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大瀧詠一さんと仕事をした ある日の出来事(2) [独り言]


私は、自分で大瀧さんのファンだとか言いながら、当時の私は大瀧さんのミュージシャンとしての来歴や全ての活動を完全に知り抜いていた訳ではなかった。
既に聴いていた音源は「はっぴえんど」関係、コロンビアから出ていた作品数枚、
そして「A LONG VACATION」と「EACH TIME」というところだ。

初めて「A LONG VACATION」を聞いたのは22歳の時だったが、
アルバム全体の出来の凄さに呆然とし、腰を抜かした記憶がある。
大瀧さんの音楽とはそういうものだったのだ。


大瀧さんがコロンビア時代に発売したアルバム群は実験的な要素も多く、
一般的な意味では余り売れなかったために、
70年代後期に経済的困窮していた事は、後のインタビューで分かる事なのだが、
その間、 ON・アソシエイツ音楽出版.の故・大森昭男氏が依頼し続けていた
CM音楽によって大瀧さんは自身の音楽的実験をしながら作品を貯める事が出来、
やがてこの時期の音楽群が「A LONG VACATION」となって花開く過程は、
後年、「A LONG VACATION」の30周年記念のラジオ番組でご本人が語っていた通りだ。
(この時の音声は「Road To A Long Vacation」というタイトルで一時期YOU TUBEで聴けたが現在は見当たらない。素晴らし番組だったので残念だ。)


実は当時の私は、大滝さんとは初対面ではなかった。
ボーヤ家業を始めた1984年春、今は無き六本木ソニースタジオで何度かお見掛けしていたからだ。
しかし面と向かってお話しする機会は今回が初めてだった。

大瀧さんは非常に包容力のある感じで出迎えて下さった。

プロのミュージシャンにありがちな、相手を値踏みするような
神経質そうな空気を細胞から発するような感じはなく、
自然で普通の感じを持った人と会う雰囲気だった。
確か、「遠い所をわざわざすまないねえ・・」みたいな事を仰っていたかもしれない。

ハウスの奥側にあった部屋には、あの有名な16チャンネルのアナログレコーディング出来るスタジオがあった。
これが噂の大瀧さんの自宅スタジオかあ・・と思いながら、持ってきた機材を搬入してセッティングした。

セッティング後、大滝さんは仕事場を一通り見せてくれたような気がする。

レコードコレクターとして名に恥じないコレクションが陳列していたレコード部屋、
録画された大量のVHSテープとレーザーディスク(まだDVDは無い時代だった)で占められた部屋、
当時はまだ珍しいかった50インチプロジェクターでテレビを見る事が出来る部屋など、
大瀧さんに関する噂の出どころとも言える伝説的な部屋の数々を目撃することになった。
確かテレビ室は当時では珍しい衛星放送も見る事が出来るようになっていたはずだ。


大瀧さんは自宅のスタジオでシンセやパソコンを同期させた形でのレコーディングした事がなかったので、
この日に進めたい作業の中身の概要を大瀧さんから聴き取り、
我々からこういう方法なら進めらそうですと伝えながら進行していったと思う。
と言っても、元々機材オタクの大瀧さんなので持ち込んだ機材に対する飲み込みは速かったと思う。

大瀧さんの自宅スタジオは小ぶりのコントロール・ルームとボーカルが録れるブースがあった。
コントロール・ルームはコンソールと16チャンネルのテープレコーダーがあり、
プロのスタジオにもあるようなコンプレッサー機器などもあったと思う。

このコントロール・ルームにあった主要機材は、コロンビアとの12枚の契約時の契約金を原資にして
手にいれたものだったようが、当時はそこまで知りえなかった。
印象的だったのは、丁度デジタル録音機器が出始めた時代だったので、SONYから発売されていた持ち運び可能な業務用のデジタルレコーダーと出始めたばかりの民生用のDATデッキがあったのを記憶している。


つづく。

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大瀧詠一さんと仕事をした ある日の出来事(1) [独り言]

大瀧詠一さんと仕事をした ある日の出来事(1)


私の人生でたった1度だけ大瀧詠一さんと仕事をする機会があった。
私の人生にとって相当に大きな出来事だったが、その割に記憶が風化し始めている。
40年も経過したこともあるだろう。

今となっては夢と幻のような感じだ。

ご存知の通り、大瀧さんは2013年12月30日、突然ご逝去された。
訃報に触れたその日、私はたった1日だけだったが、
大瀧さんと過ごした日を帰省中のバスの中で反芻したものだった。


当時の私は、教授(坂本龍一氏)がヨロシタミュージックとのマネージメント契約を離れて独立したため、
ヨロシタの楽器部門を法人化した会社に転籍していた。
大瀧さんと仕事をする機会を得たのはこの時期だった。
大瀧詠一さんと仕事をしたのはこの会社に居た時代なので、年代は1988年だろう思う。
月日は正確に覚えていないのだが、多分4月後半だったろう。

その日は春の陽気でYシャツ1枚でも過ごせるほどの暖かく、季節的にはうららかな春だったろう。

大瀧詠一さんとの仕事のチャンスは、当時シンセのプログラマーとして働いていた時代に
懇意にして頂いていたアレンジャーのTさん経由でもたらされた。
大変に感謝の念で一杯だ。


この時の情報によれば、大瀧詠一さんが知り合いの女優さんからある仕事の依頼もしくはお願い事を受けていて、シンセ関連で助けてくれる人を探しているというものだった。
どうやら大瀧さんは、お知り合いの女優さんが主催・出演する舞台の音楽制作を引き受けたようなのだ。
また大瀧さんはその音楽制作を殆どタダ同然で引き受けていたようだった。
確か、その女優さんの名前は吉田日出子さんだったような記憶があるがちょっと定かではない。
従って私たちへの依頼もボランティアが前提だったので、人探しに苦労をしていたらしく、我々にお鉢が廻ってきたようだった。

大瀧さんは、本来なら生演奏で音楽の録音したかったようだが、経済的な状況が許さず、
ご自身のプライベートスタジオを利用してコンピューターミュージックで作ってしまおうと考えたらしいが、
さすがの大瀧さんもシンセのオペレーション等には長けていた訳ではなったようで、
その分野で助けてくれる人間で尚且つボランティアで出来る人を探していたようなのだ。


この話を事務所から聞かされた時、私にとって大瀧さんと会えて仕事場に行ける機会は人生に二度とないだろうチャンスだと思った。幸い当時の会社も1つのチャンスと経験だからと無償業務提供を容認してくれた。
私自身が大瀧さんをの大ファンだったこともあるが嬉しかった。
そしてアレンジャーのTさんと共に福生にあった大瀧さんの仕事場がある自宅スタジオに行く事になった。


当時の大瀧さんは、80年代前半に出した「A LONG VACATION」と「EACH TIME」を発売しミリオンセラーで大成功していた余韻が残っている頃で、その後、松田聖子さんに曲を書いてヒットをさせていた時代でだった。
音楽業界内では、大瀧さんは憧れのミュージシャンであり、また自分のペースでしか仕事をせず、殆ど福生から出てこないので「仙人」とも称される生活を送っていた方だった。

音楽業界人で大瀧さんのファンや尊敬の念を表明する人々は無数にいるのだが、
実際に会ったり、仕事をしたり、ましてやコンサートを見た人は非常に限られていた。
レコーディングスタジオでの本人の歌入れは絶対に第三者に見せない作業をするので有名だったし、
仕事の哲学もハッキリした方だったので伝説的な話は当時ですら多かった。


2018年になってたけし軍団の一員である水道橋博士さんが著した「藝人春秋2」で、高田文夫さんの紹介で大瀧さんの仕事場に行かれた際の記述があったが、彼の書いてあった光景は、私がご訪問させて頂いた時の光景のままで懐かしい気持ちで読んだし、私の記憶に薄れていた部分を補ってくれて助かった。


さて、当日、会社所有の日産のハイエースに楽器を乗せて一路福生に出かける。
当時はカーナビなんて洒落たものが無い時代だったので、
住所と電話番号と簡単な地図が記されたファックスと地図を見ながら運転した。

指定された福生市の米軍ハウスの一角を借りた大瀧さんの仕事場と呼ばれる一軒家に到着したのは、
午前10時頃だったろうか?
初めて見る横田基地に沿った道を進んだ先のある一角に目的場所があった。

件の建物の中に入った時の事は鮮明に記憶している。
玄関を入ると20~30畳ほどはありそうな居間のように広い横長の部屋があり、
その右の一角には放送機器として使われているターンテーブル、テープマシーンが並べられており、
また奥の壁際の棚にはラップで包装された未使用のビデオデッキや様々な機器が積まれており、
1機種で2~3台は積まれていたように思う。
どうやら同じ機種を数台買い、保存用としていたようだ。

入口の左手にはソファーが置かれていたが、その他の場所は整然と機器に囲まれていた部屋と言って良いだろう。

大瀧さんは機材マニアと聞いた事があったが、視覚的にそれが分かるような部屋だった。

その入口から”こんにちわ”と声をかけると暫くしてジーパンと格子模様のアメカジなシャツを着たあの大瀧詠一さんが奥に続く廊下の一口に現れたのだ。
”わあ・・本物の大瀧さんだ・・” 

多分私はそう心の中で叫んでいたはずだ。
震える心を抑えつつ、冷静を装って初対面の挨拶を終えた。



つづく。

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広瀬香美さんの突然の独立と芸名の使用について考えてみた [独り言]


広瀬香美さんが突然の独立騒動で久しぶりにマスコミと世間の注目を集めている。


「広瀬香美」芸名使えない…28日移籍発表も事務所が活動禁止を通告
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180601-00000006-sanspo-ent


広瀬香美「活動は今まで通り続けていきます」と反論
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180531-00225920-nksports-ent


これに対して元の事務所であるオフィス30はコメントを公開している。

www.officethirty.com/


オフィス30のWEBを見ると分るが、タレントは彼女一人だ。
事務所のページでは分からないが、実はこの住所は広瀬氏を全面に出したボーカルトレーニング学校「ドゥ・ドリーム」を運営している。
「ドゥ・ドリーム」の開校は2000年頃だったはずで運営にはオフィス30の社長の平野洋一氏も絡んでいるだろうと推察できる。
当然だが、住所が同じだからだ。

http://www.do-dream.co.jp/


2018年6月1日のWEB記事:
◎広瀬香美の移籍騒動、事務所が会見 2月から4度話し合いも交渉まとまらず
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/広瀬香美の移籍騒動、事務所が会見-2月から4度話し合いも交渉まとまらず/ar-AAy5viA#page=2


2018年6月4日のWEB記事:

広瀬香美代理人ファクス全文 一方的な『独立宣言』否定、2月以降話し合いを行ってきた




こうして見ると社長の平野洋一氏と広瀬香美氏は長年ビジネスを共にしてきたパートナーと言える。
デビューからの付き合いだ。
その彼女が長年のパートナーを袖にして独立した本当の理由は部外者の私には分からない。

記事には、「広瀬の主張は「このままではアーティスト生命が終わってしまう。コンサート会場が満員とならないことに事務所に責任がある」というもので危機感を抱いており会社の代表権を渡すようにという要求があった。」という記載があった。
一方平野氏は、代表権を渡さなかった理由について「免許の更新もわからないような世間知らずの人が代表取締役になって会社でフォローできるのか心配があった」と説明したようだ。

これだけの情報で何かを断定できないが、アーティスト側と経営側の意思の齟齬があったことは伺える。と言っても小さい事務所と想像され、社長とタレントの距離感は本来小さいとみるべきだ。それでもこうした意思疎通の齟齬が起きている。広瀬氏の一方的ではないという抗弁はちょっと「?」で、契約とは一定の条件以外では簡単に解除できないように書いてるあるのが普通だ。例えば倒産や横領など契約を持続させるのが著しく困難な場合に限られている。色々と話したけど言うこと聞いてくれないから契約継続は止めるけどよろしくね!っていう訳にはいかないのだ。

アーティスト側としては、「コンサート会場が満員とならないことに事務所に責任がある」という意味は、自分の実力であれば設定したコンサート会場が満員なるはずで、そうでないのは事務所が仕事をしていないという見方をしているということだ。
一方平野氏からすれば、世間知らずの彼女が事務所の経営を担っても結果に繋がらず事態を悪化させるだけと見ていたということだ。

まあ、双方にそれぞれの見方と理由があると思うし、双方の主張は双方として正しいかもしれないとも思う。

非常に俯瞰した冷静な言い方をさせてもらえれば、少なくとも広瀬さんのコンサート動員が彼女の想定通りになっていないのは、主に彼女が自分自身のマーケットバリューを見誤っている点と、仮に平野氏がそれに気が付いていたとしても長年のパートナーであり傷つき易いミュージシャンの人格に本音を突きつける事を躊躇した可能性があるのだと思う。

厳しい言い方だが、コンサート動員数は市場の意思を反映しており「絶対にウソ」をつかない。また本来、彼女のような30年近いキャリアを持つベテランになれば動員数は急に増えたり減ったりもしない。
動員数が想定以下ということはキャパ設定が実力値よりも大きすぎるか、仮にそんなに大きくない小屋を埋められないとすれば、それが現在の彼女の市場価値であるというだけなのだ。
一発屋のようなヒットでブームを作り、一時的に動員が伸び、急激に下がるケースもあるが、彼女はそれなりにヒットを出しており、歌も上手いのでやり方によってはコアファンを維持できるタイプだったと思う。

彼女のようなベテランになれば、一定の固定ファンがいるはずで、そこが中心的な客になる。
近作にヒットがあるとか、露出を多くして宣伝をしたとかテレビに出る出ないは殆どコア動員に関係がない。
コアファンは長年彼女の存在に対してコミットをしており、ずっとフォローしているため表面的な活動の浮き沈みに連動しない。B'zのファンクラブ会員数は25万人と言われているが、コアファンを持ったアーティストは流行に左右されない活動がしやすいし、ビジネスの計算もし易い。
従って彼女の動員数が伸びないのは、経年に渡ってコアファンを少しづつ喪失し、尚且つ周辺の浮動票を取り込めなかったと見ていい。
そしてこれまでの彼女の存在やコンサートが本当に市場に対して魅力的であれば、少しづつだが動員は確実に伸びる。ただこれには条件があり、毎年ある一定数のライブ活動を地道にやる必要性がある。

実際彼女クラスの活動歴を持つミュージシャンでライブ動員が安定している、もしくは伸びている人たちは例外なく大きな固定ファンを持っており、またファンがファンを呼ぶ。
私の大好きな山下達郎さんは、遂に二世代目のファンが現れ、加えて女性ファンが顕著に増え益々チケットが取れない状態だ。
つまりこうした動員の現象は昨日今日の活動で生まれる訳でなく、80年代から現在に至るまでの地道な蓄積だと言える。

彼女の立場としては事務所の努力不足が動員に繋がらないと言いたいのだろうが、ベテランアーティストの場合、宣伝や仕掛けをすれば大幅に動員が伸びる訳ではないのは前述した通りだ。

広瀬さんよりもちょっと先輩の八神純子さんは、結婚後L.Aに移住し子育てをし、日本での活動に20年近いブランクがあったが、6~7年前から日本でのレギュラー活動を開始し、現在では年に数万人単位で動員出来ている。
これは彼女の潜在的なファンが現在の彼女のパフォーマンスを評価した結果で、口コミで拡がった賜物だろう。彼女はここ最近新作のヒット曲は1曲もないが、ライブ動員は無関係に好調で、東京の2000名キャパでも不安なく満員にしている。

私も八神さんのライブには何度か言ったが、50歳を過ぎても衰え知らずの彼女の唄声は確かに聞く価値がある。広瀬さんのライブや彼女のパフォーマンスや声の維持がどの程度なのかは分からないが、いずれにしても動員数は絶対的な市場価値でウソをつかないし、突然増えたり減ったりもしないのだ。

「BLOGOS:広瀬香美 事務所移籍騒動の陰で立たされていた冬の女王の苦境 」
http://blogos.com/article/301695/


ミュージシャンの性質としては、大抵の場合、売れれば自分の実力、失敗はスタッフのせいと考える傾向がない訳じゃなく、そういう意味で動員の成果に関して事務所の対応を理由にしたいのだろうが、残念ながらご本人のこれまでの活動の累積や価値の問題であると言うのが事実に近いと思し、こうした戦略的視点をアーティストと共有し対応してこなかった事務所にも大きな責任があり、特に社長と所属タレント1名のような小規模であれば尚更で、双方に課題があったと思う。

広瀬さんは2006年の離婚直後から毎年ツアーを始めたようだが、ここ10年程度のライブの履歴を見る限り、ツアー数はランダムで、会場も大きくても1500人キャパからビルボードのような会場で、最大でも年14公演で少ない年だと3公演しかしていない。正直言うと、ここ10年の活動を俯瞰すると活動の戦略性が全く見えない。言い方は悪いが場所や公演数を見ていると彼女の思いつきを汲んだようなツアー編成をしているようにしか見えないのだ。
CDが売れなくなり、ミュージシャンの収入においてライブ活動が重要になり始めたという認識が拡がった2006年以降においてもライブ活動を活発にやっている印象がなく、もう少し戦略的によく考えてマメにツアーをしてファンの固定化に尽力していたら現在の結果も違っていたかもしれないと思う。
一般的に、ミュージシャンは40代をどのように乗り切るかで50代以降の成否が決まる。そういう意味で、彼女は40代に行っていた曖昧な活動で失ったと思われる潜在的なファンが多いと思われ、今から取り戻すのは相当に難儀だと言っていい。かの山下達郎氏は40代の時期に7年もライブツアーをしない不遇とも思える時期があったが、定期的な作品発表と毎週放送しているラジオ番組とファンクラブ(ファンクラブだけのライブを行った時期もあった)でコアファンを繋ぎ留めていた。


さて、今回の独立は彼女一人で出来る訳はなく、外部協力者の存在があるだろう。


広瀬香美氏の新しい事務所、Muse Endeavor .inc :
新Web → http://www.hirose-kohmi.com
会社Web→http://www.muse-endeavor.com


オフィス30のTOPページには「広瀬香美」の名前は、弊社代表取締役である平野ヨーイチ氏が命名した芸名であり,「広瀬香美」の芸名の使用権限は,弊社及び平野ヨーイチ氏に帰属しており,
弊社当社所属のアーティストとしての活動以外には,「広瀬香美」の芸名を使用できません、と主張している。

この文面を読む限り、平野氏の主張はそういうことなのだろう。

しかし、文面だけから判断できるのは、自分が命名したから会社と平野ヨーイチ氏に帰属しており、という理屈で法的な根拠が全く記載されていない。
平野氏の主張は、名付け親、育ての親を差し置いてふざけるな!という事だろうが、
その事と芸名が使用できないという事は残念ながらリンクしない。


もし平野氏の主張通り「芸名の使用権限は,弊社及び平野ヨーイチ氏に帰属しており」であれば、
少なくとも「広瀬香美」という名前は、商標登録等で権利保全がされているか、
マネージメント契約内で完全な形で名称としての権利が契約で保全されている必要がある。


実は、J-PlatPatという商標登録を検索できるサイトで彼女の名前を探してみたが出て来なかった。
という事は少なくとも商標登録はされておらず、この点での権利主張はできないと考えられる。

そうなると、「マネージメント契約書」での主張が必要だが、彼らのように長いパートナー関係だと
最悪の場合を想定した形の綿密に書かれたような契約書の存在は怪しかもしれない。
これはオフィス30だけではなく、日本の芸能事務所で高度なレベルの内容でマネージメント契約書を締結している法人は少数だ。
つまりこの件については言った言わないになる可能性もあるということだ。



もし契約書に「かなり正確」に使用権限について書いてあり、それが更新時にアップデートされて契約記載されていなければ、平野氏の主張は道義的もしくは一部が認められる可能性もあるが、ある弁護士のコメントには、独占禁止法の抵触もあり、認められるかどうかは法廷の判断次第になる公算があるといことで、全体的な法的根拠が薄い可能性を指摘され、彼女の氏名の使用そのものが可能、不可能は判然としない。

いずれにしても、明示的な契約書や知的財産の確保の保証と裁判所の判断、もしくは示談がないと話が落ちないということだ。

独立した広瀬香美氏が引き続きこの名前を使用したいなら、早々に商標登録を検討した方がいいだろうが、
仮に平野氏が名付け親だとすれば道義的な責任を負うことにはなると思う。
彼女の新オフィス設立とWEBページの出来具合を見るとまだ仮の状態だ。
事務所の住所も何もないので、オフィス30を飛び出して、独立をファイスブックで公表したところまで
やったということなのだろう。


狭い音楽業界で今回のような独立を成功させるためには、有力がバックアップがないと活動継続が難しくなる。
あの業界ではトラブルメーカーとは関わらないようにするし、信義の問題を気にするからだ。
ただ、平野氏には芸能界の大御所のようなパワーはなく、仮に広瀬香美氏のバックに業界内の強力な協力者がいた場合、穏便に事を収める方向に事が進むだろう。
いずれにしても、今回のような独立の仕方は彼女の今後のアーティスト活動において全くプラスに働かないという点は強調しておこう。
誰かにそそのかれたにしても、52歳にもなってこういう子供じみた対処をする人物が戦略的に物事を考えているとは思えず、もう少し慎重に事を運ぶべきだったろうと思う。

また平野氏の反論会見についても、彼自身、事務所の代表としてもっと慎重に対応すべきだったろう。
それは彼女への反論を公にする目的がどこにあったかを平野氏が深く考えていた様子が見当たらないからだ。
どういうことかと言えば、もし今後も彼が広瀬氏と共同して事に当たることを目的としていたなら、会見そのものは不要であり、加えて会見で彼女に関してマイナス情報を公表する必要はことさらにない。
当然だろうが、今後一緒にやって行くタレントのマイナス情報が市場にプラス効果を出すはずもない。自分で自分の関わるタレントを批判するのは愚の骨頂であることは分かるはずだ。

また彼女と永遠に決別することに加えて自分の立場の保身が目的なら今回の会見は中途半端だったとしか言えない。つまり平野氏の愚痴を会見で述べたような印象しか残らないということだ。
いずれにしても今回の会見は目的が全く不明で、意図を見失っていたとしか言えないのだ。
企業の大小に関わらず、組織の代表者が公に発言する際は、非常に思慮深く対応しなければならない。
広瀬氏が事務所の代表である平野氏に不満があるとすれば、こういう部分に象徴される点かもしれないと感じた次第だ。


加えて彼女が校長を務め、平野氏が経営陣にいるボーカルトレーニング学校「ドゥ・ドリーム」は、現在でも彼女の名前や肖像を表に出して運営している。
学校の住所を見ても、彼女が今後この学校に関わる事はなく、事業イメージ上の大黒柱を失ったと言っていい。
学校には先生もいれば生徒もいる。コースには彼女が自分で教えているものだってあるようだ。
そういう状況下、彼女は平野氏と対決する形で独立して去ってしまったのだが、今後、学校との関わりについては彼女と平野氏の課題になるだろうし、学校のイメージ損失のリカバーも必要となる。


今回の彼女の決断が先の人生において正解だったのか、他にやり方があったのか?は分からないが、
大抵の場合、こうした強硬手段を取ると環境整理に時間とエネルギーを使うハメになって
暫くは音楽活動に集中するには難しいだろうと思う。
部外者の私が勝手に助言を出来たとすれば、まず己の現状の実力を冷静に把握し、周囲の意見に耳を傾け、地道でも中長期の活動計画を立ててそれを地道に実行して行く環境を作り、ご本人もそれを受け入れてやれるように努力すべきという感じだろう。
ご自身で会社を経営すれば事態を改善できると思っているようだが、人間にはそれぞれ持ち分というモノがあり、よく考えて方が良いと思う。50歳を過ぎるという事はそういうことが自然と分かる年齢であり、分からないとすれば彼女はもうそれまでという事になる。


さてどうなるのやら。



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フジ決算報告に見える放送業界の悩ましさ [独り言]

2017年度のフジテレビの決算が発表された。



経営陣のコメント要約では、今期売上は前期比マイナス7・1%の2606億7700万円も営業利益は11・3%アップの44億8300万円、経常利益は同6・4%アップの48億2900万円と共に増益。減収も同局としては6年ぶりの増益となった。

会見に出席した奥野木順二・執行役員財経局長は今期増益の理由について、「現場の経費見直し、特に番組制作費を前期882億から806億まで76億円落としたことが大きかったと思います」と回答。


端的には「減収増益」。増益理由は「制作費のカット」。

放送単体での営業利益率は1.9%。



フジ、6年ぶり増益!番組制作費見直しが効いた…決算報告会見




普通の経営感覚からすれば、放送って意外に儲からない仕事なんだな・・っていうことだ。
フジの決算を見て歴然としているのは、ホールディングスとしてのビジネスは、不動産部門が支えているという点だ。不動産部門は昨年比で+30%の営業利益増だ。
またホールディングス全体で見れば、本体よりも子会社の利益に依存しており、営業利益の80%を子会社が叩き出している。


またフジだけではなく地上波の放送ビジネスは利益率が低い。
経営的な観点で言えば、余り積極的に手を出したくないビジネスだ。
1年間で40億円程度の営業利益を出すだけなら他にも効率的な方法があるからだ。

正直言えば、フジの半分以下の売上で、20倍近い営利を稼いでいる業態も存在する。
おまけに人件費はフジの半分程度だ。
そういう観点で見ると、フジテレビは1人単位当たりの効率がものすごく悪いという事になるが、これはフジだけでなく地上放送系は軒並み同じだ。
ちなみにフジ系の放送事業に関わる人材(社員)は30代で年収1千万円を優に超える。50代では2000万円代がざらにいる組織だが、営業利益率や貢献度を鑑みると、明らかに高すぎるだろう。ビジネス規模だけで言えば、現在の半分程度の年収で十分と言える。
特に不動産部門で働く人たちは、自分たちの方が貢献度が高いのに放送関係より年収が低い事に不満があるに違いない。
時代的にもビジネス的にも放送で働く事が特別な時代ではなく、この辺りの放送系の人件費配分に手を付けないとこの先放送事業はますます立ち行かない時代になるのだろう。しかし人件費を下げれば人が集まらず結果的に質を落とすリスクもあり悩ましい。

地上波系の人件費は成果に対して異常に高すぎるという点と、コストコントロール以外で利益を産めない構造になっており、経営的にアップサイド(売上高を上げる施策)を狙えるウインドーがほとんどないと言える。

昨今安倍政権は、電波オークションを実施しようとしているが、地上波のニュースでこれが取り上げられないのは、彼らとして大反対だからだが、現在の放送局が支払っている数億円程度の波料がオークションで10倍程度になると言われており、そうなれば営業利益が丸ごと吹っ飛ぶ可能性があり経営に大きな打撃になるのが分かっているので反対という訳だ。

さて、フジだけではないが、売上が下がるためにコスト(制作費)を下げる経営手法には本来未来がない。売上を見込めるように改善するか、周辺事業を立ち上げる必要があるからだ。
特に編成費用はコンテンツの質に直結し、ある限界以下になればもはや地上波の質を保てなくなる。
放送コンテンツが一定の質を保てるのは、多数の視聴を根拠にした広告費用である。視聴率が下がれば広告費が下がり、編成費用も下がるという負のスパイラルに入る。

現在の地上波放送局は既にその悪循環に入っていると言ってもいいだろう。

新聞業界も同じような状況で、実質部数に比べて人件費等が高すぎて利益を産めない構造になっている。また新聞作業に従事する人たちは、ビジネス的側面で仕事をとらえておらず、社会的役割を理由にコストカットへの抵抗も多い。
フジだけではないが、地上波関係が、不動産屋がメインで放送もやっているようなビジネスモデルになりつつある現在、新聞をささえるために他の事業が貢献するような形はオールドメディアに共通した形態になりつつある。
オールドメディア苦境は、ネットを中心としたニューメディアへの移行の影響だが、ニューメディアも事業採算性では全く構造構築が出来ておらず今後の課題となっている。

正直言えば、日本の放送局数は今の半分以下でいいと思う。また新聞社の数も3つ程度で良く、現在の日本は無駄にメディアの数が多すぎる。
業界内での事業採算性が取れなくなると次に起こるのは再編だろう。
大抵のビジネスの場合、1業界で残るのは3つというのが相場だ。
放送局は免許事業であるため再編が難しいのだが、電波オークションが風穴を開けるかもしれない。
そうなれば再編への道が見えるだろう。
また新聞はいずれ再編の道を歩むだろう。

昨今電車で新聞を読んでいるサラリーマンを見かけなくなったが、もう新聞を読む時代は終わったと思っている。ネットから一次情報を得られる可能性もある時代に、フィルターの付いた記事を読むのは全くばかげている。トランプ大統領は、大統領広報を通さずに大きな決定や意見を出す初めての政治家になった。彼の言い方等は色々と物議があるが、メディアを通さない情報接触の利点は民衆にとって大きい。(同時にリスクもある)



オールドメディアに囲まれて仕事をしていると気が付きにくいが、一般民衆は様々なルートで情報を取れる時代になっている。
オールドメディアにが使わない人材からの方が圧倒的に質の高い情報にアクセスできること知る時代になり、65歳以上の人間はともかく、それ以下の層を以前のように民衆をコントロールできると考えない方がいいだろう。
実際、その動きは既に始まっている。



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「HIRED GUN」と呼ばれるミュージシャンたち [独り言]

HIRED GUNと呼ばれるミュージシャンたち


友人がネットフリックで視聴できる面白い音楽ドキュメンタリー映画を教えてくれて
見せてくれた。


タイトルは「HIRED GUN」。




「HIRED GUN」という言葉はこの映画で初めて知った。
意味は、「ミュージシャンが雇うミュージシャンたち」のことだ。
ソロにしろ、バンドにしろ、バックメンバーとして演奏する連中、
彼らを総称して「HIRED GUN」というらしい。


名も無きスタジオミュージシャンたちで最も有名なのは「Wrecking Crew」「Funk Brothers」と呼ばれた集団だったが、「HIRED GUN」は特定の一団ではなく、バックメンバーとして活躍する集団と言っていいだろう。




さてこの映画には数々の名もなきミュージシャンたちが登場する。
音楽通には名前を知る人物もいるが、大抵は一般には知られていない。
しかし彼らの演奏はライブやレコードに刻まれている。


彼らは中心メンバーであるボーカリストやバンドのサポート的存在で、決してメインではない。
特にこの映画で印象的なのはビリー・ジョエルとそのバンドメンバーたちの逸話だが、
ビリー・ジョエルからクビにされたメンバーたちの発言はかなり辛辣だ。


ある黒人プロデューサーの言葉が印象的だった。


「HIRED GUN」に必要な素養は3つ。


1、Aクラスの演奏ができる事。
2、雇っている主人の音楽の意図を素早く解釈すること。
3、カッコいいこと。


またある白人プロデューサーの言葉も印象的だった。
「1流以外は不要だ。2流のいる場所はない」



「HIRED GUN」はある意味でミュージシャンのメジャーリーガーともいる。
だが、彼らの扱われ方は決してメジャーリーガーとは言えない。


ビリー・ジョエルの元ドラムス担当だった人物は、移動の際のビリー専用の飛行機に
搭乗拒否されたとコメントしている。
現在では子供のドラムスクールなどで教えたり演奏したりする生活をしている彼の言葉には
華やかな時代を懐かしみ、戻りたいという感じが滲んでいた。


またあるバンドのギターリストは、週給500ドル(1980年代)だったと語り、
中心で活躍するミュージシャンとの格差の大きさを訴えていた。

また華やかな裏側でメインアクトとの歴然とした格差を訴えるミュージシャンもいた。
アメリカの音楽業界は全くもって弱肉強食世界だ。


ある「HIRED GUN」の1人だったギターリストは、先の展望に未来を見いだせず、
リスクを冒して全く名も無きメタルバンドのメンバーになる決意をした。
彼にとっては人生そのものを賭けるに等しい。


「HIRED GUN」の彼らが口々に言うのは、クラブで演奏して暮らすような生活は懲り懲りだという言葉だ、

ミュージシャンとして明らかにエリート層にいる彼らも、
その上にいるメインを張れるミュージシャンたちには叶わないのがこの世界のルールだ。


そのメインの人たちもいつまでもTOPに居られないかもしれないという不安と闘っている。


「HIRED GUN」。
日本にも同じような仕事をしている人たちは数多くいるのだが、
華やかな世界でトップにいられるのは僅かであることは日米とも同じだ。

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あるコンサートに行って感じた違和感。 [独り言]

先日、私が中学時代からファンであるアーティストAさん(イニシャルではなくただの記号として記します)のライブに行ってきた。昨年も2回行き、ここ10年近くはコンスタントにAさんのライブに行っている。

Aさんが現在ツアー中なので、あえてアーティスト名を伏せて感想を書きます。
またツイッターを見ると例外なく好意的な感想ばかりなのだが、私はあえて批判的な感想に終始してしまうので予めご容赦願いたい。


今回はAさんの通常動員からすればかなり小さ目の小屋のツアーが始まったからだ。いわゆるライブハウスよりは大き目だがホールよりはかなり小さめという感じだ。
そんなAさんのライブ企画に興味をソソラレて、チケットを申し込んだ。一番行きたかった小屋は抽選に2回漏れ、別の都内の小屋で当選したので同伴者と行ってきた。
同伴者はここ10年位Aさんのライブに一緒に行っている人物だ。

ステージにメンバーとAさんが登場し、演奏の布陣が見てとれた。今回は小屋も小さいため昨年のホールツアーと比較してメンバーで3名少なく、またキーボード以外のメンバーは全員新しいミュージシャンだった。編成構成はドラムス、ベース、ギター、キーボード、歌(+ギター)。

1曲目が始まった。Aさんの名曲の1つだ。そしてその後もAさんの名曲群が演奏される。しかし私は1曲目開始直後から違和感を感じており、それがずっと解消されなかった。1曲目開始直後の違和感の象徴的だったのはいつもAさんが弾いているギターにコーラスがかかっていたことだ。これは過去10年近くライブで見聞きして初めてだったと思う。
何故Aさんのギターにコーラスがかかっているの?? まずそこから引っかかってしまった。そのままの方がいいのに・・。

その後も素晴らしいセットリストが進むのだが、全く楽しくない。何故だろう? 
1部と2部構成だったが、2部の最後の曲が終わるまでずっと違和感が消えなかった。
モヤモヤしたままだったのだ。

今回のツアー、小屋を小さく設定しただけでなくいつもとは違うミュージシャンを使って人数も違う編成でパフォーマンスしていた。
AさんのMCでの説明もあったがこれは意図的なものだ。

終演後、会場を出て帰路につく途中で同伴者がポツンとつぶやいた。

「なんか、ピンと来なかったね・・」

私はその言葉を聞き思わず「えっ、そう思ったの?」と聞き返した。

実は同伴者にAさんの音楽を紹介したのは私だが、ここ10年近く私よりもAさんの音楽を聴く程なっていた。同伴者が私とAさんのライブに行くようになったのは前述したようにここ10年程度だが、絶頂期は知らないまで多少の変遷を経験している人だ。同伴者はめったに批判的なコメントをしない人物なのだが、その人が一言ピンと来なかったと言うのを聞いたのは私にとって重い言葉だった。


「私もピンと来なかったんですよ・・、何でしょうね? この違和感は・・。気の抜けたビールみたいだったよね」と返答した。同伴者はちょっと笑ったまま答えなかった。

私は違和感の正体を考えてみた。

まず、バックの演奏者が大幅に変わった。Aさんの説明では若いミュージシャンと一緒にいつもとは違う小さめの小屋でやってみようというライブコンセプトだったようだ。それはそれでいいのだが、バックのメンバーが変わり編成人数が減るということは、各自の演奏力が高くないと演奏全体がまとまり難いと言うデメリットがある。
従って各自の演奏の「繋ぎ」的な音像を作るために演奏力の高いミュージシャンであることが要求される。ライブを通じて感じた違和感の1つがバンドの演奏力のなさだったと思っている。
少なくともAさんが通常のライブで一緒にやっているバックミュージシャンは一流と言えるレベルなのだが、今回のキーボード以外のメンバーは全員30代~40代前半までの人たちだ。メンバーの経歴も調べてみたが、なるほど・・という感じだった。少なくとも経歴を見る限り、いつものメンバーとは経験しているミュージシャンの層が全く違う。

私のような見方をしていた観客は多分居なかったと思うが、メンバーの出音(楽器を鳴らす力)や演奏構成力が圧倒的に足りないと思った。

音はPAされているのでそれなりに出力されているのだが、楽器があるべき姿として鳴っていないのだ。
フォーリズムを構成するメンバーの楽器が鳴ってないからバックの音がひ弱で貧弱なのだ。キーボードだけはいつものメンバーなのだが、鍵盤だけでどうにもなるはずもない。そこにAさんの唄とコーラスのかかったギターがいる。
いつもならもっと歌えているAさんの唄は、バックの貧弱さに足を取られているかのように貧弱さを露呈しており、時折ピッチも外してしまう。年齢によって歌が昔ほど歌えないAさんにとって今回のパフォーマンスはちょっと致命的にも思えた。

特に私の同伴者はAさんが今までのように歌えていなかった点に不満をもっていたが、その理由の1つにはバックメンバーの選定ミスがあったと思っている。カラオケ屋で経験があると思うが、歌唱というのはバックの音の密度やグルーブに信じられないほど影響を受ける。
1曲目の名曲の歌い方も、私の視点からは手抜きのように思える感じだった。リハーサルでもしているのかな?と思うような感じで、あれが本番の歌い方だとしたらちょっとリラックスし過ぎだと思った。

そうなのだ。何かAさんの今回の唄には「魂」が感じられなかったのだ。
「魂」が感じられなかったのは本人の責任が一番大きいが、バックの演奏がAさんの唄をサポートしエネルギーの度合いを上げられなかった点もあるだろう。これは先ほど記したカラオケ屋の話と同じだ。

Aさんはどのように理解しているか分からないが、若いミュージシャンたちはいつもの一流のミュージシャンたちの半分程度のレベルで、残念ながらAさんのレベルとは釣り合わなかったのだと思う。
若いミュージシャンたちは30代後半から40代前半だと思うが、残念ながらこの年代のミュージシャンは本当に上手くて要求の厳しいミュージシャンたちとセッションをしてきた経験が圧倒的に少ない世代だ。
従って全体的な技量も落ちる。またデジタル時代のレコーディングが主流になってからのミュージシャンであるため、アナログ録音時代の人々よりも演奏技量の細部の詰めが甘いため、特に少人数のライブでの技量の甘さが露呈しやすい。
私と同伴者はそうした違和感の総和を感覚的に感じてライブを見ていたのだ。実際私はライブを見ながら演奏のダメ出しをしているような状態だった。(だから楽しいはずがない)

同伴者は私のような経験のない人間なので、私のような分析をできないが、明らかに同じような違和感を感じた点において凄いなと思うと同時に、質の劣化を直観的に理解していたのだろう。

2011
年に日本でのライブ活動を復帰させた八神純子さんのライブを初めて見た時、一番の違和感はバックの演奏力のなさだった。八神さんは自分のピアノだけで十分歌える人物なので歌への違和感は全くなかったが、バックの演奏の貧弱さと物足りなさは以前ブログにも書いた。

その後八神さんは日本でのライブ活動が想定よりも集客できることで自信を得て、バックのミュージシャンの選択も一流どころになった。当然だが、一度一流と演奏したら二度と二流とは出来ない。2011年にやっていたバックとのコンサートはなくなり、現在は村上ポンンタ秀一氏などのお歴々とセッションをしている。彼女のレベルなら当然だろうと思う。

一流のミュージシャンと二流のミュージシャンの間には限りないギャップが存在する。
今回Aさんは残念ながらミュージシャンの質を落としてしまったことでご自身の唄の質まで落としてしまったようだ。バンマスでキーボードの方がその変化に一番気が付いているかもしれないと思う。

この先、ツアーは夏まで続くようだが、次のツアーは是非とも元のバックメンバーに戻してホールツアーとして再開して欲しい。ミュージシャンは自分のやることに飽きてしまって時折やらなくていい事をするが、Aさんに置かれましては今回の件を最後に、元のクオリティーに戻すようにご配慮願いたいという感じです。

特に来年は大事な周年が待っておりますから。


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何となく世情をつぶやく・・。 [独り言]

ラジオやネットを経由して情報に触れて分かる別の世界観あると感じている。


昨今、安倍政権がちょっと危うい。


まず言っておきたがが、私は特に自民党支持者でも安倍支持者でもない。
だからと言って特定野党の支持者でもない。
いわゆる浮動票行動をする人間だ。
野党にしても素晴らしい政策や行動をしてくれるのであれば、当然応援するし、
自民党政権でも同様だ。もちろん反対の事も起こる。


先にこのブログで書く内容の結論を先に言っておくと、仮に今後の流れで安倍政権が消滅し別の政権になったとすると日本経済は最近まで言われていた「失った20年」に逆戻りするだろうという事を予告しておきたい。
その予告をつらつらと他の事を含めてつぶやくので、興味があればお読みください。
なお、政治的な話をすると色々なご意見を頂くと思うので、コメントについては一旦当方側で引き取るつもりです。

また仮にコメントを頂いても当方側から反論等をするつもりもありません。
あくまでも個人的なつぶやきですから。人を傷つけない範囲で自由に意見が言えるのが日本です。



さて、私は中道の人間だと思っている。
だが、だからと言って全く思想信条が無い訳ではない。
例えば若い頃は天皇の存在に何となく違和感を持っていたが、学校の歴史教科書を離れて自分で歴史の勉強して掘り下げると日本にとって天皇の存在が背骨だと理解できるようになってきた。
これは国家教育がそうさせたのではなく自分で勉強して得た結論だ。歴史的事実を読み解くと、万世一系を事実として信じるのは難しいが、日本は天皇というシステムを途切れなく維持してきたことは事実であり、それが日本の歴史に欠く事の出来ない影響を及ぼしている点は疑いない。

従って共産党のように天皇制を否定する考え方は全くない。
少なくとも日本国にとって、天皇の存在を否定した歴史を日本国民が語る事は出来ないと思っているからだ。


自衛隊に関して言えば、改憲して認めるべきと思っている。
共産党のように自衛隊の存在を否定したり、左翼系のように暴力装置などというのは言論の自由だが、
北朝鮮を見ても判るように安全保障としての軍隊を保持しない国家では安心して暮らせるはずもない。

自衛隊反対派には安全保障の対案があるだろうか?

自衛隊が憲法上軍隊否かというのは論議の本質ではないだろう。

もちろん憲法の語源解釈を否定する訳ではない。それは法治国家として重要な部分だからだ。

だからと言って「言葉」というある意味非常に曖昧なものを含むツールを使っているにも関わらず、1mmも揺らぎを許さないような論議をするのは現実的でもなからろう。
一定の議論を経たらそういう部分に終止符を打って現実の安全保障に資する議論に移る時だと思っている。


仮に歌舞伎町のど真ん中に自宅があったとしよう。
暴力団や怪しい半グレ集団や外国人犯罪勢力に囲まれて暮らす事を余儀なくされてたとすれば、
自宅や周辺に厳重なセキュリティーをするだろう。
今の日本国のおかれている状態はそういうことなのだ。

かつての社会党は非武装中立を掲げていたが、こういうファンタジーを現実の政治に持ち込む辺りのセンスのなさが流れを汲んだ社民党の凋落の証だろう。暴力団や怪しい半グレ集団や外国人犯罪勢力に囲まれてセコムを解除したらどうなるか理解できそうなものだろう。
リベラル系の弱点は理想論と現実社会の間への落としどころを見つけられないという点だろう。

ただ旧リベラル系政権の擁護を1つだけしておけば、労働者の地位向上への貢献だろう。
中には暴力的な対応をした時代もあり、彼らの活動や過程の全てに賛同する訳ではないが、
資本側が労働側に強いていた不当な労働環境の大幅な改善においては一定の評価すべきだろうと思っている。
実際、我々はその積み重ねの恩恵の上で生きている。


さて、自衛隊に話を戻す。

憲法学者が憲法の仔細微細な解釈から自衛隊の存在そのものに反対する意見は分からなくはないが、
歴史的要請によって発生し存在を容認され(容認されてないと言う人もいるが多数ではない)定着しているものを、法的理屈だけを振りかざして現状を否定しても生産的でも建設的でもないだろう。
理屈の先に何か具体的な施策があるというのだろうか?

学者は毒にも薬にもならない理屈や論理を披露するのが仕事みたいなところがあるが、
折角頭が良いのだから自分たちの仕事がもう少し世の中に具体的に役に立つ方法を考えてもいいだろう。

中学高校で三権分立を習ったが、大人になってそれが殆どファンタジーだと分かった。
三権分立という建前はあるが、人間の営みは必ずグレーな部分を孕む。
三権分立は現実社会において三竦みで決して理論のようには運営されていない。
その上でどうするのか?が学者諸氏の腕の見せ所だろう。

人間が日々を営む上でのそうした現実を無視してはならないし、同時にその事実と戦う必要がある。

こういう意見をすると法律を否定するのか?と言われるだろうがそうではない。
人間が作る法律は完全無欠ではない。

完全であろうとすることは全く否定しないが、現実はそのようになっている。
そういうことを踏まえて現実対処をどうするか?が考えるべきことだろう。

これは信念や理屈を振りかざすという事とは別だ。

信念は個別にあって良いと思うが、現実社会で実現不能な信念は宗教に近いと言うべきだろう。

学者の学問的見地から論理的に完全無欠な正論を目指すのはいいが、
現実に即さない根拠を正論として振りかざすだけでは課題解決しない。

自衛隊とはそういう存在だ。

日本国憲法や憲法第9条の解釈は様々にある。私は特に憲法の専門家ではないので、学者的な見地では言わないが、普通に読めば日本が他国を責め得るような軍隊的な組織を持つのは違憲だろう。
だって「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」って書いてあるからだ。
そもそも民主主義とは民が中心というのが建前だ。
学者が総がかりで解釈しないと正しい解釈にならないような文章を国家の上位法にしていることからして可笑しいとも言える。平易に解釈して成り立つものでなければ本来の意味で立憲であろうはずもなかろう。

憲法第9条の解釈は国連憲章との連動性など様々な見方、意見があるが、一般庶民的な観点で言えばそういう事だ。
ただ第9条に自衛権確保のための軍事組織の保有について書いてあえて書いてなかったのは手抜かりだったと思う。

先ほど私は憲法第9条の解釈は普通に読めば軍隊の保持が違憲だろうと言った。
それは他国を攻めに行く事を前提とした軍隊であり、セコム行為を否定する訳じゃないと思っている。
つまり自衛権だ。でもそこがちゃんと書いてないからややこしい話になってしまった。

さて、自衛隊を違憲だとして扱えば、日本は安全保障的に丸裸になり、他国からの脅威に対応できない。日米安全保障でアメリカが守ってくれると考えるのは妄想に近い。彼らが日本を守るとすればアメリカの国益に叶うかどうかの時だけだ。

表向き独立国である日本が自分たちの意思で国民の安全と生命と財産を守れない国になるのは国民として不安に思えないか?

朝鮮戦争の勃発で警察予備隊が出来、その流れを経て自衛隊が創設され既に60年以上この状態が定着した。
その過程でアメリカの関与があった事は事実だ。
残念だが、日本が戦争に負けた。それが全てだ。


そしてその後、災害活動や海外派遣なので現場の自衛隊隊員諸氏らは相当な苦労を強いられる中、
法律的には継子扱いされ、心無い連中は自衛隊員や家族の存在すらも否定的に扱われてきた。

日本国民向けには自衛隊が軍隊じゃないと言っているが、これは憲法に「陸海空軍」とあるからだろう。

「軍」じゃなくて「隊」ってことだ。しかし海外では軍隊と言っている。
これはそうしないと違法な殺人集団扱いされてしまうからだ。

こうした言葉遊びを憲法や法律の専門家や政治家等は延々とやっている。

もちろん法律は言葉と定義の集積だから、言葉の選択は重要だと重々分っている。
そもそも日本国憲法の原文は英語だ。我々が知っているのは日本語だが、英語としての解釈を議論の遡上に上げている人は少数だろう。しかし重要な部分の解釈にこれだけの幅があるのはある意味悪文だと言っていい。誰にでも同じように分からない憲法ってそもそも何なのだ?という事を考えてみたことはないのだろうか?

それでも「隊」は「軍」じゃなから軍隊じゃない、「戦闘」行為は軍の行為で「武力衝突」は戦争行為の範疇ではない等を見聞きし、時間の無駄とも言える議論にエネルギーを注ぐのはそろそろやめようと思わなかったのか・・。


つまり法律解釈と現実に幅があり過ぎるなら解釈を一定範囲にするように憲法側を変えるという事だ。

それが安倍首相の意図だろうと勝手に推察する。


安倍首相が自民党の憲法部会をすっ飛ばしたのは、学者や政治家が集まって結論のない議論を延々として、
会議が目的化したような体たらくを真近で見ていてこれじゃダメだと思ったからだろう。


この点について私も同じ意見だ。


さて、自衛隊は違憲であり、完全に否定している人たちは、仮に災害、もしくは他国からの脅威によって自衛隊に助けられるような時があった場合、どのように対応するのだろう?
「お前らは憲法違反だから私を助けなくていい」って言うだろうか?
そこまで肝に据わった政治家、学者や民間人は居ないと確信している。

だったらどうすのか?を問いたい。

国の安全保障は会議で担保される訳ではない。
法整備と組織と運用でなされる。
極めて実務的な話だ。


だから会議を開いてウダウダ論戦を張っているばかりの連中を見て、どこかで締め切りを決めて実務に移行しようとしたのは大きな進捗だと思っている。
いずれにしても憲法改正には国民投票が必要だ。民主主義国家だから議論すればいいのだ。

議員での可決上程すらもハードルが高いが、決めるのは国民投票だから上程なんて色々と何度もすればいいのだ。
憲法を金科玉条のように1ミリも触らない事を望む人もいるだろうが、
そういう人には前述した肝の据わりがあるかを確認したい。
あなた方は他国かの侵略があっても黙って死んでゆけるほどの覚悟があって言っているのか?だ。

私は嫌だ。


現在の自衛隊の状態は人権侵害だと思う。
そういう観点からも自衛隊の存在を正式に認めるべきだろう。
その上でシビリアンコントロールを厳格に利かせる実務構築が必要になる。
我々は明治維新以降に起きた数々の戦争によって軍部が暴走するのを体験している。
それは二度と犯してはならない。


正直言うと自衛隊という言い方も止めた方がいいだろう。
しかし日本国民は言霊集団なので、自衛隊が国民軍となっただけで騒ぎ出すに違いない。
無用なエネルギーを削ぐなら自衛隊でも構わないが本質論ではないのでどうでもいい。


要点はまず日本の安全保障を安定的にする上で自衛隊をどう位置付け、憲法との整合性をどうするか?だろう。
そして日米安全保障条約と自衛隊も不可分だ。


さて長くなったが本論に戻ろう。
私は政治の大きな仕事の1つは国内経済の安定と安全保障だと思っている。
安全保障については上記した通りだ。
平和が維持できなければ経済活動はできないし、
また国内経済がある程度キチンとしていなければ社会は不安定になるからだ。


会社員なら分かるだろうが、事業計画を立てる時、トップマネージメントが戦略を示し、
実務者のである社員が戦術と実務を担う。
また戦略には会社の主たる方針が示され、極論それ以外に時間と資本とエネルギーを配分するなという事だ。

政治の場合、利益追求をする訳ではないので会社の論理と全く同じ訳ではないが、
事に対処するという意味で優先順位を必要とする部分はある。

全てを等間隔でやると非効率だからだ。


上記のようにまず日本政府が優先してやるべきことは「国内経済の安定と安全保障」だ。
その上で他の政策等に手を伸ばす感じだろう。


私は安倍首相に対して特別に好きキライは無いが、少なくともこれまでの経済政策においては評価すべき点が多いと感じている。
外交について対米追従を批判する人が多いが、戦争に負けた日本の歴史を鑑みて
一番戦争していはいけないアメリカとの距離感に敏感でない政治家は日本を危うくするだけだ。
石原慎太郎氏は、「日本はアメリカの妾」と言い放ち、実際それは悲しいほどの事実だが、
それでもアメリカと事を構えるのは安全保障上不利だ。
それでも独立国としての矜持は見せて欲しいと願うが、そこに力点を置き過ぎると違う意味での国益を損なうのが現実であり、非常に歯がゆく難しい。


さて、経済面の成果だが、
まず、失業率は下がった。もはや下限値と言ってもいいくらいだ。従って2010年以降の自殺者は8000人近く減っている。
「従って」と言っているのは自殺者数と失業率には相関関係があるためだ。これは多くの経済学者が同意するだろう。株価は政権発足当時と比較して2.5倍近い。株価が上がった要因は日銀の金融緩和と言ってもいい。

そしてその緩和政策は政府と一体的にやったためだ。
福井俊彦、白川方明氏のように引き締め一辺倒が長いデフレの原因の1つであることは疑いの余地がないが、20年の長きに渡り庶民も企業もこれに苦しめられたのだ。


しかしデフレ状況はまだ完全に脱したと言えない。インフレ率は実質0.5%程度らしいので全く合格点ではないが、少なくとも10~5年前のデフレと比較したら改善傾向にあると言っていいだろう。

非常に個人的感覚の意見だが、金融緩和に対してインフレ率が上がらない最大の理由は非正規雇用者の増大と将来不安だと思っている。非正規雇用者の増大には小泉政権下の責任が重いと思っている。また公共事業を大幅に縮小したのはまずかった。

自分を振り返っても30代~40代が一番年収が上がる時期で、一番金を使いやすい。
その時期に非正規雇用者の年収は上がりにくく、また将来が見えにくい。
そうなれば当然金を使わないだろうし、使いにくいだろう。
またこうした傾向は正社員にも波及していると思う。将来が不安だから貯蓄に走る。
結婚もしないから消費への影響が大きい。結婚式をしない、車を買わない、家を建てない、故に家財道具も買わない。
大きな買い物をしない層が増えた事は経済面に与える影響は大きいだろう。
アベノミクスの効果に疑問を投げかける人達はこの辺りへの回答がないという点については
同意できる部分があるが、これは安倍政権だけの問題ではなく、
その前の政権からも続いていた問題だ。

同一労働、同一賃金問題があるが、私個人は、非正規労働者の規制改革を以前ような一部の職種に戻すべきだと思う。
非正規労働者はあくまでも例外とし、正社員労働を標準とし、その上で、働く側に選択枝を与えるような政策にした方が良くないだろうか?
同一労働、同一賃金問題の究極は、非正規労働者=正社員労働者だからだ。
この点において小泉政権下の規制緩和は誤りだったと思っている。


そういえば、黒田総裁の金融緩和やマイナス金利でハイパーインフレ懸念を声高に発していた政治家や経済学者が多数いたが、まだ0.5%程度なのにハイパーインフレ(1億%以上)になる訳がないのは議論の余地がない。
日銀による国債の買い入れを問題視する人たちがいるのは事実だが、現状長期国債の利率は2%に達していない。少なくともマーケットは日銀による国債の買い入れを全く問題視してないと見るべきだろう。

賃金上昇についてはまだ改善の余地があるが、現在の景況や人手不足を見れば下がる事はないだろう。
失業率の下落を団塊世代の離脱を理由にする経済学者もいるようだが、
過去のデータで見ると、どの時代でも同じ程度の数値で離脱者がおり、
失業率の低迷は政策にあるというのがフェアーだろう。


日本経済新聞の子会社であるフィナンシャルタイムは昨年末に何度かアベノミスクに触れ、
経済政策の成果を評価していたが、本家の日本経済新聞にその記事がそうした趣旨で載る事はなかった。

もちろんアベノミスク(リフレ派主導経済政策)に反対意見を述べる様々な人たちがいるし、
その中の意見には考えるべき課題があるのも事実だ。

しかし反リフレ派が長年やってきた、緊縮財政、消費税増税、金融引き締めによる経済効果はどうだったのか?
長い低迷とデフレ不況を生みんだ。
企業業績は先が見えずモノが売れないため賃金が下がり、非正規社員を数多く生み、新卒者の就職に多大な影響が出た。アベノミスクは完全ではないし、課題も多い。

しかし前述した点においては前の政権よりも確実な成果を上げている。

会社的に言えば、売上と利益が伸び、事業の低迷期を終え、リストラが無くなった感じだろう。
こういう経営者普通キチンと評価される。

そういう意味において、安倍政権の経済政策は評価されるべき部分があると言うのがフェアーというものだ。


さて森本問題、加計問題に文書き換えや文書隠匿で本筋の政治が全く出来ない状態だ。

まあ正直言うと森本問題は佐川元局長が答弁前に確認すべき書類を確認せずに国会で「価格交渉がない」と発言した事の辻褄を合わせるために文書改竄を行っただけだと思っている。非常にレベルの低い話だ。トップ官僚にしては仕事が出来なかったという事だろう。
従って事の本質は、事務方の業務瑕疵であり、政権運営の本質とは直接関係ない問題だ。
それでも管轄大臣は責任があるので、内容に準じた処置をすればいいのだろう。

加計にしても近畿財務局の官僚がヘマをしただけだと分析している。
それ以上それ以下でもない。
計量経済学者の高橋洋一氏が言うように、元々曰くつきの土地だったのに、
最初から入札にすべき案件を随意にしたのが間違いだったということだ。
おまけに籠池夫婦というキャラの濃い人に役人が翻弄されたということもあったろうし、安倍夫人も余分な事を言ったりしてしまったのでマスコミの餌食になった。
籠池夫婦の長期拘留に人権問題を言う人々もいるが、ホリエモン、佐藤優に限らず警察や官僚組織に対して
無用にたてつくとこういう目に合うのは歴史が証明している。

不法な長期拘留には大反対だが、法律ギリギリで運用されたら手も足も出ないのが現実だ。
当事者からすればたまったものではないが、そういう事は生きる上で理解しておくべきだろう。

官僚側のミスは、隣の土地を買った豊中市の例や当該土地の元々の歴史や地元に関する情報を
当時の担当官僚が把握していなかっただろうという高橋氏の推定は非常に納得感がある。
またマスコミ報道は加計学園の申請と認可を区別せずに論議しているが、特区としての役割は「申請」だけであり、「認可」は文科省の官僚が組織する別の部隊が管轄しており、ここには政治家が入れる余地がない。審議過程の議事録も公開されている。加計理事長は総理の友人だから怪しい、だから審議にも影響を及ぼしだに違いないというのは邪推が過ぎる。事実として分かっているのは「加計理事長は総理の友人」という点と特区によって50年間門前払いされていた「申請」をすることができるようになったという点だ。


こうした情報の発信現のほとんどはラジオやネットが中心でテレビや新聞ではほとほと薄い。
ラジオに関して言えば、放送局によって偏りがある点が仕方ないが、数局を聴いていればかなり広い幅で同じ問題の見方に接する事が可能になる。ラジオはテレビよりも1つの問題への対応時間が長い。
そうした情報を元にしてネット上で似たような情報へアクセスすれば、一定程度極端な論調から距離を置く事が可能になる。

詰まるところは、信頼できる情報を運んでくれる人は誰なのか?ということになる。そういう人物を見抜いて行けばかなり全体像が大手メディアと違う事も理解できるようになるのだ。


さて文書き換え問題にしても大きく言えば政権に責任の一端はあるだろうが(つまり上部組織の監督者としての責任)、現場の連中の文書のやり取りまで全ての過程に関与している訳ではないのは、それなりの組織で仕事をした人間なら想像が付くだろうから、一義的には管理職の連中に責任がある。

時間の幅を拡げてみれば、民主党政権下においてもこうした問題があっただろうことは想像つく訳で、当時の民主党の大臣連中が現在の政権に言っているように全てを把握してやっていたのか?は言うまでもないだろう。


決裁文書等への署名についても麻生財務大臣の言う事が実務上の事実で、野党の連中がそれを攻め立てるなら、
彼らも決裁文書を全て完全に把握して署名捺印しているはずだが、そんなヤツは会社でもなかなか見た事はない。

一部上場の社長が、自分の名前入りの契約書や決裁書を現場と同じ情報量で把握していたら仕事が回らない。
ポイントだけの把握で仕事を回せるから重要役職者は他の重要な仕事に時間を回せるのだ。
当然政治の世界も同様で、事務方がキチンとやるから政治が回せるのは道理だろう。
従って事務方に不備があると今回のようになる。
野党のこの点での追及は正論と言えども現実的ではない。

そもそも大組織というのは管理者が事務一般を全てやらないようにできている。


それにしても財務次官のセクハラ問題はタイミングもやっていることも対応もまずかった。
セクハラ問題は決して軽い問題ではないが、北朝鮮問題、外交、経済問題など様々な問題・課題をクリアーしなければならない中で、こうした問題の発生は事務方のトップとしては絶対に避けるべきことだったとだけは言っておこう。そのために財務省は東大法学部卒を採用しているのだろうが、今回の事で偏差値と性癖には関連性がないと分った。


安倍政権がここまで様々な問題に見舞われているのは先に書いた憲法改正に反対の勢力か消費税を確実に上げたい財務省だと思うのだが、財務省はトップの辞任問題もあるから、どうやら憲法改正に反対の勢力が工作しているという方に説得力があるようだ。しかし確証はない。

過去の事例を見ても大抵の場合、マスコミが煽る方向の反対側に真実が隠れている場合が多い。


ここからが本論だ。

この先、安倍政権がどのような対応するかとマスコミの空気の作り方によって日本国民の未来に相当が影響が起こる。端的に言えば、岸田文雄氏、石破茂氏、はたまた野田聖子氏、小泉進次郎氏辺りがポスト安倍として

名前が出ているが、いずれが総裁、首相になっても2年以内に日本の株価は大幅に下がり、デフレに戻り、消費税増税、金融、財政の引き締めの影響で不況に戻るだろう。

失業率は4%を超える域に上昇し、当然自殺者も増え、新卒者は氷河期を迎える。人々は貯蓄に走り更にモノが売れなくなり、企業業績は悪化し、給与が下がり、場合によってはリストラだ。
仮にそれが2020年の五輪後の経済低迷に重なれば相当なダメージがあるだろう。


さて、特に今の大学1年、2年生にこれを伝えたら彼らはなんというだろう?
安倍政権に問題があるのは分かったが、首相を交代してもいいが経済運営は継続してくれ、だろう。
もしくは安倍政権にそのままやって欲しいと言うだろう。

数年以内にこうした経済状況になる理由は簡単で、上記首相候補者の全員が反リフレ派だからだ。
人によってはアベノミクスを急激にシフトチェンジしないと語る人もいるが、
マーケットは反アベノミクス派だというだけで将来を悲観しそれが市場に数値として織り込まれ現れる。

現在の安倍政権のバタバタさ加減はちょっと見ていて酷すぎると思っている。
数々のスキャンダルについては、メディアの印象報道や化粧の厚い情報操作もあり、
全てが世間で言われているような感じだと思っていないが、それでもこれだけ色々と出てしまうと印象が悪い。

今の私の関心事は、安倍さんは9月の総裁選挙前に解散総選挙をやるかどうか?という事だ。

支持率が余りにも低いので自民公明での過半数へのリスクは高いし、自民党の政治家諸氏からも文句が出る恐れがあるが、一旦解散して少なくとも民意を問い直すという方法でリセットを掛けた方が良いのではないか?と考えるのではないだろうか?
「森加計福田」「文書問題」と様々な課題の多い政権だが、国会がエネルギーを注ぐべき部分を整理した方がいいだろう。

それはすなわち野党側にも重い責任がある。

今の野党の状態で連立過半数なんて維持できるはずもない。
希望の党と民進党が合併なんて話もあるが、つい昨年分裂したばかりじゃないか。
バカも休み休み言えって感じだ。だからあの連中は信用されない。
立憲ははなから政権を取る立場を放棄し、ヤジを飛ばしているだけの集団だ。
責任のある政党を自認するなら、政権を取った時にどういう政策を実現して行くのかを示すのが礼儀だろう。

チャンスがあるとすれば、原発問題と再生エネルギー問題だが、国民がそこには注目していないのがつらい。
(そういえば、河野外務大臣が一度だけ中国の再生エネルギーへの対応を見て日本の状態が危機的と発言したが、その後報道からは消されてしまった。多分、東京電力辺りから圧力があったのかもしれない。
そういう意味で野党にもチャンスがない訳じゃない。)
いっそ小泉さんがどこかの野党統一政党の党首になって、なかなかまとまらない野党の連中を引っ張れば
勝てる可能性だってあるのだが、野党には小泉さんのような人材がいないのが勝てない最大の理由だろう。
希望の党の時は民進党の腰の据わらない目先の議席が欲しい連中が小池さんに託したが大失敗。
野党の最大の問題は、リーダーと目される人材が全く見当たらないことだろう。

だから仮に夏前までに総選挙をやったら自民党が過半数を維持するだろうと思う。

野党には申し訳ないが、小選挙区制は少数政党や分裂した野党諸党には余りにも分が悪すぎる。
毎回投票先を迷う私のような人間にとって、共感する野党があったとしても入れたい人が自分の選挙区にいないなんていう経験をした人は多いだろう。

どうでもいい人に入れて死に票になる位なら選挙に行くのを止めようと思うかもしれない。
そしてそれは結果的に自民党を利する。欠席は現状維持の表れだからだ。

野党結集は自明の理なのだが、野党の残念な部分は優先すべき課題に対して一枚岩になろうとしない愚かさだろう。
「政治は数だ」と言ったのは現在野党議員の小沢一郎氏だが、少なくとも野党結集をする意味では正しい理屈だ。
数が集まらなくてどうやって自民党と公明党の連立を崩せるというのだ。木を見て森を見ずの典型だ。

残念ながらというと変だが、自民党の凄さはオールインワン政党だという点だ。
右から左までずらりといて、それぞれが丁々発止しているが、
ある一定のルール下で決まった点については大人の対応をする。
それは自民党という政党にいることのメリットが物凄いインセンティブになっているからだ。
だからあの辺の安定感は捨てがたい。

我々には今でも民主党時代の物凄いトラウマがある。
そのトラウマは、結局左派系政党には政府の舵を任せる事が出来ないと身に染みてしまった事だ。
左派系政党にも非常に優秀な議員が多いと思っているが、
いかんせん自己主張が強くチームプレイをする際に能力が劣る。
また菅政権にしろ鳩山政権にしろ、巨大組織運営の経験のない人たちが
突然ジャンボジェットのコクピットに座ってしまい、
どのボタンを押したら飛行機が動くのか分からなかったといった感じだ。
そういう意味で3.11の震災はそれらを恐ろしいほどに増幅させてしまった。

民主党時代、一旦内部で対立があると全体に亀裂が走ってしまい崩壊が止まらない。
個々の理屈にエネルギーを注ぎ、大儀を忘れてしまう。
そういう事実を目の当たりしまったことは大きい。

じゃあ今の自民は民主党のそれより上なのか下なのかという議論はあるが、
少なくとも今の自民党政権は、外交的、経済的には圧倒的に上だろう。
政治家の人材が限られている中で選択しなければならないとすれば、
今の政権を放棄するのは国益に叶わないと思う。
政権を細かく交代すると外交的に不利であり、経済的には前述した通りだ。

モリカケ問題も1年以上やっている。
政治家の不正行為があった確定的な証拠は見当たらない。
愛媛県前知事が言うようにもともと加計ありき進んでいたのは議論の余地がない。
理由はシンプルで加計だけが唯一手を挙げていたからだ。
文科省が長年に渡って獣医学部設置のエントリーを門前払いしていた事は本来的には法律違反行為だ。
この点についてマスメディアは全くと言っていいほど取り上げず、
前川氏という元の事務次官を悲劇のヒーローにして安倍首相に瑕疵があるように印象操作をしているが、
これはさすがにやり過ぎだろう。

確かに加計氏と安倍首相の人間関係から何等かの優位な計らいがあったかもしれないという
想像力を逞しくする蓋然性があり、そう見たい気持ちも分からないでもないが、
本件は政治家が認可に関与できる部分が全くない事例であり、
無関係な事象を結び付けてさも本当であるかのような
フェイクストートーの挙証を求めるのは酷じゃないだろうか?


さて仮に自民が勝ってしまった場合、現行制度では民意があったと言える訳で、
そうなれば9月の総裁選挙は免除になるだろう。
私は安倍政権に全面的賛成をしている訳じゃないが、
少なくとも多くの日本国民は現在の経済効果を捨てられるほど勇気はないだろうというのが私の印象だ。

以下のアンケートは1つの事実だが、これをどう読み解くか?
少なくとも共同通信の世論調査とはちょっと数値感が違うのは気になる。


ニコニコアンケート:月例ネット世論調査2018年4月
https://enquete.nicovideo.jp/result/128


政権交代をして起こるだろう経済の混乱を本気で避けたいのなら
安倍政権が継続するのが経済、外交的には国益に叶うと思っている。
そんな訳があるはずないという方も多いだろうが、自民党でも少数派の左前の経済政策を取っている安倍政権であり、本来はリベラル野党が応援すべき政策だと言えるのだ。

私はただ、現状の経済政策を現状データから評価をしており、日本国民として何が国益化をキチンと考えた方がいいだろうという事を言いたいだけだ。


野党の諸君も、本気で政権を狙って自分たちの政策に反映させたいのなら、自民を凌ぐ人材をリーダーにして結集すべきだろう。そうでなければ、永遠に「言うだけ番長」だと揶揄されるばかりに立場になるだろう。


追伸:

福田淳一事務次官のセクハラ問題で、テレビ朝日の小松アナが自分の所属する
テレビ朝日に対して批判をした件について、その勇気を讃えたい。
報道関係者としては当たり前の行動だが、会社人としてはかなり勇気を必要とする。

テレビ朝日がこの件で小松アナに人事制裁を加えない、肝っ玉の広い所を見せれば
格が上がるだろう。

残念だったのは、「報道ステーション」の後藤謙次氏の発言。

「テレビ朝日、最初女性記者から相談を受けた時の対応は大いに反省して貰いたい。
ただ今回、記者会見して事実を公表した、これはぎりぎりセーフ。
テープ提供した事で職業倫理を問われていると言う声があるが、私はそうは思わない」。
つまり「今回(テレ朝が)記者会見をして事実を公表」「彼女の意をくんだテレビ朝日側の対応」をギリギリセーフとまとめたのだ。

テレ朝が記者会見したのは新潮の雑誌報道や世論に押されて止む無くやったことだ。
自主的判断ではない。まずその点が問題だ。

また女性記者の取材の在り方、記者の上司がセクハラの訴えに耳を傾けなかった事実、テープ提供した事で職業倫理など問題だらけだが、後藤謙次氏はセーフをまとめた。
これらは小松アナとは違う見解だったようだ。
色々な意見があってもいいだろうが、今後「報道ステーション」を見るのは止めにすることに決めた。こんな人材で報道されても信用できないだろう。
だが小松アナには注目して行こう。





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大きなお世話だと理解しているがオフィス北野・森社長の適正報酬額とは? [独り言]

大きなお世話だと理解しているがオフィス北野・森社長の適正報酬額とは?


オフィス北野の騒動もやっと沈静化してきた。



オフィス北野・森社長、自らの報酬既に大幅減額 軍団ととも新体制で立て直しへ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180409-00000241-sph-ent


経緯については以下のまとめサイトが詳しい。
http://clippy.red/entertainment20180405-2/



今回、軍団諸氏のSNS上の書き込みや発言でオフィス北野の経営状況が露出してしまった。
大物タレントさんのいる事務所としては異例の事態だ。


■ダンカンさん公表による「オフィス北野」の業績:

ダンカンさんによると売上の8割はたけしさんだそうです。

2012年 売上24億4500万円 利益2800万円
2013年 売上23億6100万円 利益9600万円
2014年 売上24億2300万円 利益4900万円
2015年 売上24億4500万円 利益5600万円
2016年 売上25億9300万円 利益1億1700万円
2017年 売上約24億円 マイナス500万円の赤字


上記の利益とあるのは営業利益の事だろう。
2012年度から2016年度までの5期は黒字、2017年度には僅かに赤字だ。


いずれにしてもオフィス北野の企業規模は24~25億円で、営業利益率は1%~5%程度となり、
企業としての利益率は決して高いとは言えない。
さてこの規模の企業のトップ経営者の報酬額はどの程度が適切なのだろうか?

今回の騒動で森社長の報酬が1億円に近いと暴露された。事実かは分からない。
ただ近い関係者の情報としてこの金額を参照するしかない。

さて、果たして彼が受け取っていたこの報酬は、
この会社の規模として適切だったのかを検証してみたい。

大きなお世話だと思っているが、頭の体操としてやってみた。


まず、比較対象がないと適正かが分からない。
そこで一部上場企業の経営者(代表取締役社長)で1億円以上を受け取っている企業のリストは以下にある。


なお、1億円周辺というレベルになると上場企業の500位程度のランクになるようだ。
さてこれらの企業の経営規模はおおざっぱに拾うと以下のようなものだ。


アシックス:売上4,000億円(連結) 営業利益195億円。
マブチモーター:売上1,469億円 営業利益240億円。
ライオン:売上4,100億円(連結) 営業利益270億円。
カルビー:売上2,520億円(連結) 営業利益288億円。
ミクシィ:売上2,007億円(連結) 営業利益89億円。



上記を見ても判るように、一部上場企業の経営者(代表取締役社長)で1億円程度を受け取っている人たちは
例外なく売上が1,000億円以上(連結)の規模があり、50億円以上の営業利益を出している。
実際、私がかつて所属していた企業は、売上1,000億円で営業利益が100億円程度だったが、
社長の報酬は1億円には遥かに届かないと理解している。


さてこれらと比較して24~25億円の企業の社長が1億円近い報酬を取っているのはどのように映るのか?


上場企業と違い、個人商店のような会社の場合、特に経営層の報酬制度は恣意的になりやすい。
上場企業の場合は、外部取締役を入れての報酬委員会があり、一定の範囲で管理されているが、
芸能界の事務所の場合の多くは非上場企業であり、報酬ルールの規定が曖昧になりやすい。
それでも株主はいるため、本来は株主総会を開催して議決するべき内容だ。

これはあくまでも個人的な意見だが、「オフィス北野」の業績を鑑みた場合、社長の報酬として適切だと思われるのはかなり上限値としてみても年収1,000~2,000万円程度だろう。
また2017年度がマイナス500万円になっているが、経営陣が一部報酬を返上すれば会社を赤字にするこはなかったのは明らかだ。

会社に赤字があると資金調達が困難になりやすい。それでも法人税を考えて赤字にしてしまう中小企業があるが、大抵の場合家族経営のような場合が多い。

通常会社を赤字にすることは経営者としての能力に疑念を持たれる端緒になるが、
500万円程度なら経営努力でいかようにもなる数字だ。
オフィス北野の社長が1億円近いということは副社長、専務クラスは数千万以上と推定でき、
報酬総額が営業利益を大幅に上回る事になりちょっと適切とは言い難いだろう。

また経費も比較的自由に使える立場であるだろうと推定され、
そうした金額を含めるとかなりの額を裁量できたと考えられる。
500万円程度の赤字なら資産売却や報酬カットで対応できそうだが、
それらをしなかったのだろうか?


週刊新潮には森社長の以下のようなコメントが掲載されていた。

「きっかけは、1994年にたけしさんが起こしたバイク事故。
『この業界はいつ何が起こるか分からない』という教訓を得た。
その思いから払えるときに払っておかないと、いつ従業員に十分な手当をしてあげられなくなるかわからない。
したがって経営が上手くいき黒字が出ているときはなるべく従業員への
給与・賞与を多くしそれが従業員のモチベーションにも繋がるし、ひいてはいい人材を集めることにもなると考えた」



なるほどと思わせる内容だ。

これを読むだけで感じるのは森社長には従業員思いの優しさがあるという事だ。
しかし違う言い方をすれば、『この業界はいつ何が起こるか分からない』ということなら、
会社を永続的にさせるため、経営者として何をすべきだったかについても思慮が必要だったという事だろう。
残念ながらオフィス北野は北野さん以外に大玉のタレントがいない。

ひょっとしたら森社長は北野さんの一代限りの事務所と割り切っていた部分があったかもしれない。

北野さんという希代に才能が君臨する事務所であるため、
北野さん抜きで新しいタレントを育成し難かったのかもしれない推察はできる。
それでも従業員や所属タレントの未来・将来を見据えるなら、新しいタレントの育成や新しいビジネスの構築が
必要だったかもしれないと思うし、北野さんのいない時代への準備も必要だったかもしれない。
いずれにも経営者の仕事である。



業態は違うが、ソニーと比較してみよう。
2017年度の営業利益は約6,500億円(予想)で、社長の報酬は5~7億円程度だとされる。
営業利益に対する社長報酬率は、0.001%程度だ。
(企業規模が一定以上に大きいと利益と報酬の比率が極小的に変動する事実があることは記しておく)

ちょっと乱暴な計算方法だがこれをオフィス北野に対してそのまま当てはめてみると、2016年度でも117万円ということになる。
ミクシィと比較してみても140万円程度しかない。
単純な数値比較の計算からだとこういうことになる。

つまり事業規模がないと高額報酬は経営に相当な負荷をかけてしまうということを理解して欲しいのだ。
役員報酬を含めた人件費の比率のあるべき料率は事業規模に関わらずある程度の範囲が決まっている。

たけしさんが辞める前の段階においてこれが経営上、適切な範疇だったかは検証しておいた方がいいだろう。
(誠にお節介な話だというのは理解して書いております)


さて、私の知り合いの会社を例の取って比較してみよう。
彼の会社はオフィス北野と殆ど同規模売上と利益で経営をしているのだが、
友人である社長の報酬額は約1,000万円だ。
1例だけでは全てを語れないが、つまりこれがこの規模の経営者の市場価値と言えるのだろうと思う。

従って前述した年収1~2,000万円を報酬として得るためには現在よりも
大きな利益を会社に残す経営が求められるというのは想像に難くないのはお分かりだろう。


上場企業であれば本部長クラスで年収2,000万円はいるが、そのクラスになると部門だけで50~100億円以上を売上、営業利益も数億~10億円単位をたたき出すレベルだ。

従ってこれまでの森社長の1億円近い報酬が事実ならば、明らかに企業経営の規模に対して
かなり大きすぎると結論付けるしかないだろうと思う。


今後たけしさん抜きで、タレント数も減った会社での経営となれば、売上、利益共に激減することは想像に難くない。
仮に売上3億円、営業利益3,000万円程度だとすれば社長報酬の上限は700万円~1,000万円程度が妥当と言っていい。
芸能界の社長は激務なので少ないとも言えるが、報酬金額を上げるには経営の規模を拡大するしかないのは世界中同じだろう。


通常経営者は利益に対して報酬が設定されるのが一般的だ。

従って報酬のベースラインを決め、利益と報酬を連動させる設計をしておけば、
経営者としてもインセンティブが働くということになる。
たけしさんの離脱は経営的には大きな危機だが、これを期に新たな体制で会社を作り直すという事も可能であり、是非挑戦して成功をして欲しいと感じている。


今回の騒動の情報を見て、ふとそんな事を思った次第だ。



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音楽著作権侵害裁判で活躍する「音楽分析官」とは? [独り言]

 

以下は、ネット版ローリングストーンズ誌の記事の一部を翻訳したものだ。

 

本来は記事の翻訳行為は翻案権を必要とするが、一定範囲内の引用をした上で評論すれば著作権法上の問題ないのでその体裁で本記事を書く。

 

元の英語の記事:

https://www.rollingstone.com/music/features/music-copyright-after-blurred-lines-experts-speak-out-w518206



ここに記載されている内容の概要については、日本でも報道されているが、その詳細な中身までを解説した記事は見当たらない。なのでここで書いてみようと思った。

この裁判は今後の作曲家や作詞家に少なくないだろう影響を与えるだろうし、特に日本の作品がアメリカ側の視点で引っかかったら相当な損害になる事は火を見るよりも明らかだ。実際日本のヒット曲のネタ元はアメリカの作品が多いからだ。
そういう意味に日本の音楽業界人は注意すべき内容だと思う。

 

まず本記事の趣旨は、①"Blurred Lines"という楽曲に対してMarvin Gayeの遺族が著作権侵害で訴えた事、②音楽分析学という職種がクローズアップされたこと、③更に著作権侵害には「曲の雰囲気」や「イメージ」が含まれるという驚愕の判決が下った3点だ。



(記事引用)

2015年3月、陪審員らはRobin Thicke, Pharrell WilliamClifford "T.I." Harrisらに対して彼らが作曲したという"Blurred Lines"Marvin Gayeの古典的名曲"Got to Give It Up,"の著作権を侵害したと評決を出し、Marvin Gaye側は、数億円の富を得ることになった。しかし、音楽業界関係者によれば、"Blurred Lines"の3月の上訴審での判決は、音楽分析学(forensic musicology)という小さな分野で働いている人々のより大きな影響を与えるだろうと言っている。

この論争が始まって以来、人々はforensic musicologist(音楽分析官)という仕事が一体何であるのかを知りたがっていたと、20年に渡ってこの分野で働き"Blurred Lines" の事件でも専門家の一人として携わり、Sandy Wilburは語る。

「この2年間は私にとって一番忙しい時期だったよ」。

 

彼を忙しくしていたのは、"Blurred Lines"のように明確な著作権違反がメディアに煽られたことによるものであったことは疑いの余地がない。
イギリスのロックバンドであるLed Zeppelinの“天国への階段”のように音楽分析官の助けによって著作権裁判に勝って逃げ切ったようなケースもあった。

しかし、、"Blurred Lines"の評決は、音楽業界に対して創造と模倣の線引きがどこにあるのかについて非常に大きな不確実性をもたらしたといえる。

また法廷弁護士や音楽分析官もどきの連中たちは、こうした流れを新しいビジネスに変えようとしていた。

 

記事はMarvin Gayeの遺族がRobin Thicke, Pharrell WilliamClifford "T.I." Harrisらに対して彼らが作曲したという"Blurred Lines"Gayeの楽曲の著作権侵害をしていると訴え裁判に勝ったというものだ。

ここで現れたのが聴きなれない業務をしている人間だ。英語ではforensic musicologistと書いてある。Forensicとは鑑識を指し、musicologistとは音楽分析をしている人のことだ。そのため私は音楽分析官と訳しておいた。日本には公式には存在しない職業で、私もこの記事で初めて知った職業だ。

 

音楽分析官についての記事(英語):

https://www.theguardian.com/money/2015/jan/20/how-become-forensic-musicologist

 

上記の記事を要約引用すると、音楽分析官とは、作家や音楽出版社への楽曲に関するアドバイス、また著作権裁判になどにおいては対立する楽曲を分析し、類似や相違を科学的、音楽的に行いコンサルタントを行うのが仕事だ。過去から現代に至るまでの幅広い音楽知識や広範な教養を必要とするとのことだ。


さて本編の記事を読むと分るが、今回の分析には驚くべき内容があった。

 

(記事抜粋引用)

'Blurred Lines'の判決以降、弁護士のクライアント(ミュージシャンたち)から“(自分の)この曲はあの曲に似ていると思うがどうか?”という電話が増え始めたとL.Aでエンタテイメント専門の弁護士としてDanger Mouse Public EnemyChuck Dら の著作権関係のクライアントを務めているKenneth Freundlichは語っている。

この事件がキッカケで、音楽分析系の仕事が激増したよ。

 

イギリスにあるボストンバークレー音楽院のJoe Bennettの説明によれば、表面的に言えば音楽分析官の仕事は2つの曲を具体的に比較する事が仕事で、第一に、“客観的な類似性”、第二に著作が持つ“雰囲気の類推“を行うことだ。

音楽著作権に関する訴えがあった場合、原告被告の双方は普通音楽分析官に電話をし、問題の2作品を分析し、歌詞、メロディーやリズム、アレンジや演奏、コード進行やハーモニーに至るまでの詳細を調べる。もし不明瞭な疑義が生じれば、スペクトラム分析を実施してデジタルの指紋ともいうべき2曲の波形を見て解明を試みる。

 

音楽分析官の仕事とは、原曲と新しい曲をあらゆる部分(メロディー、歌詞、リズム、コード進行、雰囲気)で比較して類似性を探し出すことだという。また不明瞭な部分は波形を使った比較を行うという。こうした仕事には専門的な音楽素養が必要であるという。

さて、実際に裁判ではどのような分析になったかが興味深い。

 

(記事抜粋引用)

実際"Blurred Lines"のケースでは予想外の展開があった。
音楽業界の専門家によれば、陪審員は、2曲の間の二次的な類似性を根拠に、通常の法律上保護されている歌詞やメロディーやその他の要素ではなく「ノリ」と「感じ方」を法律的に認めたかのように(判決を)行ったと語る。

 

"Blurred Lines"の被告側の証言をしたWilburは、'Got to Give It Up'のどのパートと比較しても2音連続で同じ音符は無かったと語った。

上訴審においては2対1で、3人の裁判官のうち1人は我々の主張に完全に同意してくれた。彼女は私と同じように、この判決によって「ノリ」と「感じ方」が著作権侵害の要素になってしまうことに恐れを抱いていた。

 

ここで問題になっているのが、科学的に定量的に推し量れる証拠ではなく、定性的で感覚的な部分が証拠に採用され判決が下された点だ。これは日本の著作権訴訟における判決とは異なる部分だ。

日本において有名な裁判は「記念樹裁判」だ。

「どこまでも行こう」という楽曲の後発となった「記念樹」という楽曲がどこまでオリジナルでどこまでが著作権侵害なのかを争ったものだ。この裁判の記録を読むとかなり科学的に煮詰めた領域に限って検討されており、両曲の音符の類似性を数値化して判断している。
従ってアメリカのように「ノリ」と「感じ方」は証拠として一切採用していない。
日本での裁判は「記念樹」に剽窃を認め、原告の「どこまでも行こう」が勝っている。

アメリカの判決のように「ノリ」と「感じ方」が著作権侵害の要素とするならば、リズム構成、テンポ、楽器の使い方などを分析すれば説明できる。何となく似ているではなく、ここは似ている、ここは似ていないを裁くのが裁判ではないのだろうか?と思うが、アメリカは陪審員が評決を出すのでどうしてもそうなるのだろう。

さてアメリカの裁判に関わった関係者の一人はこう語っている。

「私はアーティストは賞賛に値すると思っています。ですから彼らと同じような感覚やスタイルを踏襲したいと思うでしょう」

しかし彼はこのように付け加えた。

「そのことで私は訴えられるのでしょうかね?」

 

この人物の言いたい事は誰の影響も受けずノリや雰囲気も全くオリジナルの音楽以外は存在できないという意味なのか?という事だ。


 

(引用記事)

不確実性のためにアーティストたちやレコードレーベルは作品をリリースする前に著作権侵害のリスクの可能性について、これまでになく作品の鑑定を強化する必要性に迫られている。

'Blurred Lines,のケース以降、やり方が全く変わってしまった。レーベルの側が自分たちで楽曲の鑑定が出来ないようば場合、私に依頼するケースが増加している」とWilburはいう。

「楽曲が発売される前の段階で、その楽曲が他の曲と似ていないと証明することを求められるのさ。レーベルの連中は相当慎重になっているよ」と付け加えた。

"Blurred Lines,"以前は、発売前の楽曲のリスク評価などという事は聞いたこともなかった。だが、レーベルや映画スタジオで働く音楽分析官たちにしてみれば、以前に比べて格段に神経質になっており注意を払っているという。

「音楽分析官が分析に関わる前に、法的な問題がありそうな楽曲は、実際に対応可能な反論や問題があるかどうかが分かります。 今のところ非常に曖昧さが多いのです。コード進行に似た点はないが、他の曲と雰囲気が似ているような場合、(曲の雰囲気を)変える選択をした方が無難ということになるのです。」

 

判決が混乱を与えているのは明らかに定量的ではない部分が違反だと言われているからだ。ノリや雰囲気が著作権侵害であると言われれば、ロックンロールやブルース、ジャズなどの定型化されたジャンル音楽は全て著作権違反という事になりかねない。そういう意味でこの判決が今後著作権侵害のスタンダードになるのかは微妙だ。

Gayeの裁判では遺族側が勝訴をしたが、だからと言ってGayeの音楽が全く過去の作品やアーティストから何の影響も受けずに全てがオリジナルだった訳ではない。極論すればJAZZやリズムアンドブルース以降の音楽の全ては何等かの意味で過去の作品やミュージシャンの影響の上に成り立っている。
実際完全なオリジナル作品の方が皆無と言っていいだろう。それでも影響下の中に個々人のオリジナリティーを発揮し、ポピュラーミュージックは成立しているし、適度な影響であれば問題ないとしてきている。

そういう意味で記事の最後の言葉が一番腑に落ちるという感じがした。

 

もし'Blurred Lines'の裁判が正当化されたとすれば、ほとんど全ての楽曲に対して訴訟が起こるだろう。つまり全ての楽曲は他の楽曲と繋がりがあるからだ。だって我々は皆、過去の音楽に影響を受けているからね。

 

この文章の言う通りだと思う。

人間が通常で歌える音域は2オクターブもない。つまり鍵盤24個分にも満たない中での順列組み合わせがメロディーの持つ数的な限界だ。その中で人間が良いメロディーと感じる音符の組み合わせ数は更に限られてくる。
全世界に数十億人がおり1950年代以降のポップミュージックの隆盛から約60年を経て似たようなメロディーに全く出会わない確率の方が数学的にあり得ないだろう。その限られたパターンの中で人間的なオリジナリティーがせめぎ合う。ミュージシャンは音楽の可能性は無限というが、表現的な可能性はともかく、音符の順列組み合わせには自ずと数学的限界があるのは自明の理だ。

楽曲の著作権侵害は剽窃の度合いの認定が難しい分野だが、結局は定量的な見地で判断するしかないだろう。
前述したように定性的(ノリや雰囲気)を主眼にすれば、JAZZやリズムアンドブルース、ロックンロールなんて全て著作権侵害になってしまう。Chuck Berryの"Roll Over Beethoven"とThe Beatlesの”I'll saw her standing there”を比較してThe Beatlesが著作権侵害をしているかを考えてみればそのおかしさが分かるだろう。

"Blurred Lines
“を聴いてみたが"Got to Give It Up,"を下敷きにしたのは確かだろう。あれを完全な新作でオリジナルだというのは確かに言い過ぎだと思う。

しかし何をもってオリジナルと言えばいいのか難しい。先のChuck BerryとThe Beatleだけを見ても楽曲だけにフォーカスを与えれば、この世のほとんどの楽曲が孫、ひ孫のようなものだからだ。Marvin Gayeにしても過去の作品や音楽の歴史に支えられて上で音楽を構築していた部分があるだろう。Marvin Gayeの全ての作品が全く過去の下敷き無しで作られたはずもなく、Marvin Gayeだってそういう仲間の一人なのだ。そうなると"Blurred Lines“が"Got to Give It Up,"に似ているのは著作権侵害と言えるほどの罪なのか?という話にもなる。

Chuck BerryとThe Beatles、また他のロックンロールやブルーズなどを含め、俯瞰的な議論が必要だろうと思うが皆さんはどう思いますか?


そういう意味で、影響を受けた作品と影響を与えた作品の線引きは難しく、お互い様と割り切った方が建設的なのか?それとも、曖昧な線引きを見える化するために裁判で決着をつけるのが良いのか? 

これからますますオリジナルを名乗るのが難しい時代に何らかのルール化が求められる時期なのだろうと思う次第だ。


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佐藤千恵さんという女性が生きた1960~1980年代時代 [独り言]


私以外の人で佐藤千恵さんと言われてもピンとくるはずもない。
同姓同名は多いのだが、私にとっての佐藤千恵さんは「あの人」しかいない。

私や友人たちは、彼女の事を「千恵」と呼んでいた。

00030028.JPG



1988年3月26日、午前7時30分、佐藤千恵さんは上野の永寿病院で逝去した。
享年28歳。
病気を患ってのことだった。
エネルギーの塊のような人だったから、
もっと生きたかっただろうと思う。

00030005.JPG

当時の私は、神様とは残酷だな・・と思った。

彼女は私が大学時代に知り合った友人で、大学時代の私に多くの影響を与えてくれた人物だ。
当時の私にとって彼女はある種の「ディーバ」であり、自分とは次元の違う感覚を持った人物だった。
本当に興味深い人だった。

千恵さんが亡くなってから2018年で30年が経過するが、今でも時折彼女の事を思い出す。
元気印の千恵さんが今でも生きていれば58歳になっていたはずだ。


佐藤千恵さんが58歳になっていたとしたら今頃何をしてどのように生きていただろうか?と思う事がある。

きっと素敵な熟女(笑)になっていただろうと想像する。

さて、時は1988年3月21日に遡る。
当時学芸大学の目黒郵便局裏にあった私が仕事をしていたオフィスに千恵さんの友人のAMさんから電話連絡が入る。この日は祝日だったが私は仕事で事務所にいた。

電話の内容は千恵さんが危篤だという知らせだった。

電話を切ると私は群馬の友人H君に連絡を入れて事情を伝えた。


実は、彼女はこの2年以上前から病気と闘っていた。
彼女が相当深刻な状態だというのを知ったのは、その前々年の1986年12月に京都大学病院に入院し手術をすると聞いた時だった。
これを知ったのは祖師ヶ谷大蔵で行きつけだった平八という飲み屋のマスターからだった。


実は彼女は1985年に結婚をしている。
旦那さんは赤坂にあったレストランで料理長をしていた人物だ。
現在その店はないが、銀座には本店らしき店があるようだ。
彼と私は大学時代に千恵さんを通じて知り合ったが、
結婚後の彼女が私や他の男友達を連絡を取り合う事を良しとしておらず、
我々は結婚が決まった時期を境にしてちょっと微妙な関係になっていた。


しかしその日は意を決して旦那さんの自宅に連絡を入れ状況を把握するに至った。

聞かされた状況は私の想像を超えていた。

その直後、京大付属病院に入院していた彼女から1通の手紙が届いた。
手術が12月10日頃に行われることなどが書かれて、
先々の希望にも満ちていた。
その手紙は今でも手元にある。


実は手術の内容とは体の一部の切断だった。
私はそれを知り、身が引きちぎられるような気持ちになったのと、
残酷な神の差配を恨んだ。
そして年末で慌ただしい世間をよそに雪深い京都に立ち寄り彼女を大学の友人S君と2人で見舞った。

正直見舞いに行くこちら方が辛いような気分でもあったのだが、病室の彼女は気丈でそれだけが本当に救いだった。
それでも体の一部を失った千恵さんが辛くなかったはずはない。

しかし彼女は私たちとの会話の中でネガティブな事を一切言わなかった。
あれが彼女の強さであり素晴らしさだろうし、私が彼女に羨望を向けた部分かもしれない。
(内心は辛くて苦しかったに違いない・・)


病気の発端が何だったのか?は分からない。

彼女は体の一部にちょっとだけ大き目のアザがあり、以前からそれを気にしていたが、
ある時それを除去する手術を受けたようだ。
病気の発症とアザ手術の因果関係は分からない。

それでもこれが何等かの起因だったかもしれないと今でも思っている。



京都への見舞いの翌年、一度だけ彼女の自宅(つまり旦那さんとの住居)を訪れたことがある。
彼女から来て欲しい連絡があったからだ。この時期彼女はリハリビをしており、時折街に出る事もあったと聞いていた。
当日、旦那さんは仕事でいなかった。

旦那さんと私や私の男友達とは微妙な関係であることを知っていたから、
そうした時間を避けるようにして出かけたと思う。
時間は彼女の指定だったかもしれない。


部屋の中の彼女は寝室に引かれた布団に一人で横たわっていたが、病気の影響は傍目にも分かるほどだった。
目の前の彼女の様子は、もうリハリビや街歩きができるような感じではなかった。
ほんの数日前、吐血したことも教えてくれた。
正直辛い気持ちで一杯になった。

「頑張れ」って言葉があれほど無意味な言葉だというのは初めて知った。

この頃、彼女は自分の寿命を悟っていたのかもしれない。
だから私を呼んだのだろうと思っている。
呼んだとしたら私だけではないだろうが、かつての友人たちは大学卒業でバラバラになっていた。


この時も辛いとか何だとかは一言も口にしなかった。
吐血の事もちょっと他人事のような口調だった。


また大好きな酒を私と一緒に飲めるようになるために頑張るよって言ってたな。

彼女との生前の会話はこれが最後になってしまった。


彼女と最後に面会したのは永寿病院の病室だった。
事務所で危篤の報を受け取ってから出かけたはずなので、3月22日だったろうか?
群馬の友人のH君も一緒だったはずだ。

彼女の自宅に赴いてから約6か月程度の期間が開いていただろう。
明けの正月には年賀状が届いていたので、少しづつ元気になっているのだろうと勝手に思っていた。
そのため3月21日の危篤の報には驚きを隠せなかった。

病室のベッドに横たわっていた千恵さんは機器や管に繋がれた状態でかなり意識が混濁しているような感じだった。
私の預かり知らぬ間に彼女は状態を悪化させ死の淵にいた。

ホンの一瞬だったが、ベッドで寝ていた千恵さんがグワっとしたような感じで瞼を開け、私と友人のH君らと視線が合った。
そして私の方に向かって千恵さんは私たちに手を伸ばすような仕草をした。
名前を呼んだがそのまま力尽きて目を閉じて気を失うように眠りについてしまった。

私にとっての生前の彼女の姿はそれが最期となった。

この時点でもって数日だろうと言われていた。

私は友人が死に向かっている姿を目の当たりにしながら、自分の心のどこかが冷たく死んでゆくのを感じていた。


危篤の報から5日目の1988年3月26日朝、私は経堂の自宅のアパートの部屋で何かに引き込まれるような感覚で目を覚まして、目先にあった時計を見た。

7時30分だった。

そしてその直後の7時35分頃、自宅の電話が鳴った。

ずっと病院に詰めていた女性友達からASさんだった。
千恵さんの逝去を知らされた。
午前7時30分だったそうだ。


あの感覚は何だったのだろうか?と今でも考える。

死に行く彼女は私やH君にお別れの挨拶に来たのだろうか?と・・・。
私はこの摩訶不思議な感覚を経験した事はそれ以来一度もない。

だから「魂」はきっとあるのだろうと思っている。


死去の翌日には告別式、その次の日に葬儀が行われた。
千恵さんの旦那さんが喪主だった。彼とは本当に久しぶりに会った。
我々と彼との間には微妙なものがあったが、当然だが葬儀ではそうした感情は封印されていた。
彼とは会話らしい会話もしなかったと思うが、彼の悼みは良く理解できた。
彼も私たちと同じで千恵さんのことを大好きだったからだ。


遺体が焼かれ骨になった千恵さんと対面した時、言い知れぬ寂寥感があった。
ああ、もうこの世に戻ることはないんだな・・という感じだ。
欧米の埋葬の風習に火葬が少ないのは、そういう感覚があるのだろうと思った。

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彼女の白黒写真の遺影がどこか私にリアリティーさを欠く感じに映っていた。

大学時代の友人やその他の関係者で骨を拾い骨壺に入れた時は悲しみを通り越していて
感覚が無かった。
あんなに元気で美しかった彼女がこの世から忽然と消えてしまった・・、そういう感じだった。

葬儀の間、私は全く泣けなかった。
悲しいという感覚を超える感覚はあれが初めてだったかもしれない。
悲しすぎて泣けない・・、そんな感じだった。
もしくは現実であることを私の内面が拒絶していたのかもしれない。


時折彼女を思い浮かべ、楽しく過ごす事の出来た大学時代をパステルカラーのような景色の中に蘇ることがある。私の学生時代、あんなに印象的な女性はいなかった。


彼女は現在でも初婚相手の墓地に埋葬されている。
埼玉県東松山市にある昭和浄苑内だ。
彼女の墓参りはこれまで何度か友人としている。
それでも決して私の住まいから近くないこともあり、ここ16年ほどは行っていない。


結婚相手の旦那さんはその後再婚しているようなので、
彼女の遺骨は実家の墓に戻せばいいだろうとも思うが、
私の出る幕ではないからそういう意見だけを述べておく。


あれから30年が経過し、私も58歳になった。
切りもいいので2018年3月中に彼女の墓参りをしようと思っている。
彼女の誕生日が3月だからだ。同じ58歳同志で話もしてみたいじゃないか。
群馬の友人で元カレのH君も同意してくれた。
H君は大学時代の友人で唯一定期的な連絡を取り合う仲だ。


この記事を書こうと思ったのもそんな時期に合致していたのは偶然とは言え奇遇だ。
千恵さんが天国から呼びかけていたのだろうか?

私が大学生だったのはまだネットも携帯も無い時代。
従って彼女の個人的なデータは現在のネット上には全くないだろうと思う。
実際検索しても彼女の情報は皆無だ。

彼女の声やしゃべり方は今でも私の耳に残っている。
スマホで動画が簡単に撮影できる時代なら、沢山の想い出を動画や音声で残していただろうし、その記憶を再確認出来ただろう。
しかし1980年代初頭ではそれは叶わぬ時代で、彼女の動画や音声は全くなく、写真と記憶のみだ。

そして考えた。

それなら私が残してあげればいいだろうと。


だからここに「彼女がこの世に存在した記録」を残すことにする。

佐藤千恵さんは確かに1988年3月26日まで存在していたのです。
タイムスリップして彼女に会えるなら、やはりあの話をするだろう。


例のアザは手術するな・・と。

少なくともそれをしないチャンスがあれば違う人生があったかもしれないと・・考えてしまう。


これから書く事は1979年以降に起きた私と千恵さんと彼女の友人たちの想い出話だ。



佐藤千恵さんは静岡県磐田市出身だ。
1960年3月10日生まれだ。
自営業の家庭で、地元もで名士の家だ。
一度だけ彼女の実家に行ったがいわゆる裕福な家庭の子だ。

私と彼女の出会いは、1979年、大学時代に遡る。

当時大学二年生だった私は、学校の喫茶室に目立った女子集団がいることを知っていた。
女子集団は美形揃いだし、品も良かった。
しかし彼らと共通の友人もおらず、なかなか知り合う機会が無かったのだが、
とあることから友人を通じてやっと彼女たち一群を知り合うようになった。
その中に佐藤千恵さんがいた。


当時の彼女は、ファッショナブルで、モデルような体形をしていて、また誰彼構わない交友範囲の広さを誇っていた。

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(上の写真は確か、アクアスキュータムのコートを買った

直後の写真だったと思う。当時相当お気に入りのコートだった。

そのメーカーが現代になって倒産の憂き目にあると知ったら彼女は悲しむだろうと思う。)


またハデな見た目とは異なり料理が抜群に上手く、彼女が作ってくれた料理の多くは私の人生で初めて食べるようなものが多かった。
(例えば”ダイコンのサラダ”とか”ほうれん草のカレー”とか何とかパスタ等など)
あれだけの料理を作れる女性を未だに知らないと言える位だ。

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(いつもここで料理をして振る舞ってくれた。)


当時彼女は狛江のマンションに弟さんと住んでいた。
両親公認の京都にある有名大学を卒業予定で博報堂に内定していた彼氏と付き合っていた。
Kさんと言ったかな・・。


ある時、私と群馬の友人H君は、彼女の要請で彼女の実家に行ってある用事をするために
レンタカーを借りて実家のある磐田に向かった。
当時のお母さんの言葉から、Kさんとの結婚をとても望んでいることが分かった。
(今の人には信じられないかもしれないが、1980年代当時は、女性の結婚適齢期は25歳より前だった。)


帰路、渋滞に巻き込まれた事と、途中、小田原で高速を降りて海沿いを走るコースに変更した事で東京到着が深夜になってしまった。
3人にとってとても楽しい1日だったが、我々と別れたあとの深夜、彼女にはそうではない事件が起きた。


翌日学校に行くと彼女の顔や胸元にいくつもの青痣があった。
話を聴いてみると帰宅してみると狛江のマンションに彼氏がいて、
帰宅が遅かった事を問い詰められたそうだ。
その後今でいうDV系の事が色々とあったということだった。

私は女性にそういうことをする男を見た事が無かったので衝撃的な経験だった。

どうやら千恵さんの彼氏はとても束縛の強い人物だったのだ。
まあ、それを責めるのは酷だとは思っている。
そういう男が多いのは事実だからだ。

千恵さんは彼氏を愛していたのだが、彼の強過ぎる束縛にはかなり困っていた。
彼女はどちらかと言えばオープンな性格で自由人であり、束縛が似合うタイプじゃなかった。
酒に酔うとちょっとフワフワしてしまうのが玉にキズだったかもしれない。


そしてそれらの相談に乗っていたのが群馬出身のH君だった。
H君は私より1つ上だったが、一浪していたので学年が一緒だった。
いつもサスペンダー付きのジーンズとシャツを着て、Dr.スランプに出て来るお父さんのような感じだった。
H君は私より世間を知っていて、千恵さんも同じく大人な感覚の人だったので、
二人は見た目は合わない美女と野獣型なのだが価値観が合っていた。



今でも思い出すのが、狛江の彼女のマンションで3人で朝まで酒を飲みながら
何を話すでもない会話を永遠とやっていた事だ。
私の人生であんなに人と話をした時間はなかったかもしれない。

BGMの音楽は大抵ユーミンで、特に「ミスリム」や「悲しいほどお天気」がヘビロテだった。
ミスリムの1曲目の「生まれた街で」が流れてきた丁度その時に、東の窓の先の風景から太陽が昇ってきた時があるが、あのアルバムや曲は今でもあの当時の印象を私に残してくれている。
この時期は本当に楽しい時間を過ごしていたと思う。

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(20歳になったばかりの頃の千恵さん。)



その後、博報堂に内定していた彼氏とは別れ、H君と付き合う事になった。
相談している間に2人は同期し始めたようだ。

実は、私はこの間、何となく千恵さんに恋心を抱いていて、結局失恋してしまったのだが、
あの二人はそんな私を包み込んで変わらずに友達付き合いをしてくれた。


我々が住む祖師谷大蔵3丁目に千恵さんが狛江から引っ越してきたのは1981年頃だったであろうか?
私のアパートから30秒、H君の住まいから3分の場所。
少なくともこの時期から大学卒業までの間は、私とH君、そして千恵さんは殆ど毎日会って話をしていた。
彼女の部屋は私の2倍以上もあり、また風呂付で豪華な住まいに映っていた。
現在その場所には当時の建物はなく、別の一戸建てが建っていて往時を偲ぶ事は出来ないが、私には当時のアパートが見える。

また千恵さんの家には大学の友人も多数訪れ、来ればワイワイガヤガヤのミニパーティーが始まる。
料理は殆ど千恵さんが作るのだが、やり手の女将さんのように捌いていた。
彼女は来るもの拒まずだった人なので、彼女のアパートにはいつも誰かがいた。
大抵はH君がいるので、大学失業前までは殆ど毎日彼ら2人と会っては
飲んで話をしているような感じだった。
(ちなみにH君は酒が飲めない)

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千恵さんは酒に酔うと自分のベッドに潜り込んで寝てしまい、残った男の2人でその後を過ごす感じだ。

彼女はアメリカに留学経験があったこともあり英語がペラペラだった。
私の友人のN君が就職試験と面談で英会話が必要となった時、彼女はずいぶんとN君を教育していた。
あの時代で英会話に堪能な人は私の周囲では2人程度だった。


彼女はとにかく明るい性格だった。もちろん人間なのでネガティブにもなるのだが、彼女はそういう時でも
前向きだったし、明るく振る舞う人だった。
その後病気で辛い時期も同じだった。
私と会っている時には全く自分の苦境を言う事はなく、それは他の人にも同じだったようだ。
私は根暗な性格なので、楽観的とも言える彼女が眩しかった。

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(自宅で電話する千恵さん。当時は黒電話だった点に注目!)



当時の日記を紐解くと彼女やH君との事が色々と書いてあるが、今では取り留めもないようなことばかりだ。
3人でよく行った場所の1つが湘南海岸だった。
大抵は土曜の深夜に車を出して行き、134号線沿いのロイヤルホスト辺りで一晩中お代わり自由のコーヒーで
安く上げながら朝まで話す、そんな時間が当時の私には宝石のようなものだった。
話の内容は、同級生や友人の恋の話だったり社会情勢だったり、音楽の話だったりしたのだろうと思う。
音楽の話はよくしていた。
サザン、達郎、ユーミンなど、彼らの作る音楽、歌詞、メロディーをそれぞれがそれぞれの想いで語っている時代だった。



彼女は時折六本木のディスコに通っていた。
女友達と一緒だったり一人だったりだ。
我々の大学時代の友人の中に高級ディスコで働いていた男性OT君がいた事もあったかもしれない。
龍土町辺りにあったというパシャクラブという名のディスコだ。
私は行った事がなかったが、フライデーという雑誌に芸能人絡みの記事で登場したことがあり記憶している。
彼女から聞かされるディスコの風景は、当時の私には届かない大人の世界をもたらしてくれているようだった。


彼女は何故かそういう場所が似合う女性でもあった。
彼女の妖艶な後光は、田舎者の私にはとても眩しいものだったと思う。

OT君は今でいうイケメン系の男性で大学でも女性に人気があった。
当時六本木に住んでいると言っていた。
彼はバイクが好きだった人物だが、ある日買ったばかりの高級バイクが盗難にあって
落ち込んでいた。大学生時代からホストクラブで働いていると聞いた事があるが、卒業後、彼の消息はいつの間にか知れずままになった。
多分彼は千恵さんが亡くなったことを未だに知らないかもしれない。


千恵さんがH君と付き合っている大学時代、3人でバイトをした経験がある。
交通量調査だ。
当時、学生にとって交通量調査は割のいいバイトだった。
このバイトは3日連続で1人当り36,000円をもらえるというものだった。
拘束時間は1日当り10時間。
当時私が友人から払い下げられて所有していた車を持っており、
その中に居ながらで出来るバイトだったので千恵さんを誘ったのだ。
千恵さんはバイト経験が無かった。しかし彼女には朝飯、昼飯を作ってもらう係になってもらい、
あとはH君と私が事実上のバイト作業を行った。
車内にずっといた千恵さんは、我々の話相手になってもらったり、暇な時間は後部座席で昼寝をしていてもらったりした。

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(バイト中の千恵さん)


実に楽しいバイトだった。
特に2日目には暴風雨が吹き荒れる天候で、車の中で仕事が出来て良かったと思った。
調査をした場所は勝どき橋の先にある交差点だったろうか?



私の大学卒業後の1983年、一度だけ彼女と2人でコンサートに行った事がある。
クリストファークロスの武道館公演だ。
見ていた場所は1階の東側の中段だったと記憶している。
彼女は私よりも洋楽に精通している部分があり、Steely Danを知ったのも彼女の自宅のステレオでガウチョを聞かされてからだ。
私が彼女と2人でコンサートに行ったのはこの時だけだったが、今でもフンワリと当時を思い出す。


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大学を卒業して結婚をするまでの短い期間だったと思うが、彼女は六本木のワインバーで働いていた。
交差点の近くだったと記憶している。
その店には1度だけ行った事があるが、彼女が働いていたのを見たのはその時限りだ。
ワインバーで働く彼女を見て私はちょっと複雑な気持ちになった事を記憶している。

彼女は大学を卒業してからまだ自分の中で何をやりたいとかやれたらいいかという事について
焦点が定まっていなかったのだろうと思う。ひょっとしてそんな自分に戸惑っていたのかもしれない。


大学卒業後、H君は群馬に戻り、千恵さんと彼は遠距離恋愛になった。
それが影響したのか、彼らは以前のような付き合い方が出来ないまま関係が自然消滅してしまった。
私は社会人になってからも彼女と比較的会っていたのだが、やがて千恵さんも大学卒業する年齢になった。
私も彼女も双方が社会人になると大学時代のように頻繁に合う事が減ってきた。
そんな中、ある日千恵さんから例の共通の知り合いであるシェフ君と結婚すると伝えられたのだ。


そうなんだ・・。

私は良いとも悪いとも思わずちょっと意外な告白を聴いていた。
千恵さんは、私や友人たちと関係性の良くない人物を夫に迎える事をちょっとだけ私に話ずらそうだった。
しかし、彼女なりの決断だっただろうから彼と私の関係は別にしてこれからも友達でいようと伝えた。

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上記の写真の机の位置からすると1983年~1984年頃だろう。
当時はサントリーホワイトが手ごろだった時代。



千恵さんの結婚に伴い祖師谷からの引っ越し作業は千恵さんからの要請で手伝わないことにした。
しかし荷物が片付き彼女が家の玄関を出る時、こっそりと別れの挨拶をした。
千恵さんの後ろ姿を見て、青春が消えて行くのを感じた。
千恵さんは我々より先に大人になってしまったかのようだった。

彼女がシェフさんとの結婚を決めた理由は知らない。
シェフさんは以前から彼女が好きで、相当なアプローチをかけられたということは風邪の便りで聞いた。
いずれにしても彼女は人妻になってしまった。

千恵さんが結婚式を挙げたという記憶がない。確か彼女の実家からは反対されていたような事を聞いていたし、友人連中とシェフ君とは折り合いが悪かったので、我々の知らないところで式を済ませたのかもしれない。

まだ学生気分の抜けない私は、彼女が届かないほどの大人の世界に足を踏み入れて消えて行く感じがしていた。

しかし彼女の苗字は変わってしまったが、私にとってはずっと「佐藤千恵」なのだ。


結婚後、手紙などのやり取り以外は音信不通となった。
そしてある日、祖師ヶ谷大蔵の居酒屋で彼女が病気を患っていることを知らされたのだ。


前述したが、千恵さんが今でも生きていたらどこで何をしているだろうか?と思う。
誰かの幸せな奥さんになっていたのか? それとも料理の腕を生かして繁盛する料理屋さんでもやっていたのか? それとも美魔女になって有名になっていたか?
想像が尽きない。
強がりでハデに見えたが、実は古風なところがあり、気使いもでき、傷つき易い人だったから、誰か強い男が必要だったかもしれない。
彼女にはそういう支えが必要だったと思う。


私は社会人となってから大学当時、彼女やH君と語っていた夢の一部を叶える事が出来た。
そういえば千恵さんの夢って何だったのだろう?
聞いた事なかったな・・。
多分聞いたら”毎日美味しいもの作って食べて、良い酒のんで、楽しい友人に囲まれていたいだけ”なんて
言うかもしれないな・・・。

彼女だったら実現できていたかもしれない。


逝去から30年。
私もH君も随分と歳を取ってしまった。

28歳という若さで、まだ生きたいと言いながら亡くなっていった千恵さんを思い出すと
今でも心が痛い。
こっちはあれから30年も余分に生きてしまった感じがする。

若干25か26歳で発病し、約2年余の間病気と闘い死んで行ったのだ。
その間の千恵さんの心の葛藤を私は全て共有している訳ではない。
彼女の心中を察すれば、言葉もないという感じだ。
友人として何も出来なかったと言っていい。


私も還暦に近くなったが、やはり昔の知り合いで一番会って話をしたのは千恵さんだ。
昔話をしたら意外な事実を聴かされるかもしれないし、違った話もできるだろう。


私もやがて千恵さんのいる場所に行くことになる。
その時の千恵さんは28歳のままの若さと美しさと元気さで
私や友人たちを迎えてくれるのでしょう。
こっちはジジイやババアになってしまっているから大変だ。


佐藤千恵さん、今度あの世で出会ったら改めて本気で泣けるかもしれないと思う。
その時が来るまで・・・・。


佐藤千恵さん、君は本当に素敵な女性だったよ。


また逢う日まで。



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1982年2月に湘南海岸で車のヘッドライトを使って撮影した写真。

彼女が映っている中で一番好きな表情をした写真だ。














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