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NHKスペシャルは宮崎駿氏の新作長編ドラマへの壮大な予告編のような番組だった(?) [独り言]

11/13のNHKスペシャルは宮崎駿氏の新作長編ドラマへの壮大な予告編のような番組だった。
現在75歳の宮崎氏が己の性ともいえる作品作りの情熱と自分自身の寿命と戦っている様子がよく伺えた。
しかし私がこの番組を見ていて感じたのはトップクリエイターの残酷(非情)と純粋さなのだ。

短編作品をCGで制作するという宮崎氏にとって初挑戦において、ご自身も理解できないような「腑に落ちない」
何かに悩まされる。当初、CGクリエイターたちはある程度の時間でできるだろうと思っていたようだが、
いざ作り始めてみると宮崎氏からの想像を超えた要求に対応できなくなってしまう。
また、その理由が宮崎氏以外に分からず、本人でさえも明確に分からないという時間が経過してしまう。
本人すら回答のないものへの要求にCGクリエイターたちは追い込まれる。
CGクリエイターたちもクリエイター集団の一角を担っているが、存在も経歴も上の宮崎氏からの要求は
相当な重荷だった様子が伺える。
しかし作品の質が担保されなければお客さんに応える事が出来ないという宮崎氏の純粋な信念は揺るがない。
そしてその質の担保は宮崎氏が納得するか否かが全てという非常に個人的な世界観なのだ。

こうした作品成立過程を見ていると、トップクリエイターは成果に対して冷徹で残酷だ。
それはあたかもグローバルトップ企業の経営者が利益を希求・追求するためには、
理由の如何を問わないような部分と重なる感じがする。
作品を作る事と利益を上げることは性質が違うため比較するのが不適当かもしれない。
言い方を変えると目的達成のためには必要な犠牲を厭わないという姿勢だ。
作品の場合、その冷徹さが偉大な結果を生むとも言えるのだが、
実際、それら作品は宮崎氏が全てを作る訳ではない。
映画の場合に限らず、多くの手が関わっているからだ。それでも宮崎氏の存在とビジョンは圧倒的だ。

番組でも紹介されていたが、宮崎氏の作品が生まれる過程で関わった多くのアニメーターは現在ジブリにいない。
作品のヒットの金銭的・社会的恩恵は生みの親である宮崎氏と法人であるジブリに帰るだけで
その周辺で仕事をしていた多くの人達ではない。
それがこの業界の掟である。(世の中はそんなものだという言い方もあるが・・)
こうした現実は否定しないが、残酷な現実であることも事実だ。
映画は多くの人間が関わり1つの作品を作る。そしてその制作形態は「中央集権型」だ。
ジブリ作品の場合、ヒエラルキーの頂点にいるのはプロデューサーの鈴木氏であり、宮崎氏だ。

番組の終盤、長編作品の覚書なるものをプロデューサーの鈴木氏に見せる場面があった。
宮崎氏は「鈴木さんが資金を調達してきてくれたら出来そうだけど・・・」と言いつつ、
3年半後の公開予定を見据えた予定表を見せる。
そしてその表の最後には「80(歳)、果てして生きているか?」の文字が見えた。
宮崎氏のような特異なクリエイターは代わりが居ない。自分の余命を意識し始めたクリエイターの心中は計り知れない。

この覚書を読んだ鈴木さんの心の奥底は想像するしかないが、宮崎氏に長編を作るだけの体力と時間が
あるだろうか?という懸念と、宮崎氏が満足できるような作品を作る体制が構築できるか?だろうかという懸念が
頭の中に浮かんだ事だろう。
2016年10月、色彩設計を長年務めていた保田氏が亡くなった。
それだけでも体制構築にはかなりの損失だ。
鈴木氏が冗談めかして言っていたが、絵コンテの段階で死んでしまったら誰がその先を作れるのか?
宮崎氏を一番好きで理解しているだろう鈴木氏にとってこの覚書は悩ましいだろうと想像する。

この番組で非常に印象的な場面があった。
ドワンドの川上さんが持ち込んだAIを使った自動生成のアニメーションソフトだ。
画面には頭を使って動く気持ち悪い人間が映し出される。
それを見た宮崎氏が自身の知り合いである障害者との関係性を引き合いに出し、「これを作る人たちは痛みとかそういうものについて、何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら、勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めて何か、生命に対する侮辱を感じます。」 と発言する。
そして「どこにたどり着きたいんですか?」と問う。
これを聞いたドワンゴ関係者は言葉を失ってしまう。
なんでもかんでも自由な発想ができ作れる時代に根源的な問い質しをされたからだろう。

宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱の記事:http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/13/miyazaki-hayao-dwango_n_12950618.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

クリエイターに限らず世を貫く成果を上げる人たちには非情で冷徹な素養がある。
しかし上記の宮崎氏の考え方を知ると生命を描く事に対して、その位でないと描けないんだという気持ちが伝わってくる。
私はそうした素養も気概もないため、どうしても様々な場面で手加減してしまう。
そのため成果も中途半端だ。
仕事の成果に対して信念を持って非情で冷徹で成果を出せる人を羨ましく思う反面、もう自分にはそこまでせめぎ合う人たちとはエネルギー負けするな・・と感じている。
そういう意味で、今後は偉大なクリエイターたちの作品を純粋に楽しむ立場でいようと思う。

オリンピックまでに次の宮崎作品が見れるだろうか?



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