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定年後がリアル  50代でこんな事を考えるのは早すぎるだろうかね??っていう記事 [独り言]

2016年11月8日(火)記載

ここ数カ月、気力の衰えに悩まされている。(相撲取か・・・)
新しいビジネスや仕事へのアドレナリンもなかなか出ない。
 
かつての私なら未知であればあるほど興味を抱くはずの新規ビジネスへの挑戦だが
若い頃のような「無邪気」なパワーが出てこない。答えを知っているからだろうか?
単純に若い頃のような「無邪気なアドレナリン」が出ないのだ。
皆さんもそういうものなのか?
 
先日吉田拓郎さんのインタビューを見ていたら、生活感や人生感が50歳を過ぎて圧倒的に変化したと言っていた。
そうか、そういうものなのかもしれない。でも彼は天才だからな・・。 同じはずもないか・・。

年齢を重ね、経験を積み、情勢分析をし、冷静になって考えられるようになったとも言えるのだが、
「夢に向かって・・・」的な野放図でお花畑的な事を言っていられないという感覚の方が勝ってしまっているようだ。それでも夢に・・とか言える人がうらやましい。

かつては音楽業界に憧れ刺激的だったのが、今現在は、音楽ビジネスには殆ど興味が湧かない。音楽はずっと好きで今でも音楽を楽しむためのライブは過去に行った以上に見に行くが、音楽ビジネスには昔のような興味が湧かない。 
まあ、斜陽になった事もあるのだろうが、音楽というメディアが失った影響力もあるかもしれない。

そういう意味で、私の年齢はある種の「安定期」もしくは「更年期」なのかもしれない。また「鬱」なのかもしれない。もしくは「悟り」なのか?
 
そういえば、ネット記事で読んだのだが、武田鉄矢氏やビートたけし氏が40代から鬱になったとあった。
ロックスターのSTINGも50歳から12年間曲が書けなくて悩んだ事をライブでコメントしていた。
彼らのような才能のある人達がスランプや鬱になったのは、その年齢で自分の考えられる夢の実現を
早くも果たしてしまった事が大きかったと分析しているようだった。

自分を奮い立たせる目標を失ったということだろう。

私は彼らとは違いただの凡人だ。

それでもここ最近の自分の思考回路を探ってみると
自分の中で新しい達成目標の設定に迷っていることが分かる。
また現実に「自分の器」というものを突き付けられてもいる。

若い頃に夢見て来た事の半分位は何となく叶い、半分は能力不足で諦めたが、
我を知り、己を理解するに従い、残りの人生でどんなサプライズがあるのだろうか?と
見極めてしまっている自分があるのは確かだ。
敬愛する山下達郎さんも、自分の元に海外公演とか海外ミュージシャンとのコラボなどの話が沢山舞い込むが、全く興味がない、自分の身の丈を考えれば、国内での活動に絞るのが筋、と語っておられたが、「身の丈」という言葉に私は反応した。

そう、自分の身の丈だ。もう身の丈が分かってしまったという悟り感はある。それにもがいているのかもしれない。
現在ではフロントラインではなく、会社の立場も若い連中を指導するような感じになりつつある。
守りに入ったとは考えたくないのだが、周囲が私に要求する立ち位置、そういう冷めた自分がどこかに存在しているようでもある。

もちろん残りの人生で色々な事が起きるだろう。
60過ぎて新しい事を起こした人も多い。
伊能忠敬なんて全国行脚を目的として地図作りに励んだのは、当時の定年後の年齢だった。
でも、そういう人たちは実は極僅かだという事実もある。
五木寛之氏の「下山のすすめ」には人生の終盤に向う心構えが書いてあった。
抗なうのではなく、受け入れろ・・と。
 
 
タモリさんも友達に関してこんな事を言っていたようだ。 
 
そうなんだよね。友達に関するその考え方、凄くピンとくる。
友達って言える人間関係を持っている人って、良く考えると数人しかいないんだよね。
フェイスブックにもの凄い数の友達抱えていたり、何となく仲間という感じの人が何十人も写真と共に写っている人を見かけるのだが、私にはとても何十人の知り合いを相手にする体力も財力もない。
友人という人たちが全員死んで自分が生き残ったら彼ら全員の葬式に行くのだろうか?
多分無理だと思う。そういう意味で、自分の付き合い切れる人間の数ってそれぞれにあるのだろう。
 
美輪明宏さんが「人間関係は腹6分目がいいの」と語っておられた。
私も同感だ。 美輪さんは芸能人だから腹6分目ってのは相当難しいと思うが、美輪さんがそれを言うから凄い。
でも、それがいいんだよね。自分がそれで良いと思っているのなら。それが自然なんだ。
 
人の事はともかく、自分の人生を今後どのように過ごし、そして終わらせるかは
誰にとっても大きな課題だろう。
そしてそれは全ての人に平等にやってくる。
 
この間8歳年上の兄とも話たのだが、これからは、社会への貢献も当然だが、何十年か後には死にゆくだろう自分に優しくしながらという前提が必要だという結論になった。自分と社会貢献の適切な距離というのだろうか?

動けるうちは働き社会貢献をし、それが難しくなったら出来る範囲に縮小するってことだ。 

最近問題を起こす高齢者の記事を読むにつけて、
自分があんな風になったら嫌だな・・とか思う。
またアルツハイマーで自分が誰だか分からなくなるという状況になるのも避けたい。

自分の資産状況も分かっているので、経済的な未来もある程度予測が立ってしまっている。
余程の奇跡でもないとこの事態を変えられないが奇跡は基本的に起こらないと知っている。 
自分の将来の財政状況が、決して楽観できないことも事実だ。
そう考えてみれば、若い頃のように無邪気でいられるはずもないのだろう。

知り合いの会社でアルバイトを募集したら62歳で東大出の元雑誌の副編集長が応募に来たという。理由を尋ねると定年後仕事から離れたらやる事がなく、毎日が苦しい、金の問題ではなく何でもいいから出来る仕事がしたいという事だった。皆さん、東大出の人ですよ・・・。偏差値の遥かに低い私はそうすればいいのか?と思ったね。

それでも、一体自分は何をしているのが好きで、何をしたかったのか? あたらめて自問しようと思う。
小さい時代からずっとやっているいるのは、音楽と写真だけか・・・。それと最近は読書。
結局そこが私の原点なんだろう。

現在、夢があるとすれば、世界の主要な美術館を巡る旅に出る事だろうか?
私は美術についての教育を受けた事もないのだが、不思議と昔から美術展に通っていた。
私自身は絵心が全くないのだが、祖父は素晴らしい絵を書ける人物だった。
だから絵を描ける人に憧れがあるのだろう。多分私の父もそういう面があったから多少は似ているのだろう。

何をやれるかはともかく、今後は出来れば死ぬ直前まで自分のペースにあった仕事をやりながら逝きたい。本当は生活のためだけの仕事をしたくないのだが、残念ながらそれはちょっと無理そうだ。

50代でそんな事を考えるのは早すぎるだろうかね??
それとも、もしかしたらやっと人並みになったのかな?





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