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「滅私奉公」と長時間労働の狭間にある問題 [独り言]


電通新入社員の自殺で勃発した労働環境問題。
そこに新らたな一石を投じたいのは他でもないエイベックス社の松浦社長。
彼の主張のポイント
は以下だ。

「好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない。
好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。
僕らの業界はそういう人の「夢中」から世の中を感動させるものが生まれる。
それを否定して欲しくない。」

かつて音楽業界に居た身として、松浦氏の上記の主張は感覚的に理解できなくもない。
実際私自身がそういうタイプだったからだ。
音楽業界、芸能界には、「仕事と遊びの境目なんてない」と考えて仕事をしている人が実に多い。
好きだからのめり込むし、成果も大きい場合もある。

GLAYのTERUさんは「労基法のままならコンサートできるはずもなく...」というコメントを残したようだ。
更に彼は、
「全くその通りだと思います。レコーディングやコンサート事業もそうですが、基準以内での運営は皆無。」
「仕事の内容によって適応する制度になれば良いんですが、そうなると線引きが難しい。
今は大手企業が槍玉にがげられてますが、僕らの会社も労働基準法のまま仕事をするとなると
コンサートなんてできるはずもなく…。難しい問題ですね。」(原文ママ))

私も業界人だったので、上記の意見を聞いて、そういう考え方をするのは無理もない事だと思っている。
しかし、それでも彼らの意見を読んで、自分の中にボンヤリとした違和感があった。
その違和感を探ってみると結論は1つだけなのだ。

音楽業界にしろ、芸能界や映像業界、CM業界にしろ、こうした業界で長時間労働を強いられている殆どの労働者たちは、「一般企業で支払われるような適切な対価をもらっていない人間が圧倒的に多い」という現実だ。
実労働に見合わない対価でも働くのがOKという人がいるは事実だ。アニメーターなんかが最たる例だろう。
でも多くは実労働に合わせて欲しいと願っている。
従って言い方を変えるとこれらの業界は良くも悪くも「滅私奉公」によって成立している業界なのだ。

もっと砕いて言えば下働きのような階層のスタッフは代わりは幾らでもいる・・という立場で低賃金と負荷の高い労働を強いられ、結果的に雇用主の「コスト調整」と「搾取的な環境でに労働」をされていると言っていいだろう。

前述のGLAYのTERUさんが言うように、労基法のままならコンサートできるはずもなく...というのは、
労基法のままスタッフに賃金を払ったらコンサートが経済的に成り立たなくなるという事を示唆している。
またレコーディングのような長時間に及び作業に立ち会っているスタッフの多くは、本来もらえるべき残業代なんてもらっている人は皆無と言っていいだろう。 

何故か? スタッフに正規賃金を支払う事が難しいからなのか?

それは違う。

「誰か」が確実な利益を確保しているからだ。
もしくは確実な利益を確保しようとしているからに他ならない。

「誰か」とは誰だろう?

事務所か? 演者か? その両方か?

それでもこの議論の根幹にはある前提がある。

コンサートにしろエンタメ業界は、メインアクト(出演者)という存在が居なければ成立しない。
従って仕事を作ってくれるメインアクトがまず利益を確保し、そこに付随する人たちは身分を弁えるという考え方がある。

この問題は悩ましい。
ある意味では事実だからだ。
ではメインアクトはスタッフなしでコンサートを成立させられるのか?
多分、出来ないだろう。でも違う言い方をする人はいる。
スタッフは取り換えがきくと。

確かにメインアクト側がスタッフを選ぶ事が可能だ。スタッフは常に取捨選択される側にいる。だから立場が弱い。
ゼネコンの下請けが立場が弱いというのと同じで、こうしたコンサートの制作受託にいる人たちは、
基本的に事務所や出演者の意向に対して法律的な正論で交渉をすることは事実上出来ない。
従ってTERUさんにご存じないと思うが「労基法のままならコンサートできるはずもなく...」というコメントの中には、
本来こういう現実も含まれている。フロントに立つミュージシャンがスタッフの労働環境や条件を知る事は殆どないだろうし、余り関心時でもないだろうが、ハデなステージの裏側の事実はそうなっている。

私の経験を鑑みてもレコーディングにしろ、撮影現場にしろ、コンサートにしろ、収録現場にしろ、長時間労働が常態化する現場が多い。50歳過ぎて未だに徹夜って人も沢山いると聞く。
また、ある種そういう特殊な環境を誇りに感じて生きている人たちもいる。
”我々はそこら辺りの普通のホワイトカラーのような人種じゃないんだ”というような「妙」な誇りだ。
しかし時代は変わり、特殊業界だからなんでも許されるような感じになっていることを理解する必要がある。
電通で新人さんの女性が死んだのはそういう環境が彼女に寄り添わなかったからだろう。
結果的に人が死に、電通は叩かれ、22時消灯を余儀なくされ、そのツケは現場に押し寄せている。
エイベックスが残業代支払いを決定したという報道があったが、時代的要請で上場会社として自分たちを特殊だという良い訳が通用しなくなったからだろう。

実際、何よりも誰よりも長時間労働しているのは、実は平場で頑張っている現場スタッフたちなのだ。音楽業界だとミュージシャンも同様だ。
しかしミュージシャンと現場スタッフたちとは労働条件や見返りが異なる。
私がかつて経験した現場でのレコーディングでは、その成果の殆どはミュージシャンや事務所に帰属し、スタッフには還元されない。しかしそれは業務性質上致し方がない。
でもそうであれば当然待遇や労働条件があってもおかしくないだろう。
前述したが、音楽業界や映像業界などで現場仕事をする連中の給与待遇は殆どの場合、一般的な企業の60%から70%止まりだ。

私などは、音楽業界に入った初期、アルバイトのような身分だったから、当時の社会人初任給の年収の45%程度だったし、その後職場環境が変わり社員に昇格したが、それでも世間平均の60%程度だった。(おまけに福利厚生なし・・)
(その程度の仕事しかできないという評価もあったかもしれないが・・・)
それでも好きな仕事だったから気にしないようにしていたのも事実だ。

それ故、私は色々な現場のスタッフ経験をしてきたから断言できるが、エンタメ業界の平場のスタッフは恐ろしいほど低賃金の人たちが多く存在する。
仮に私の知り合いが今、音楽業界、芸能界で働きたいと言ったら必死に止めるだろう。
人生をバクチに投じる必要はないと。(反面バクチっぽいから魅力があるのだがね・・・)

賃金的に言えば例外はレコード会社の連中くらいだったろう。
彼らの殆どは親会社が大手上場企業であり、その子会社でもあるため、賃金体系が全く違う。
現代でもレコード業界の**社は、業績に似つつかわしくないかなり良い給料をもらっているようだ。

当時の私は、好きな仕事としてやっていたので、低賃金でも我慢出来ていた。
また、いつか上に伸し上がってリッチになるんだ!というような感覚もあった。
競争の激しい音楽業界、芸能界だからそれが当然という空気はある。
しかし、競争が激しいのは別に音楽業界、芸能界に限らない。
それでも勝利を掴むために頑張るのは個人の自由だ。

私は40代になって音楽業界の外で働きながらかのエンタメ業界を見てきたので、いわゆる一般的な企業の雇用環境と比較できるが、音楽業界、芸能界は明らかにスタッフ労働者の人件費を他の業態に比べて低く抑えて成り立っていると理解できた。

芸能事務所等で一般の企業並みの給与と待遇を得ようとしたら大手芸能事務所でも役職を得ないと難しい位と言っていい。つまり、対価を刈り取るためには、ある一定レベルの地位に登りつめないとそれを得られない世界なのだ。
現場の下働きのようなレベルにいると、かなり良くても一般企業の5~7割程度だ。
(この業界の個人事務所となるともっと低い)
 
一部上場企業だと、業態にもよるが、40代前半で年収平均600~800万円程度だ。少なくともこのレベルを音楽、芸能業界で得ようとすると相当な地位か成果のある人間ということになる。 (大多数の中小企業の平均はこれの65%程度・・)

前述したが、音楽業界、芸能界はある種の「滅私奉公」に支えられている業界だ。
法律を逸脱した長時間労働を経営者が容認せよというのは積極的に「滅私奉公」を容認せよというのに等しい。それはつまり前近代的労働環境で我慢せいということだ。

さて「滅私奉公」をした労働者にはどんなメリットがあるのか?

僅かな確率の成功を得た人達には大きなメリットがあるだろう。
ただ大多数にとっては、価値観の問題は置いておくとして、殆ど無いと思う。
それどころが、自分が本来生み出す事が出来る対価(労働価値)をドブに捨ててしまっていると言って良い。
私もかつて好きで音楽業界で生きてきた。
低賃金でも構わなかった。
ただ、私のような特に取り得のない普通の人間が競争の激しい業界で生き抜こうとして、僅かな成果しか生まず、人生のかじ取りを誤ると、中年期以降、特に経済影響を被ることは確かだ。そういう意味で、私は成功者とは言えない。
実際私は、音楽業界時代に収入に問題もあり年金を積み立てて来なかったため、今になって苦労しているし、生涯賃金にしたって、40歳以降に転職した先でやっと人並みになったという感じだ。


私は松浦社長の主張する「好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。」という主張は理解できる。
僕らの業界はそういう人の「夢中」から世の中を感動させるものが生まれるし、それを否定して欲しくない。」という主張はある意味で、その通りだと思っている。

しかし、それを会社組織として従業員に対して共有するはちょっと筋が違う話だと思っている。特に上場企業においては。
そもそも「好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない」は「個人が引き取る問題」だ。
職場が共有する話ではないだろう。
経営者が従業員に対して「好き」を理由に長時間労働を強いるのなら、いずれにしても法律の適用範囲でやらねばならない。
業界が特殊だから例外を認めろというのは法治国家としても経営者の考え方としてもそぐわない。
それでは会社や業態として成り立たないというのなら、法人としてやるのは無理なので、全員個人事業者として働く業界に生まれ変わるしかなかろう。
いいとこ取りをして自分たちの業界にあった経営を成立させるというのは、社会規範を超えている考え方だと言われても仕方なかろう。

私の覚える違和感は、そういう部分なのだ。


長時間労働も必要なのか avex松浦社長「労基法批判」で大論争 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161225-00000005-jct-soci

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