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50代でこんな事を考えるのは早すぎるだろうかね??っていう記事 [独り言]

2016年11月8日(火)記載

ここ数カ月、気力の衰えに悩まされている。(相撲取か・・・)
現状のビジネスでの業績が上がらないという事もあるが、
新しいビジネスへのアドレナリンもなかなか出ない。
 
かつての私なら未知であればあるほど興味を抱くはずの新規ビジネスへの挑戦だが
若い頃のような無邪気なパワーが出てこない。
そう、若い頃のような「無邪気なアドレナリン」が出ないのだ。そういうものなのか?
 
先日吉田拓郎さんのインタビューを見ていたら、生活感や人生感が50歳を過ぎて圧倒的に変化したと言っていた。そうか、そういうものなのかもしれない。 

年齢を重ね、経験を積み、情勢分析をし、冷静になって考えられるようになったとも言えるのだが、
「夢に向かって・・・」的な野放図な事を言っていられないという感覚の方が勝ってしまっているようだ。

そういう意味ではある種の「鬱」なのかもしれない。
 
そういえばとありネット記事で読んだのだが、武田鉄矢氏やビートたけし氏が40代から鬱になったとあった。
彼らのような才能のある人達が鬱になったのは、その年齢で自分の考えられる夢の実現を
早くも果たしてしまった事が大きかったと分析しているようだった。

自分を奮い立たせる目標を失ったということだろう。

私は彼らとは違い凡人だ。

それでもここ最近の自分の思考回路を探ってみると
自分の中で新しい達成目標の設定に迷っていることが分かる。

若い頃に夢見て来た事の半分位は叶い、半分は能力不足で諦めたが、
我を知り、己を理解するに従い、残りの人生でどんなサプライズがあるのだろうか?と
見極めてしまっている自分があるのは確かだ。

会社の立場も若い連中を指導するような感じになりつつある。
守りに入ったとは考えたくないのだが、そういう冷めた自分がどこかに存在しているようでもある。

もちろん残りの人生で色々な事が起きるだろう。
60過ぎて新しい事を起こした人も多い。
でも、そういう人たちは実は極僅かだという事実もある。
五木寛之氏の「下山のすすめ」には人生の終盤に向う心構えが書いてあった。
抗なうのではなく、受け入れろ・・と。
 
 
タモリさんも友達に関してこんな事を言っていたようだ。 
 
そうなんだよね。その気持ち、凄くピンとくる。
友達って言える人間関係を持っている人って、良く考えると数人しかいないんだよね。でもそれでいいんだよね。自分がそれで良いと思っているのなら。それが自然なんだよね。
 
人の事はともかく自分の人生を今後どのように過ごし、そして終わらせるかは
私以外の人にとっても大きな課題なのだろう。
そしてそれは全ての人にやってくる。

最近問題を起こす高齢者の記事を読むにつけて、
自分があんな風になったら嫌だな・・とか思う。
またアルツハイマーで自分が誰だか分からなくなるという状況になるのも避けたい。

自分の資産状況も分かっているので、経済的な未来もある程度予測が立ってしまっている。
決して楽観できないことも事実だ。
そう考えてみれば、若い頃のように無邪気でいられるはずもないのだろう。

それでも、一体自分は何をしているのが好きで、何をしたかったのか?
あたらめて自問しようと思う。

何をやれるかはともなく、出来れば死ぬ直前まで自分のペースにあった仕事をやりながら逝きたい。

50代でそんな事を考えるのは早すぎるだろうかね??
もしかしたら人並みになったのかな?





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