく...というのは、
労基法のままスタッフに賃金を払ったらコンサートが経済的に成り立たなくなるという事を示唆している。それでも出演者はギャラをキチンと確保している。これはライブ成立の主体者であり彼らによって成り立つ事業だから、そこの周辺で働く人たちは二次的な扱いを受け入れるしかないという事実があるからだが、こういう事実をTERUさんが理解して発言しているかについては興味深い点だ

またレコーディングのような長時間に及び作業に立ち会っているスタッフの多くは、本来もらえるべき残業代なんてもらっている人は皆無と言っていいだろう。 少なくとも私はもらった経験がゼロだ。

何故か? スタッフに正規賃金を支払う事が難しいからなのか?

それは違う。

「誰か」が確実な利益を確保しているからだ。
もしくは確実な利益を確保しようとしているからに他ならない。

「誰か」とは誰だろう?

事務所か? 演者か? その両方か?

それでもこの議論の根幹にはある前提がある。

前述したが、コンサートにしろエンタメ業界は、メインアクト(出演者)という存在が居なければ成立しない。
従って仕事を作ってくれるメインアクトがまず利益を確保し、そこに付随する人たちは身分を弁えるという考え方がある。

この問題は悩ましい。
ある意味では事実だからだ。
ではメインアクトはスタッフなしでコンサートを成立させられるのか?
多分、出来ないだろう。でも違う言い方をする人はいる。
スタッフは取り換えがきくと。

確かにメインアクト側がスタッフを選ぶ事が可能だ。スタッフは常に取捨選択される側にいる。だから立場が弱い。
ゼネコンの下請けが立場が弱いというのと同じで、こうしたコンサートの制作受託にいる人たちは、
基本的に事務所や出演者の意向に対して法律的な正論で交渉をすることは事実上出来ない。
従ってTERUさんにご存じないと思うが「労基法のままならコンサートできるはずもなく...」というコメントの中には、
本来こういう現実も含まれている。フロントに立つミュージシャンがスタッフの労働環境や条件を知る事は殆どないだろうし、余り関心時でもないだろうが、ハデなステージの裏側の事実はそうなっている。

私の経験を鑑みてもレコーディングにしろ、撮影現場にしろ、コンサートにしろ、収録現場にしろ、長時間労働が常態化する現場が多い。50歳過ぎて未だに徹夜って人も沢山いると聞く。
また、ある種そういう特殊な環境を誇りに感じて生きている人たちもいる。
”我々はそこら辺りの普通のホワイトカラーのような人種じゃないんだ”というような「妙」な誇りだ。
しかし時代は変わり、特殊業界だからなんでも許されるような感じになっていることを理解する必要がある。
電通で新人さんの女性が死んだのはそういう環境が彼女に寄り添わなかったからだろう。
結果的に人が死に、電通は叩かれ、22時消灯を余儀なくされ、そのツケは現場に押し寄せている。
エイベックスが残業代支払いを決定したという報道があったが、時代的要請で上場会社として自分たちを特殊だという良い訳が通用しなくなったからだろう。

実際、何よりも誰よりも長時間労働しているのは、実は平場で頑張っている現場スタッフたちなのだ。音楽業界だとミュージシャンも同様だ。
しかしミュージシャンと現場スタッフたちとは労働条件や見返りが異なる。
私がかつて経験した現場でのレコーディングでは、その成果の殆どはミュージシャンや事務所に帰属し、スタッフには還元されない。しかしそれは業務性質上致し方がない。
でもそうであれば当然待遇や労働条件があってもおかしくないだろう。
前述したが、音楽業界や映像業界などで現場仕事をする連中の給与待遇は殆どの場合、一般的な企業の60%から70%止まりだ。

私などは、音楽業界に入った初期、アルバイトのような身分だったから、当時の社会人初任給の年収の45%程度だったし、その後職場環境が変わり社員に昇格したが、それでも世間平均の60%程度だった。(おまけに福利厚生なし・・)
(その程度の仕事しかできないという評価もあったかもしれないが・・・)
それでも好きな仕事だったから気にしないようにしていたのも事実だ。

それ故、私は色々な現場のスタッフ経験をしてきたから断言できるが、エンタメ業界の平場のスタッフは恐ろしいほど低賃金の人たちが多く存在する。
仮に私の知り合いが今、音楽業界、芸能界で働きたいと言ったら必死に止めるだろう。
人生をバクチに投じる必要はないと。(反面バクチっぽいから魅力があるのだがね・・・)

賃金的に言えば例外はレコード会社の連中くらいだったろう。
彼らの殆どは親会社が大手上場企業であり、その子会社でもあるため、賃金体系が全く違う。
現代でもレコード業界の**社は、業績に似つつかわしくないかなり良い給料をもらっているようだ。

当時の私は、好きな仕事としてやっていたので、低賃金でも我慢出来ていた。
また、いつか上に伸し上がってリッチになるんだ!というような感覚もあった。
競争の激しい音楽業界、芸能界だからそれが当然という空気はある。
しかし、競争が激しいのは別に音楽業界、芸能界に限らない。
それでも勝利を掴むために頑張るのは個人の自由だ。

私は40代になって音楽業界の外で働きながらかのエンタメ業界を見てきたので、いわゆる一般的な企業の雇用環境と比較できるが、音楽業界、芸能界は明らかにスタッフ労働者の人件費を他の業態に比べて低く抑えて成り立っていると理解できた。

芸能事務所等で一般の企業並みの給与と待遇を得ようとしたら大手芸能事務所でも役職を得ないと難しい位と言っていい。つまり、対価を刈り取るためには、ある一定レベルの地位に登りつめないとそれを得られない世界なのだ。
現場の下働きのようなレベルにいると、かなり良くても一般企業の5~7割程度だ。
(この業界の個人事務所となるともっと低い)
 
一部上場企業だと、業態にもよるが、40代前半で年収平均600~800万円程度だ。少なくともこのレベルを音楽、芸能業界で得ようとすると相当な地位か成果のある人間ということになる。 (大多数の中小企業の平均はこれの65%程度・・)

前述したが、音楽業界、芸能界はある種の「滅私奉公」に支えられている業界だ。
法律を逸脱した長時間労働を経営者が容認せよというのは積極的に「滅私奉公」を容認せよというのに等しい。それはつまり前近代的労働環境で我慢せいということだ。

さて「滅私奉公」をした労働者にはどんなメリットがあるのか?

僅かな確率の成功を得た人達には大きなメリットがあるだろう。
ただ大多数にとっては、価値観の問題は置いておくとして、殆ど無いと思う。
それどころが、自分が本来生み出す事が出来る対価(労働価値)をドブに捨ててしまっていると言って良い。
私もかつて好きで音楽業界で生きてきた。
低賃金でも構わなかった。
ただ、私のような特に取り得のない普通の人間が競争の激しい業界で生き抜こうとして、僅かな成果しか生まず、人生のかじ取りを誤ると、中年期以降、特に経済影響を被ることは確かだ。そういう意味で、私は成功者とは言えない。
実際私は、音楽業界時代に収入に問題もあり年金を積み立てて来なかったため、今になって苦労しているし、生涯賃金にしたって、40歳以降に転職した先でやっと人並みになったという感じだ。


私は松浦社長の主張する「好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。」という主張は理解できる。
僕らの業界はそういう人の「夢中」から世の中を感動させるものが生まれるし、それを否定して欲しくない。」という主張はある意味で、その通りだと思っている。

しかし、それを会社組織として従業員に対して共有するはちょっと筋が違う話だと思っている。特に上場企業においては。
そもそも「好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない」は「個人が引き取る問題」だ。
職場が共有する話ではないだろう。
経営者が従業員に対して「好き」を理由に長時間労働を強いるのなら、いずれにしても法律の適用範囲でやらねばならない。
業界が特殊だから例外を認めろというのは法治国家としても経営者の考え方としてもそぐわない。
それでは会社や業態として成り立たないというのなら、法人としてやるのは無理なので、全員個人事業者として働く業界に生まれ変わるしかなかろう。
いいとこ取りをして自分たちの業界にあった経営を成立させるというのは、社会規範を超えている考え方だと言われても仕方なかろう。

私の覚える違和感は、そういう部分なのだ。


長時間労働も必要なのか avex松浦社長「労基法批判」で大論争 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161225-00000005-jct-soci

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