So-net無料ブログ作成
検索選択

1983年2月 ローディー時代の景色 Part-2 [ボーヤ時代 1983年]

【ローディー生活の開始:1983年2月】

六ソでの面接: 

六ソ-Lobby-2.jpg

1983年2月のある日(多分2月14日か15日だったような気がする)、私はヨロシタ・ミュージックのT氏(周囲は”とっつあん”と呼んでいた)との電話連絡後、面接のために東京・六本木のPIT INNと言う老舗ライブハウスが地下にあったビルの5階に入っている六本木ソニースタジオへ出向く。このスタジオは業界内では「六ソ」と呼ばれており、山下達郎氏、大滝詠一氏などの大物ミュージシャンがヒット作品を制作した場所だ。

面接の指定時間は13時だったろうか? この日は小雪の舞う寒い日であった。時間通りに現場に行き、六ソのロビーに足を踏み入れる。広さは20畳ほどだったろうか。薄い茶系のソファーが一帯を占めていた。
プロのスタジオということでちょっと興奮気味だったかもしれない。そこで初めてマネージャーのT氏に会う。音楽業界でマネージャーをやっている人間に会うのは初めてだった。多分それなりの挨拶をしたのだろうと思う。
私は暫くの間ロビーで待たされ、やがてスタジオロビーの入り口に大村憲司氏と思われる人物が現れる。黒いセーターに黒いズボン、黒いマフラーをしていた彼は、T氏につぶやくような挨拶をすると、そのままBスタジオに入って行き暫く出て来なかったと思う。どの位待ったか忘れたが、やがて大村憲司氏がスタジオから現れ、ロビー入り口のゲーム機のテーブルを挟んで面接となる。(図面の左下の赤い○の位置)
彼はあまり表情を表に出さずに私の面接に望む。彼との面接では非常に簡単な質問に答えただけだったと思う。そして大村氏は私に以下のような事を念を押すように言った。

「必ず挨拶をする(周囲を含めて)」「時間厳守」、そして待遇は1ヶ月7万円、2月末までに今のローディーが辞めるので、それまでに引き継ぐ事。
簡潔であった。そして後をマネージャーのT氏に委ねスタジオに消えて言った。T氏は明日から来るように言い、今日は帰って良いと言われる。私は待遇を聞いてちょっと心が揺らいだ。1ヶ月7万円は前職よりもやや低い給与で、計算してみるとかなりギリギリの金額であった。実際、前職にはあった健康保険などの社会保障も全く何もない。
それらを入れたら手取りはご想像の通りだ。

世の中の仕組みを理解している今(50代)にして思えばこの条件は相当覚悟に居るものだ。
しかし音楽業界に入り込む方法として他に選択肢が無かった私だったのでこの給与で生活設計するしかなく、腹を決めざるを得なかった。私の場合収入が低いため健康保険料の支払いは最低限度で済んだ。ただ年金なんて支払える訳もなく、これについては諦めた。まだ若いが故に出来る冒険だったと言えるし、私の優先度は収入よりも音楽業界に入る方だった。
実はボーヤ仕事としては、月給7万円は高給の部類に入る。他の同業者の連中はこれ以下がほとんどだった。
特殊な能力が要るわけでもないので相当に無能でもない限り仕事にありつけたというのが実態だった。大卒の人間がなんでボーヤ何か?と言われた事もあったし、実際に経験してみて何でここまでやっているか?という感じだったかもしれないが、当時はとにかく必死だったのだ。
後日T氏は採用された私に応募は何人もあったと言っていたが、そうかもしれないし見栄かもしれないと感じている。後年の私の経験からすると、私もしくは極々少数しか応募がなかっただろうと思っている。

しかし2017年1月になってある事実が判明したのだ。このブログをと通じて知古を得た同じ年の方が、実は1983年4月、つまり私が正式に働き始めてから1カ月後に憲司さんのボーヤの面接を受けていたことが分かったのだ。彼曰く、内定が決まった会社もあり、またT氏から条件について中々ハッキリとした回答を得られなかったので会社勤めを選択したということだった。つまり私は働き始めてから1カ月程度の時点で評価を下げていたという事らしいのだ。この事実は、その後私が経験した事実と一致するようになるが、それはこの後に記載する記事内を読むと分かってくる。
この事実を知った際、”そうだったかあ・・・”という感想と、そういう事があった割には、この後19年も音楽業界で生きて行けたのは奇跡だな・・・と思った次第だ。


その日に採用が決まった経緯を見ても多数の応募から採用された感じは一切しなかったからだ。いずれにしても、大卒上がりでローディー(ボーヤ)を選択するバカは私くらいだったという訳だ。(後日私だけでは無かったことを知ったのは上記記載の通り)

 翌日から住まいのあった世田谷区祖師谷大蔵から六本木ソニースタジオへの通勤が始まる。楽器車を預かって自宅傍に駐車場を預かったので、駐車場代やガソリン代は別途もらえた。世田谷区ということで月極め駐車場料金は結構高かったと思う。
3月に入ってからは憲司さんの楽器車での通勤が移動手段となる。
前任者の男性から少しづつ大村氏の機材に関する情報を伝達される日々が続く。大村氏(皆さんは憲司さんと呼んでいたので以後は憲司さんと記載する)は、通常でもギターを5-6台を移動させ、2台のミュージックマンのアンプ、そしてエフェクターボードとイフェクターユニットを1つのセットとしていた。

私の仕事は、憲司さんを時間通り時間の場所に送り届け、加えて機器の管理と移動、セッティングを毎日するや彼の身の回りの様々なことをすることだった。また都内のスタジオを頻繁に移動するため、憲司さん所有のハイエースを運転し、最短で移動するための道も覚えなくてはならなかった。それまで都内を運転した事が殆どなかったので、不慣れな運転と不慣れな道に当初は混乱の極みだった。2月が終わると前任者は辞めた。3月に入り私は一人きりとなり、毎日が慣れない業務だったため、緊張の連続だった。

(参考資料)

六ソ-A.jpg

六ソ(六本木ソニースタジオ)のAスタジオのコントロール・ルーム。当時のパンフレットからの写真だ。撮影者の右手前がスタジオへの入口となる。私は、入室が可能だった場合、入口傍で黙って座って作業を観察していた。
当時のコントロール卓はNEVE社製。24chのアナログテープレコーダーはANPEX社製を使用していたと記憶しているが、24chのテープレコーダーは、この写真内には写っていない。機器の居置き場所が写真の右手前の入り口右端であったからだ。
奥に見えるテープレコーダーは2チャンネル仕様のものだ。写真左方向には30~40畳程度の演奏用ブースがあり、4リズムなどが録音できるようになっている。憲司さんの最後のソロアルバムだった「外人天国」のリズムやダビングは全てここで行われたし、憧れだった山下達郎さんが、高気圧ガールや I LOVE YOUを録音していた事を思い出す。(スタジオのドアが開いた時に録音中の音が漏れ聞こえて興奮した思い出がある)
当時のアシスタントをしていた渡辺さんという方は、その後ソニー乃木坂スタジオの部長さんをしていると噂で聞いている。

--------

六ソ-B.jpg

六ソのBスタジオのコントロール・ルーム。当時のパンフレットからの写真。コントロール卓はNEVE社製。この機種のEQは定評があり、アウトボードとして使用しているエンジニアが多かった。写真の右奥にはヴォーカル&ダビング・ブースがある。広さは2-3畳程度だったろうか。

とにかく初期のローディー時代は、このスタジオに来る事が多かった。それ故色々困った問題もあったのだ。その辺りは次回以降に書こうと思う。
(2016年10月、新大久保にあるFREEDOM STUDIOの年内閉鎖のニュースが飛び込む。当時はオフコース、アルフィーなどが拠点としていた名物スタジオだったが、時代の趨勢には逆らえないということか。残念)

注:これ以降に記載される内容は、立場によっては余り好ましいと感じない方もいらっしゃるかもしれないと推察致します。
誰かを不快にさせるつもりは意図は全くないのだが、余りに正直に書いていると当方が意図しないまでも、対象者の方々が不快と思うことがあるかもしれないという点は重々承知しております。それ故、当時自分が記憶として不快だと思った事や人物に対しては正直にそのような表現をしている場合がありますが、勝手ながら単純に私個人の記憶の記録と考えて頂けると助かります。正直言って、2016年の基準で言えば、私の経験は明らかにブラック企業的な環境でありました。しかし当時は夢があったので耐えられたし、周囲もどうような感じだったので違和感無く仕事していたという感じでした。当時は大変でしたが絶望したことも、辞めようと思った事もありませんでした。それほど憧れの業界だったのでしょう。
今時を考えても、私のような経験は音楽業界では珍しくもないが、一般的には余りない体験でもあり、当時の記憶や記録、心中を出来るだけ客観的に留めておきたと思い書いております。
私にとってボーヤ体験は必要な事だったと思っておりますし、様々な点で私の人生に影響を与えてくれたので記載には他意も敵意もありません。予めご了承ください。



つづく


nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 1

井川恭一

初めまして。たいへん興味深く拝見しました。

2月にリットーミュージックから出版される、大村憲司さんの本の中で、
大村さんのヒストリー的な原稿を書かせていただいたのですが、
一部コロンさんのブログを参考にさせていただきました。事後報告になってしまい、申し訳ありません。

ほんとうに自分にとってはいろいろと考え深い内容です。
このブログに出会えて良かったです。

by 井川恭一 (2017-01-11 20:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。