人並みに金環日食を楽しむ 2012年5月21日 [Diary]

やはり今日はこれにつきますよね。東京スカイツリーの開業日が5月22日だったのは、これにニュース時間を奪われないようにするためだったのだろうか?
ラジオからドリカムの「未来旅行」がやたらと流れていたなあ。
この日の為に買った撮影用のND-100000フィルター(一眼レフ用)が結構役にたった。でもここに掲載した写真はオリンパスのSP-800UZで普通に撮影しました。それでもこんな位は撮影できましたね。なかなか焦点が合わずに苦労したが。
多摩川の丸子橋(川崎側)で見た金環日食の簡単レポートは以下にて展開。しかし初めて見たが多分人生最後だな・・。
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-05-21
下向き族 [独り言]
東京などの大都会に住んでいる人に馴染みのある話です。スマホが流行り始めてから急激に見かける光景があります。それは歩きながらスマホを操作する連中です。都内の朝、通勤時や退勤時の駅構内やコンコース、果ては通路や道路にもこうした連中が数多く見かけられます。この連中の傾向として若い人、年配者を問いません。
正直言います。スゲー邪魔で迷惑千万だ。
連中はスマホの操作をしながら移動している訳ですから、歩く速度は遅く、対面になれば先方は下を向いて歩いているから、ほとんどの場合、こちらが避ける羽目になる。階段を降りながらというヤツは更に邪魔で危ない。凄いヤツになると自転車を運転しながらという本物のバカもいる。何度かこの類のバカにすれ違った事があるから、頼むから死ぬ時は一人で死んでくれという感じだ。
一体そんな風に操作をして何を得ているのでしょうか? 時間? それとも操作を止める事が出来ないほど面白い事でもやっているのか? メールなんか焦ってやらなくても死なんだろう。 ゲームも歩きながらやらないとGAME OVERにでもなるのかね。
いつも思うのだが、一度誰か死なないとこの問題を問題としないのだろうな・・と思っている。それも下向き族を避けた人が死んじゃうようなケースだ。
法律で定めるような問題じゃないだろうが、相当迷惑だという事を理解できない連中がウヨウヨいるのを毎日見ていると、遣る瀬無い気分になる。
一度誰かが犠牲になって死んでくれないとダメなのかな?とさえ思う。できればそれは自分でないことを祈っているが、そんなことは分からないしね。
新しいギズモが出ると新しい問題が発生する。WALKMANの時はヘッドフォンの音漏れ。携帯の時は公共での電話利用(未だにこの手のバカは多いが)。 いずれにしても新規ギズモの使い方が公共に及ぼす影響は鑑みるべきだ。
最近JR渋谷駅でも歩きながらの操作を戒めるアナウンスが聞こえる。多分事故になりそうなケースがあったのだろう。
下向き族の皆さん、たまには真っすぐ前をみて、空を見て、周囲を見て歩きましょう。感性がバカになるぜよ。本当に邪魔で迷惑なんだって事さえ分からないんだから。
人生の岐路と運 (2012年4月) [独り言]
わざわざアクセスありがとうございます。
あて、私がこの本を20年前に読んでいたら、本に出てくる人たちをただの自堕落で頭の悪い連中で片づけていただろうと思う。実際この本の中にはほとんどそんな人たちしか出てこない。自業自得の果てとも言える連中のなれの果てが書かれている。
しかし自分の人生のを振り返って考えた時、ちょっとした差で自分がこの本に出てくるような人間にならなかったのかもしれないと思った次第でもある。
2001年8月15日、私は人生最大の岐路にあった。失業をし、20年間過ごした業界を出て別のキャリアへ向かう選択を余儀なくされていた。そして貯蓄額を生活費で割ると枯渇するのが目に見えており、枯渇は時間の問題だった。加えて41才だった私にキャリア的な選択肢は多くなかった。
私の脳裏には自分がホームレスになる可能性を完全に否定出来ない精神状態だった。 そういった無計画さはこの本に出てくる連中と被っている部分があるかもしれない。
現在、私はとある一部上場企業に正社員として勤めている。入社してから10年が経過した。1つの企業に10年を超えて勤めたのは実はこれが初めてだ。そして課長にまで昇進させて頂いた。
現在の私がここにあるのは、私をこの会社に引っ張ってくれた人物のお陰である。私の人生は彼の存在によって平均的な生活を営めなくなるという危機を脱する事が出来たのだ。
私の通勤路である山手線からは、失業時に失業保険をもらいに行った嘗てのハローワークへの道が見える。その道を見るたびに、暑い夏の日に惨めな気持ちでハローワークへの道を汗だくで歩いた記憶が蘇る。今なおそれについて忘れた事はない。そして彼には常々感謝している。
彼との出会いは前職時代である。特に付き合いが深かった訳ではない。年に何回か会って食事する程度だったとも言える。それでも彼との出会いと運命によって現職を得た。それによって私の人生は世間的には人並みとも言える状況に変貌した。
2012年の現代は、大卒ですら就職困難な時代である。今の時代に私が41歳当時の状況だったらどのような人生になっただろう? それは誰にも分からない。人生は能力を超えたちょっとした運によって左右されている面があることを感じざるを得ない。運が巡って来た時にキチンと準備してその運を掴めるようにするという前向きな選択もあるが、運が来なければそれも役に立たないかもしれない。
私とこの本に出てくる人間たちの間にグランドキャニオン並みの違いがあるとは思っていない。確かにフィリピン女を追いかけて、無計画に移住した末に金銭困窮後にホームレスになるという構図は、全く同情の余地がない。 本当はこんなバカは自業自得と笑えればいいのだが、私の中に彼らを完全に笑い飛ばせない部分が存在することを否定出来ない。貧しいフィリピンンの市民たちが、自然の振る舞いとして彼らのような弱者に対して最低限生きて行ける程度の食事などを分け与えたりする寛容さには感銘を受けたが、同時に金にシビアな国民性や、民族としての教育レベルの幼さを感じ、フィリピンという国の歪な社会情勢とのコントラストは容易には日本に育った私にはピンと来ない部分がある。
仮に私が現職を得ておらず、そのまま日本国内で路頭に迷いかねない状況だった時、当時で言えばトヨタ自工なんかの派遣労働者のような職種を選択していたのだろう。そして例の派遣切りに合い、自暴自棄になっていたかもしれない。この本に出てくるような逃避をするかまでは判断に迷うが、どうにもならず実家に戻り、家族のお荷物になっていたかもしれない。そういう人生にならなかった事を感謝している。
かくのごとく人生とは微妙な事で大きくズレてしまうものだと私は思う次第なのだ。
今後自分の人生にどのような試練が待っているのかは分からない。それでも人生としては最後の3イニングスに入っている自分を見つめると、7回の表裏はそこそこだったことを感謝している。も
ちろん1回表から6回裏までは自分の夢を追いかけて生きてきた訳なので後悔はない。
今後の8回と9回がどうなるかは神のみぞ知るだが、多少でも生きた証を残したいと思っている。それを何にするかはちょっと時間がかかりそうだが。
SONYの再生は可能なのか? 2012年4月13日 [独り言]
SONYほどの会社が倒産しそうな危機的状況である。
FY11の決算がマイナス5200億円。過去最大だ。FY12中に約1万人のリストラの実施し、テレビ事業は「コア事業」にしない方針を明確にした。平井社長は液晶テレビ事業について「2013年度に黒字化できなかった場合の選択肢を考えている」と話しており、言い方には含みがあるが、黒字化できなければ部門後と他社に売却という選択を言っているのだろう。
今後の事業の柱を(1)カメラやイメージセンサーなど「デジタルイメージング」、(2)プレイステーションなど「ゲーム」、(3)スマートフォンやタブレット端末など「モバイル」――の3事業としたが、いずれも新鮮味がなく、経営陣の苦悩が伺える。
結局これらの原因は何かと問えば、商品発想力の低下である。家電メーカーにとって商品開発は、芸能界で言うタレントの発掘と育成に他ならない。こうした開発は時間がかかり、先行投資となる。また全部が当たる訳でもない。しかしタネを蒔かなければ実りはない。SONYの現在の衰退の原因はここにあると言える。
そもそもメーカーなのだから商品を発想する人が社内にいなければどうにもならない。外部からは分かり難いが、現在のSONYには商品を発想する人が圧倒的に足りなくなっているんじゃないだろうか? 会社は利益が出づらくなると管理部門が強くなる傾向がある。SONYの現経営陣の陣容を見ても中鉢氏以外には技術出身者は見当たらないし、その彼も大きな発言力を持っているとは見えない。会社において管理部門は確かに重要な部署ではあるが、残念ながら彼らはモノを作り出すという訓練を受けていないし、そもそもその素質で戦っていない。管理マネージメント重視の会社では立ち行かないのは火を見るより明らかだろう。
1995年以降のSONYは人を切り過ぎたと思う。経営管理的発想でモノを作り発想する連中を無暗に切り過ぎた。そのツケが今のSONYの危機の根本だと思う。しかし余裕がないときほど経営陣はリストラを発想したがるものだ。そしてまた負の循環を抱え込む。今我々が見ているSONYは看板こそ同じだが全く違った会社である。今後数年間で経営の脱皮に成功しなければ、それこそSONYそのものが他社に買収されることだってありうるだろう。
本当に難しい時代である。
東京花前線 Spring flowers in Tokyo Apr 2012 [Link]
以下URLに別途記事を上げております。
ご興味があればご覧ください。
(NEW:Apr 2012)
東京桜マラソンレポート。
中目黒、千鳥ヶ淵、墨田公園など都内の有数の桜の名所を廻る。
(写真は目黒川沿い/中目黒付近)
(東京桜マラソンレポート)
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-04-10
(Mar 2012)
東京・浜離宮恩賜庭園は菜の花が見頃でございます。
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29
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(Mar 11 2012)
東京梅前線(羽根木公園、湯島天神) Apricots report in Tokyo http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-03-12

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(Remind:Mar 7 2012)
旧安田邸(東京両国) Kyu Yasuda Residence Garden 2011-2012
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08
(2012年3月7日撮影)
(Mar 3 2012)
羽根木公園の梅の開花状況と旧東海道 荏原神社の桜:
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-03-04
(Feb27 2012)
新宿御苑初秋~冬 2009~2012:
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-02-25
■江戸城散策 2012年2月
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-02-20
■矢沢永吉 ゴールドラッシュコンサート 1978年8月
http://skjmmsk-zero.blog.so-net.ne.jp/2012-02-16
■キャンディーズ ファイナル カーニバル 1978年4月4日
http://skjmmsk-zero.blog.so-net.ne.jp/2012-01-31
■韓国 漢江の夕陽 [ブラLOVE KOREA] 2011年11月7日
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-02-07
■韓国 徳寿宮 [ブラLOVE KOREA] 2011年11月5日
http://ajidra749.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08
K-POPブームの芸能報道はどこまで本当なのか? [独り言]
2009年のエイベックスによる東方神起の本格的売り出しから日本でのK-POPブームが一般的になったと言って良かろう。それ以前でも「BoA」や「リュ・シウォン」による活動があり、特にBoAは日本でも韓国大ヒットしたが、彼女は日本のマーケットに溶けこませるため日本語も完璧で、そもそも戦略的にK-POPの尖兵という扱いがなかったため、この範囲からは外す。
さて東方神起や少女時代、KARAなどのヒット組の出現から2012年は3年目を迎える。音楽業界には「ブームは3年」という諺めいた言葉があり、2012年はまさにその年になる。3年を超えた場合は一定のジャンルに定着し、その中で各アーティストが出入りする形になる傾向が過去の経験則から伝えられているからだ。
K-POPの今後の存続は2012年をキチンと超えられるかによる。現在日本でメジャー。非メジャーを含めてデビューしているK-POPアーティスト数は50前後は確実に存在する。当然その中での売れる人、売れない人たちが鮮明になりつつあるが、K-POPブームが実態よりも虚飾されて世間に伝わっているのではないという情報もある。
以下に示す例はそうした情報の中の1つの例であり、これが全てを物語っているとは言えない。またK-POPに限らずJ-POPも似たような事情があることは予め言っておく。つまりこれはK-POPに限った話じゃないという事だ。ただK-POPや韓流イベントはここ数年増加傾向にあり、かなり目立ってきている点はある。「
これを証明するかのような芸能マスコミ報道がいかに芸能関係者と繋がって恣意的でいい加減であるかを示す例が存在がネット上で密かに話題になっている。もちろんK-POPの連中が日本の芸能界で生きて行くためにはTHE GEINOKAIという番所を通らずに活動は出来ない。それ故日本での活動にはこうした番所の影響が否定できないが、逆にこうした報道の素材となったアーティストには非常に気の毒な話である。
2012年3月2日、T-ARAという女性ユニットが東京渋谷の109前のSQUAREでゲリラライブを行った。私はテレビの情報番組でこのニュースを見たが、“ゲリラライブは客が集まり過ぎて、混乱の末4分で急遽中止となった”と伝えていた。ネットニュースでもステージ前に人が殺到して4分で中止となったと伝えられていた。私も報道を見てそれを信じていた一人だ。一部報道では聴衆が500人とされも言われていたが、放送された映像を見る限りとても真実とは考えられないという事がわかった。それが3枚の写真である。

イベント会場の俯瞰図#001

イベント会場の俯瞰図#002
一目瞭然だろう。かなり贔屓目に見ても聴衆は200人以下である。上空からの写真では報道関係者と聴衆の区別がつかないため、200名はステージ前に陣取っている報道関係を入れた数字だろう。報道陣を入れても500人という事実はない。何故事実とかけ離れた報道がされるかと言えば、レコード会社と事務所等からの要請があるからだ。
以前野球の観客数が実際より水増しされてテレビなどを通じて報道されていたが、基本的にはあれと殆ど同じ図式だ。
主催側は報道に載せる際の公式的な動員数を決めて、双方で握る。まず主催側が数字を決定、指示し、報道側に伝え了解すればその数字が公式数として世間に喧伝されるのだ。大抵の場合、実数に上乗せされる。かなり良心的な方法で四入五入(四捨五入じゃない)だ。
実動員数の1.5倍位なら普通という感覚だ。この世界ではそれが当たり前なので特に気にする連中はいない。T-ARAの報道を例にとれば実際の2.5倍以上である。しかしいくら何でも乗せすぎだろう。
では何故こういう方法を取るのかと言えば、「芸能情報の放送は宣伝の一環であるため、アーティストの人気を膨らませるために誇張した情報として流す必要がある」からだ。
テレビの視聴者は芸能ニュースを報道だと思っている人がいるが、完全に誤りだ。あれは宣伝活動の一環だ。
だから日本の芸能界に限らないが、新人を世間に認知させるためには「芸能マスコミへの話題提供」が欠かせない。ネット時代とは言え、今でも一定以上のパワーがある。芸能マスコミは話題が視聴率を生むなら喜んで協力する。また放送局と大手事務所との業務的な関係性もあり、大物タレントのいる事務所は新人の売り出しにおいて、放送局との政治力を利用することだってある。こうした関係性から実際の現場の姿を正確に伝える「野暮」な芸能マスコミなんて存在しない。正確さについて波風を立てても双方メリットが全くないからだ。
日本人に限らずマスコミ報道などから「人気がある」と言われると気になるのは人の常だ。私だってそうした報道を無批判に信じてしまうことだってある。
グルメ情報系の番組はこの手法が最も生きている。そしてこうした心理を利用した芸能報道が毎日情報番組やマスコミ報道という名で放送されている。しかし視聴者にとってはイイ迷惑である。特に東京以外に地区に住む人にとって、現場を生で見る機会は多くないからだ。
ネットインフラが汎用になった現代、こうした古色蒼然とした手法を評論出来る時代になった。その昔、郷ひろみさんが渋谷でゲリラライブをやって1万5千人と報道されていたが、当時現場で見ていた私にはその人数には納得行かなかった。
確かに沢山人はいた。どこまでの人数(つまり渋谷駅前までを含むのかどうか)を報道が指摘しているかは皆目不明だが、相当贔屓目に見ても5千人がいいとこである。
109の前に1万5千人が本当にいたら朝の山手線のようになるはずだ。109の前の交差点を中心に50m四方としても2500平方mだ。109~現在のTSUTAYA渋谷店の前程度が限界だ。また1m四方に2人いても5千人である。1万5千人はどう考えても殆ど無関係な渋谷駅前や道玄坂の上まで入れた数字だろう。しかし出された数字にはこうした情報は全くない。1万5千人と言われれば知らない人は信用するし、109前の混乱を見ればリアリティーが増すわけだ。
芸能マスコミの報道の正確さってその程度なのだ。だから報道ではないのです。宣伝情報なのです。
昨今はK-POPイベントでも集客に苦労しているものが少ないないようだ。2011年12月23日に有楽町の国際フォーラムAで開催され「大国男児、X-5 、C-REAL、チェ・スジョンらが出演した『K-POP LIVE for X'mas 2011』」は、完全にガラガラだったことがブロガーの間で報告されている。チケットは7800円。結果的には2階は閉鎖していたようだ。イベントは水ものだから仕方ない部分もあるが、主催側には痛手だったろうし、出演者にも気の毒な集客だったと言える。


出演者に気の毒な集客だ。
こうしたイベントへの参加決断は
事務所マネージメントの責任でもある。
こういうイベントは出演者の価値を疲弊させるだけなのだ。主催者の力量もあるが、出演者のマネージメント側も金銭判断だけではないタレントのキャリア形成で仕事の選択をする能力が問われている。韓国のタレントマネージメントでその部分まで考えているプロダクションや人は殆ど皆無のようだ。
ただ来場者の中には濃いファンだけで見ることが出来て満足だっという人もいたというのはせめてもの幸いだったのか。ただ、明らかにマーケットとのギャップを理解していない主催者が有象無象に居る事は事実のようだ。
2012年に大阪城ホールで開催されたK-POPイベントも入場者数が座席の30%程度だったと現場に行った人間から聞いた。また舞台裏では韓国タレントの出演者のマネージャーが他の出演者のギャラを聞いて直前になって出る出ないの揉め事を起こし日本の関係者の顰蹙を買っていた事実を関係していた人間から教えてもらった。日本、韓国のやり方の違いはあるだろうが、こうしたトラブルは韓国の出演者や事務所に良い印象を与えない。実際イベンターの中にはK-POP関連は一切やらないと断言する会社まで出ている。
韓流関係のイベント、コンサート(俳優や歌手が出演するもの)は、都内において規模の違いはあれどもほぼ毎日開催されている。完全に供給過多なのだ。K-POPは若年層(ローティーンから20歳代前半)に支持されていると言われているが、実際の集客のメインは30代後半から40代なのだ。若年層が40歳アップより金を持っていないのは明らかだ。故に彼等が集客出来ないコンサートはほぼ失敗する。若年層が7000円以上のチケットをホイホイ買えるはずもなかろう。
また単独コンサートはそこそこ客が入るが、数組が出演するようなオムニバス形式だと急に集客が悪化するケースも多い。主催側の事情では単独にすると出演のギャラが急激に跳ね上がり採算が合わないという理由があるが、オムニバスにして客が入らないなら同じ事なのだ。そもそも韓流系の出演者は法外に出演料が高く待遇もレベルに合わない破格さを要求する。またそれを許している招聘側にも相当な問題がある。
採算が合えば待遇が良くなるのは道理だ。しかしK-POPに限らずそうした待遇に見合うアーティストは数がしれている。
特に昨今のK-POPは、韓国の事務所側がコンサートが一番儲かると分かったために、会場が大規模になり公演数も多い。稼げる内に稼ぐという感じなのだ。
2012年ではShineeが14箇所で20万人規模の動員のツアーを発表しており、2PMも6月に武道館6日間など例に暇がない。
CDが売れない時代なので致し方ない気もするが、アーティストの賞味期限を短くしなけりゃいいけどなと老婆心ながら思う次第だ。特にShineeクラスがこのツアー動員数を正味で埋められるのか注目だ。仮にYahooオークションで原価割れしていたら、ほぼ確実に実際の動員が出来てない可能性を示唆していると言える。私が昨年夏にお台場で見たとあるK-POPグループは全く名前も聞かなくなった。
確かにチケットが売れて会場が満杯になっているK-POPアーティストも存在する。そうしたアーティストの情報も、眉唾情報も同じようなメディアから出てくると、情報の信憑性はドンドン低くなる。それ故ユーザーが自衛しなければならないという時代も考えてみれば寂しい話だ。
そう言えば「K-POP Collection Powered by Brave Brothers」2012年2/15(水)・16(木) 大阪城ホール 公演が11年末に中止を決定し告知が出ていた。
コンサートの内容は、韓国の超売れっ子プロデューサーBrave Brothersが、日本初コンサートというものだった。
[出演]ブレイブ・ブラザーズ / ブレイブ・ガールズ / エレクトロボーイズ / 他というラインナップで、チケット代は以下だ。
[S席(ペンライト付)] 9,450円
[A席(ペンライト付)] 9,000円
日本人には全く知らないアーティストの出演企画なのに場所と日程の設定に無理が有り過ぎだ。武道館クラスを埋めるという意味を知らない素人主催者の試みだったのだろう。会場費の支払い締め切りがあったのだろう、イベンターが主催者を説得したのか早目の中止決定だった。
とにかく今年のK-POPは要注目の年である。
トイレの夢 2012年3月6日 [独り言]
私は度々トイレの夢を見る。
その時必ず「大」をしようとする。
場所はまちまちだ。でも必ず室内だ。
事務所っぽかったり、打ち合わせ先だったり、
出張先だったり、昔の学校だったりもする。
場合によってはリゾート地のような風景もある。
そして夢の中に出てくる大便所は必ず恐ろしく汚い。
相当汚れた昭和の公衆トイレと言えばイメージしやすいだろうか?
ドアを開けるととても入って用を足したくないほどの汚れなのだ。
私は何箇所もトイレを歩きまわる。
そして全てのトイレが汚い。
パーテーションが無くなっていたりする。
どこもかしこも汚いために行き場を失い焦り始める。
そして夢から醒める。
実は今朝もこの夢を見た。
友人に話すと「叶えたい欲望が満たされていないからだ」とも言う。
真実は分からない。友人の言う通りかもしれない。
私の知り合いに同じ夢を見ている人間が一人だけいる。
しかし共通点がまるで分からない。
この夢は私に何を言わんとしているのやら。

成都から4時間程山中に行った際の
公衆トイレの様子。
男性の大の方だ。
見えているのは二名分の”個室”だ。
これは横型だが、縦型に並んでいる物もあった。
いずれもドア、天井はない。
日本人にはかなり苦役を強いる構造だ。
トイレ話のついでに写真を載せてみた。
A memory of Media Bahn Live in 1986 (坂本龍一 メディアバーン ライブの記憶) Part-2 [1986 Media Bahn Live]
坂本龍一 メディアバーン ライブの記憶
A memory of Media Bahn Live in 1986
Part-2
リハーサルは麻布のツヅキスタジオの5階で行われた。ところがその初日、問題が発生した。リハーサルを開始し、しばらくすると、来日したドラマー(白人、名前は失念)の演奏に疑問を持った教授は、生田氏と話し合い彼の解雇を決定する。急遽代替のドラマーを探さなければならなくなり、生田氏は慌ただしくリサーチに入る。そして2日後位に来日したのがBERNARD DAVIS氏だった。この間のリハーサルをどのように過ごしたのか記憶があいまいだが、何もしないで過ごした訳ではなかったろう。
リハーサルを開始して数日後、芸能界を震撼する事件が起こる。岡田有希子さんの自殺だ。翌日のニッカンスポーツの一面にはうつ伏せの彼女を足から撮影した写真が一面に掲載されていたが、頭の先からは脳が飛び散っており、衝撃的な一面写真だった。当時の感覚としてはともかく、今にして思えば、あの一面写真はやり過ぎだと思う。
偶然だったが教授は、1986年1月29日発売のシングル「くちびるNETWORK」というヒット曲を彼女に書いた経緯があった。
Live rehearsal had started at Tsuzooki Studio at Azabu. But some problem occurred at very first day.When musicians started their rehearsal with Mr. Sakamoto and be checked his band performance abilities, Mr. Sakamoto and Mr. Ikuta started whispered talking each other.
Then by the end of rehearsal of the day one, they decided firing drummer. Mr. Sakamoto may judge the drummer was not good enough to play with. I do not remember his name anymore. He was a caucasian, mid thirty. I did not even have a chance to talk to him.
Mr. Ikuta needs to find a new man very soon. He soon called to N.Y..
A new drummer, Mr. Bernard Davis came to the studio two day after.
This in nothing to do with the rehearsal, a few days after, we had a heart breaking news.
Yukiko Okada who was 18 years old pop singer committed suicide.
It was a bolt out of the blue.
She jumped off from a roof of her management office building at Yotsuya. It was devastating news for us.
Actually Mr. Sakamoto had happened to write her final hit single “Networks In Lips” six months earlier. (Released on Jan 29 in 1986.)
We had a many rumors why she did it. Someone had been forcing something to her etc.
But none of them are hard to prove. He never mentioned anything about this incident. I knew he had no idea anything about it.
(くちびるNETWORK / NETWORKS IN LIPS)
http://www.youtube.com/watch?v=QrYAF6snwYU
TO BE CONTINUED.
A memory of Media Bahn Live in 1986 (坂本龍一 メディアバーン ライブの記憶) Part-1 [1986 Media Bahn Live]
坂本龍一 メディアバーン ライブの記憶
A memory of Media Bahn Live in 1986
Part-1

当時のツアーパンレットの表紙
A cover of tour panphlet.
1986年4月21日から開始した坂本龍一氏(以後「教授」)のキャリア初のソロツアー、メディアバーンライブは、全国24箇所28公演で行われた。私にとっても人生初で最後となった大規模ツアーの経験だった。本ツアーは1986年4月21日に発売されたアルバム「未来派野郎」の発売を受けてのツアーだ。本ツアーは、アルバムに込められたコンセプトを音楽と舞台デザインそして演出によって具現化するというものだった。そのため様々な部分に教授の叡智が込められた。
Media Banh Live Tour was Ryuichi Sakamoto’s first solo tour on his carrier. The tour started Apr 21 in 1986 at Khoseinenkin Kaikan(The welfare hall) in Osaka city and be held at 24 cities,28 performances. The basic concept of the tour was his latest album at the time called “Miraihayarho(Futurista)”, which was released Apr 21 in 1986. He put his album concept into his own stage performance, costume, stage set design. It was my first and last big tour experience.
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教授が使用した舞台上の楽器セット
Mr. Sakamoto's instruments.
メディアバーンライブのバックメンバー選定は、教授と生田朗氏が主導していたと思われる。生田朗氏は海外のミュージシャンとの交流が多く、人選の引き出しが多く、且つ英語が堪能だったため当時の教授のブレーンとして活躍していた人物だ。ちなみに彼の当時の妻は歌手の吉田美奈子さんだ。
人選の打ち合わせは選定者の資料やビデオを見て、生田さんが教授に詳細解説をし、教授が決定をした後に生田さんが来日の条件交渉をしていたと思う。ヴォーカルの選定会議でハービー・ハンコックのライブ演奏で唄うBERNARD FOWLER氏の姿をテレビで見た記憶がある。そして1986年4月に入り、リハーサルの時期を迎え、メンバーが続々と東京に来た。我々は彼等を芝之東京プリンスホテルに連れて行く。ヴォーカルは、BERNARD FOWLER、KYSIA BOSTIC、LINN MABRY。ギターはRONNIE DRAYTON。 パーカッションはDAVID VAN TIEGHEM。キーボード:ROBBY KILGOREという布陣だ。
Mr. Sakamoto and Mr. Aki Ikuta selected live members. Aki Ikuta was Mr. Sakamoto’s right hand man at the time. He was good command of English and knew every major musicians and thier phone numbers in N.Y. Mr. Aki Ikuta were gathering musicians data and biography and so on. I remember when they were watching Bernard Fowler’s performance with Herbie Hancock video for vocal casting meeting. Mr. Aki Ikuta must negotiate with musicians or their representatives later along.
On early Apr in 1986, musicians were coming to Tokyo. We brought them to the Prince Hotel at Shiba. It was a fine and nice day.
Members are following.
Vocal: Bernard Fowler Kysia Bostic and Linn Mabry
Guitar: Ronny Drayton
Percussion: David Van Tieghem
Keyboards: Robby Kilgore
Bass:Rei Ohara
Drums: Unknown
To be continued.
6th Tokyo Marathon 第6回 東京マラソンを見た! 2012/2/26 [Japan a la carte]
Report:Feb 26 2012
第6回東京マラソンを見る。3万6千名が参加と聞く。場所は日比谷交差点付近。10kmのゴール地点でもある。スタートしてから1時間余り経過しているが、まだ多くの人が走っていた。コスチュームを身につけた人も多く、見る側も楽しめた。
I went to see 6th Tokyo Marathon at Hibiya crossing in Tokyo. 36,000 people join this event.
Hibiya is a goal for 10km runners. There are historical relics like stonewall of site of Edo castle and GHQ (General Headquarters/America) building. Runners for full marathon need to run to Odaiba. I have seen many people with interesting costume on them. I will show you some.
日比谷交差点付近(10時25分)
At Uchibori Street.
A lower white building on the left is ex GHQ building.
Douglas MacArthur was commanding
from here after WW2.
Cleopatra.
移動は車かな? 気合が凄いなあ。
Japanese animation characters and Mozart.
目玉親父だ! 鬼太郎は?
Japanese animation character
calls the eyeball father.
何故スターバックス?
カフェラテ? 社員の方?
WHY Starbucks Coffee?
Cafe Late?











