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私的な貧乏物語 [独り言]


「私の貧乏物語」という著書がある。現在では様々な分野で活躍されている方々の
貧乏物語を語ってもらいまとめた著書だ。
あの人が・・という意外な一面が著述してある。
貧乏の度合は、時代背景、地域、両親の仕事によって様々だ。
それでも戦後の貧乏は現在とは次元が違う事が伺えるが、
戦後においても貧乏で苦労している方は多いようだ。
 
私の「貧乏物語」――これからの希望をみつけるために

私の「貧乏物語」――これからの希望をみつけるために

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

かく言う私も、多分貧乏に近い部類の人間だったと思う。
父親は地方公務員。高度経済成長期において、地方公務員の給与は平場に比べて高くない。
母親が結婚当初、父の上司から、あれで本当にやって行けますか?と聞かれた話をされたことがあるが、
どうやら父親の給与は余り良かったとは言えないようだ。

小学校低学年の時のクリスマスの光景は今でも覚えている。
子供にとってクリスマスと言えば、普段買ってもらえないオモチャを買ってもらえる
絶好のチャンスだ。
しかしその年は全く相手にしてもらえなかった。
クリスマスの朝、母と一緒に寝ている今で目を覚ました私の枕元に置いてあったのは、
当時の値段では、30円で一束買える折紙だった。金銀の紙が1枚づつ入ったヤツだ。

子供の私はそれを見て堰を切ったように泣き出した。
その時、母は台所に立って洗い物をしていた。
私は母の背中に向って「こんなんじゃ嫌だ」と泣き叫んだ。
多分折紙は放り付けただろう。
母は黙ったまま洗い物をして何も言わなかった。
未だにこれを記憶しているという事は、当時の私には相当なショックだったのだろう。

後で知ったが、その年の父のボーナスは、想定以上に引くかったらしい。
母はいつか一戸建てを持って人並みになるんだと貯蓄をしていた。
そのため、当時30代の母は、電子部品系の内職をずっとやっていた記憶がある。
小さな炭素絶縁体に電動金属を嵌め込む仕事だ。1つやって1円もらえるという感じのものだった。
私も助けた事があるが、根気のいる仕事で、今の30代の女性がするなんて想像もつかない地味なものだ。

実は当時、私は自分の家を貧乏だとは思っていなかった。
私を含めた周囲は市営住宅に住んでおり、同じ様な生活環境だったからだ。
同級生は皆、継ぎ接ぎのズボンだったし、怪我をするので赤チンだらけだった。
私は昭和のガキんちょだったのだ。

小学校4年生で引っ越した。母念願の一戸建てを建てたのだ。
今で言えば4LDK。100坪の土地には庭もある。
この時、我が家はやっと世間並になった感じがした。
初めて我が家に車が来たのもこの時期だ。(カローラ中古車だが)

私は20歳になって成人をし、かつて住んでいた市営住宅を見に行った。
その場所は大人になった自分目には信じられないほど狭い空間の場所だった。
「オレって家族4人であんな狭い場所で住んでたんだ・・」

この時、両親の苦労が肌身を沁みて分かったような気がした。

あれから随分と時が経ち、両親は年金受給者になってから、
水引きの内職で貯めたお金を使って念願の中国旅行に行ったり、
犬を飼ったり(約20年で二匹)、ずっと夢見てきた事を少しづつ叶える事が出来るようになった。
そしてその時間も十分にあった。
2017年2月8日、67回目の結婚記念日を2人で迎えた。
今は毎日を静かに暮らしている。

我が家は、決して裕福な家庭とは言えなかったが、
老齢の両親は未だに自分たちで自分たちの事が出来ており、
十分幸せな家族だと思っている。
ありがたいことだ。







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