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安楽死について [独り言]

安楽死について


世界的に安楽死を容認しているのは以下の国家ということだ。

スイス - 1942年
アメリカ(オレゴン州) - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
オランダ - 2001年「安楽死法」可決。
ベルギー - 2002年「安楽死法」可決。
ルクセンブルク - 2008年「安楽死法」可決。
アメリカ(ワシントン州、モンタナ州) - 2009年
アメリカ(バーモント州) - 2013年
アメリカ(ニューメキシコ州) - 2014年
アメリカ(カリフォルニア州) - 2015年


安楽死をどう捉えるかは非常に困難な問題だ。個人思想、宗教が絡むとなおさらだ。
安楽死の法制化は国家による殺人の肯定と考える人もいるだろう。
そういう見方を否定も出来ない。

しかし個人的には国家による安楽死という選択を日本も考えざるを得ない時機がそう遠くない日に
来るだろうと思っている。本当はそういう選択がないのが一番だが、
この動きは人類が自然に矛盾した生き方を選んだ事の反動だと思っている。
明治時代の平均寿命が50歳前後だった日本は、2016年の今や男女共に80歳を超えてしまった。
この先更に寿命が伸びそうな勢いである。こんなに急激に寿命を延ばした生物は人間だけだ。

こうした寿命の在り方は、自然の摂理とは合致しないように思っている。
人間の医療改革や食生活の改善は、自然摂理を超えて人間の寿命を延ばしたと思う。
またアルツハイマー病や老化を解決する医療の発展も今後開発されるだろうと言われている。
しかし、現代社会において、健康寿命は男女共に70歳前半で、残存寿命の12年は病気との闘いとなる。
私は50代の人間だが、幼少時代、還暦を迎えた人は全員高齢者、つまりお爺ちゃん、お婆ちゃんだった。
大抵は60代後半から70代前半で死に、それが一般的だった。
年金制度の設計もその時代を基礎としており、それが現行設計とのかい離を生んでいる。

個人的見解だが、「安楽死は人生を終盤の最後の保険」だと思っている。

私は自分が何歳まで生きるのか、健康のままで死ぬのか、長患いをして死ぬのか・・、
そういう漠然とした不安がある。人口の50%の人はガンになる時代だ。
先日逝去した大橋巨泉氏も、長い闘病生活に耐えきれず、安楽死を口にしたと聞く。
病気と当事者の格闘を考えれば、彼の気持ちは十分過ぎるほど理解できる。

私は長患いをし社会復帰不能なのにも関わらず治療という名の地獄が続くことにも恐れを抱いている。
社会復帰し、元の生活を取り戻せず、不自由になるくらいなら私は安楽死を選択したい人間だ。
加えて自分がアルツハイマー病になり自分から記憶も何もかも無くなったり、
誰かの手を借りなければ普通の生活を維持出来ないのにも関わらず、
ただ神から与えられた(と言われる)命を存続させるためだけに社会のエネルギーを浪費することに耐えられないだけだ。
人生とはそういう苦難を乗り越えることに意義と理由があるという人もいるだろう。
でも、本当にそうだろうか?

老老介護による殺人、社会復帰の困難な高齢者への医療の問題、社会保障費の増大など、
これから50年を見れば、安楽死という解決方法を無視できるはずもない。
先日、相模原市で19名の大量殺人があった。殺人者は、施設入所者のような人たちへの安楽死を主張していたらしいが、私はそのような意見に全く賛同できない。 

安楽死を制度化するのは相当に難しい問題だ。
安楽死に反対する人の気持ちや考え方を完全には否定できない自分もいる。
しかし、私には安楽死という「保険」があった方が多少気持ちが楽なだけなのだ。

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